吸血鬼

著 : 秋山 恵

帰還



 壮介は自分のセーフハウスの前に居た。

 夕方になった頃、沙季が出掛ける前に、武器を持ってそこに行くようにと言っていたからだ。

「私の勘が正しければ、きっと近い内に必要になるから」

 生真面目な顔をしていたようにも思えたし、少し笑っているようにも思えた。

 肝心な事は何も言っていかないから何だか分からなかったが、心が荒んでいる今は少しでも別の事をしていた方が良いと思っていた。

 だから、そんな適当な話にも乗った。

 セーフハウスは、生活するのに使っているマンションから少し離れたところにある。とは言え、歩いても20分程度だ。

 荷物を持ってのんびりと歩いた。

 家を出た時にはもう日が暮れていたし、駅から逆方向にあるセーフハウスへ向かう途中は帰路についたサラリーマンが多く居た。

 大通り沿いのラーメン屋からの食欲を誘う香りや、居酒屋から漂う揚げ物の匂いに食欲がそそられたが、寄り道をしようとは思わなかった。

 あんなことがあった後なのにも関わらず食欲はあったし腹も鳴った。だが、食事をする気にはなれない。それは今、このマンションの前に立った時にも変わっていなかった。

 ロビーに入り、ポストのダイヤル錠を開けて中に入れてある部屋の鍵を取ろうとする。しかし、入っていたのはチラシばかりであった。

 チラシを全て引っ張り出してよく確認したが、中は空である。壮介のゴツゴツとした手が、虫かごの昆虫のようにポツンとそこにあるだけだ。

 壮介はハッとした顔で部屋の方を見た。

 視線の向こう、誰も居ない筈の部屋に照明が点いている。

 沙季が来ているのだろうか、と考えた。それ以外のもう一つの可能性も考えたが、

(まさかな・・・)としか思えなかった。

 しかし、いつもそれは突然現れる。

 階段を一段ずつ速くもなく遅くもなく、踏みしめるように上る。走って上れば気持ちがもう一つの可能性に傾くだろう。それは沙季に踊らされているようで良い気分ではない。

 階段を上りきり、廊下を歩く。

 なぜか長く感じる。歩こうとすると、その距離がどんどん伸びるようでもあった。

 玄関までの長い距離、足音は立てないようにしていた。そんな事をする理由は何も無いのに。

 到着まで数分掛かったようにも感じる。

 扉の前に立った時、部屋の中の光が消えた。

 たった一瞬だったが、中から人が出てくるのを待つか、自分から開けるかを悩んだ。だが、悩み終わる前にドアノブが回った。

 パッと勢いよく扉が開く。

 壮介の視線の先には、エレナが立っていた。

(あぁ、なるほどね。吸血鬼の繋がりが・・・)

 沙季の悪戯っぽい笑顔を想像した。

「おかえりなさい」

 その言葉は壮介ではなく、エレナから発せられた。



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