ラリー、やろうぜ! 第二章

著 : 中村 一朗

C.出陣


 まだ薄暗い、十月終わりの午前4時45分。

“野良猫ランサー”が僕を迎えに来た。

 携帯電話がコールサインを二回鳴らして切れたのは、僕の家の前に着いたシグナルだ。

 ヘルメットやライセンス、防寒着に筆記用具や着替えの温泉セットなどを収めたバッグを持って、部屋の扉を開ける。

 肌寒さで、ぼんやりした眠気は吹き飛んだ。

 外に出ると、“野良猫ランサー”は双眸をギラギラと光らせていた。

 “キャッシュラリー”以来の、久々の頼もしい姿。

 既に、戦闘体制の気構えだ。

 僕は晩秋の冷気を大きく吸い込みながら、“野良猫”のドアをあけた。

「よう、しばらく!」という、服部の声は明るい。

「おはよう」

 荷物を後部スペースに放り込みながら僕は答えた。

 ロールバーをかいくぐり、助手席に身を滑り込ませる。

 シートベルトの装着にもたついているうちに、“野良猫”が走り出した。

「いそがしそうじゃないか」

 シートベルトをロックさせながら言った。電話では必要最小限のやり取りはしていたものの、服部と顔を合わすのは“キャッシュラリー”以来だった。

「ああ、まあね。仕事も忙しかったんだけど、毎週土日のどっちかは走りに行ってた」

「へえ。峠族に逆戻りだ」

「いや、サーキットやジムカーナの練習会。四谷先輩に、今はまだ公道で練習するなって言われた。我流の走り込みで付いた変なクセを抜けって」

「ラリーの運転技術って、我流があたりまえなんじゃないの?」

“キャッシュラリー”のゴール後の宴会で、誰かが言っていた言葉だ。

「オレにもよくわからないけど、良い我流と悪い我流があるみたいだぜ」

 僕は笑った。

「なんか、『デビルマン』みたいな台詞だな。正義の悪魔だ」

「なにそれ?」

「大昔のテレビアニメ。うちのおふくろが好きなの」

「へー」

 その後、服部は“良い我流”と“悪い我流”の違いを熱く語った。

 よくわからないと言っている奴の解説だから、こちらが理解できるはずがない。

 でも、楽しそうに話してる服部の気分を壊すのは悪いので、適当に相槌を打った。

 そうこうしている内に、“野良猫”は練馬インターから東京環状道路に乗った。

 予定では浦和インターを経て、東北自動車道の鹿沼インターに向かう。

 集合場所は、ミニサーキットの『宇都宮スピードパーク』。

 受付時間は、午前8時30分から午前9時30分まで。

 本当は宇都宮インターの方が近いのだが、今は紅葉の季節。

 早朝とは言え日光に向かう紅葉狩りの観光渋滞を考えれば、手前で降りたほうが良いらしい。

 順調なら、30分ぐらい早く到着するスケジュール。

 やや混雑している羽生パーキングで朝食をとり、そこを出たのが午前6時30分頃。

 夜が明けて、もうすっかり明るくなっていたけど、曇天だ。

「ところで、OD(オド)をとる前に、いきなりジムカーナのSSがあるんだって?」

「ああ。SS1から、SS3まで。どれも、パイロンコースだけどな。コースレイアウトは、会場に行ってみないとわからない。でも、そんなに複雑なヤツじゃあいと思うぜ」

 ジムカーナSSの一号車スタートは、10時01分。

 それまでにパイロンコースのレイアウトを頭に刻み付けなければならない。

 パイロンとは、工事現場なんかにある三角コーンのことだ。

 パイロンコースは、広場にコイツを並べて作られる走行コースのこと。

“クォーター7”のレギュレーション(特別規則書)によれば、パイロンタッチは一本につき2秒のペナルティ。ミスコースなら、一箇所につき5秒。

 完走不能または遅刻等による未出走の場合は、SS1からSS3については、それぞれ最遅タイムに30秒の加算ペナルティになる。

 以前四谷先輩が、

「おバカなラリードライバーは、難しいレイアウトのパイロンコースなんか覚えられないのよね~」

 と言っていた。

 本格的なジムカーナでは、絡まった糸のように複雑なコースレイアウトになるという。

 ラリーのジムカーナSSの場合、皆もの覚えが悪いからという理由で簡単なものになるらしい。それでもミスコースも多いらしく、ナビがいてもダメなのだそうだ。

 通常のジムカーナでは、コンマ01秒、つまり百分の一秒単位で計測する。

 でも今回の特別ルールでは、ジムカーナSSに限り、計測は十分の一秒までで、減点はコンマ2秒につき一点の減点になる。

 つまり、仮に1秒の差だと5点の減点というわけだ。

「ミニサーキットに集合なんだから、そのコースだって使うんだろ?」

「たぶん、一部はね。クォーター7でサーキットを使うSSは、今回が初めてらしい。それでオレも、あそこの走行会に二回参加したの。中古のタイヤ、3セット。つまり、12本さ。あのサーキットだけで完全に使い切って丸坊主にしたぜ」

 ラリードライバーとナビゲーターの記憶力を足しても、ジムカーナドライバー一人分にも満たないという、情けない話。本当は知能よりも、0コンマ以下二桁秒の緻密さで勝負するジムカーナと、離れたところにいるオフィシャルが笛の音を聞いてストップウォッチを押す大雑把な計測のラリーという競技の気質の差なのかもしれないけど。

 服部は四谷先輩からこの話を聞いて、逆にそこに活路を見出そうとした。

 林道では、絶対に勝ち目がないことは承知している。

 だから、ベテランが油断している序盤に、なるべく多くのハンデを獲得すること。

 それが、今回の服部の戦略だ。

 昨夜の最終打ち合わせでこの話を聞いたとき、僕は少しだけ服部を見直した。

 無謀な挑戦としてムサシノシリーズの本戦を選択したのではなく、来年のための足がかりにその場の空気を身体で知っておきたいという。

 しかもそのためには、それなりの成績を残さなければ意味がないといった。

 一本でもいいから、良い成績のSSタイムを獲得すること。

 それで、朝一番のジムカーナSSに目をつけたのだ。

 また、クソまじめな性格が幸いしたらしく、サーキットとジムカーナ場での練習は服部の運転技術を大きく進化させたようだ。

 僕の家からここまで来る間でも、ハンドルやブレーキ操作が、以前に比べて明らかに滑らかになっているのがわかる。

「じゃあ、“宇都宮”のSSは期待できるかもしれないな」

 僕は本気でそう思った。

「任せろ。林道だって、きっと良いセンいけるんじゃないかと思うぜ」

 ニヤついている服部の横顔を盗み見て、僕は少しだけ不安になった。

 下手におだてると調子に乗りそうだから、相槌を打つのもやめておいた。

 ジムカーナSSの終了後、夕方まで約四時間のインターバルがある。

 その間に、林道セクションの事前走行がある。

 主催者スタッフの管理下で、制限速度内での低速走行になるという。

 つまり、“レッキ”という、ペースノートを作るための試走時間が与えられているのだ。

 ペースノートは、速く走るための情報を記した記録簿のこと。

 全てのコーナーの深さ、ストレートの長さ、危険箇所、ギャップやバンクなど可能な限りのチェックを行って、本番の全開走行時にはナビゲーターがそれを読み上げるのだ。

 無論、ペースノートを読むどころか、作る練習もしていないので、僕などに出来るはずがない。昨夜の電話でそう言ったら、服部は

「当たり前だ!」と、笑った。

「ベテランのナビだって難しいんだから、期待なんかしてねえよ。出来る限りの範囲でやればいいさ。…って、先輩が言っていた」と、続けて。

 僕はその時の会話を思い出した。

「なあ。じゃあ、ペースノート作りの練習にジムカーナSSでもそれ、やってみる?ペースノート読みの練習も合わせてさ」

 服部は少し考えてから口を開いた。

「…ああ。でも、悪いけど、ジムカーナSSは俺に任せてくれ。そのための練習をしてきたつもりなんだ。調子外れのペースノートなんか読まれたら、かえって遅くなるぜ」

 少しだけカチンと来たけど、僕は納得して笑った。

 不器用な服部なら、当然の判断だと思う。

「そうだね。その方がいい。僕も楽が出来る」

「無論、尾道峠(びどうとうげ)のペースノート作りはよろしくな。出来る範囲で」

「了解」

 栃木インターを過ぎた頃から、交通量が増えだしてきた。

 観光客を満載した観光バスの数もやたらと目に付く。

 日光の紅葉は今週からがピークだ。

 酷いときには、いろは坂から日光宇都宮有料道路の宇都宮インターまで、びっしり並んでしまう。宇都宮からいろは坂の頂上にある中禅寺湖まで、五時間以上かかる場合もある。もっとも目的が紅葉見物なのだから、それでいいと思う観光客もいるらしい。

 七時過ぎに“野良猫”は東北道を降り、一般国道で宇都宮方面に向かった。

 途中、お茶とコーヒーとガムを買いにコンビニに寄った時、見知らぬラリー車が三台、駐車スペースに止まっていた。

 どれもが派手なカラーで、ボディがボコボコの傷だらけの車。

 朝のコンビニの駐車場よりは、夕暮れの廃車置場の方が似合うに違いない。

 長く続けていると、“野良猫”もこんなになってしまうのかと思っていると。

「あれなら、オレの車の方がずっと綺麗だよな」と、服部がつぶやいた。

「出来るだけ、あんな風にならないように気をつけてくれ」

 服部は、二台分のスペースを空けて“野良猫”を停めた。



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