吸血鬼

著 : 秋山 恵

痕跡



 沙季は、階段を上がったところで気絶倒れている遼二を、つい今さっき銀髪が出てきた何も無い部屋に引きずり込んだ。

 その隣に武器の入ったカバンを投げ込み、扉を閉める。

 照明をつけて、靴のまま乱暴に部屋に上がり込んだ。

 腰に手を当てた状態でダイニングから順番に部屋の隅々を見回す。

 部屋の中は本当に何も無い。生活をしていた訳ではないのだから当然だろう。

 部屋探しをしていて不動産屋に連れてこられたような気分になった。

 人間より鼻の利く沙季は、室内の獣臭のような何かに顔をしかめる。動物園にでも居るような気持ちだ。いや、獣の臭いに不快感はあるものの、ここまで苛立ちは出てこないだろう。

 なぜここまで嫌悪感があるのだろうか、そう思いながら室内の捜索を開始した。

 ダイニングのフローリングをコツコツと音を立てて歩き、奥の畳の部屋に入る。

 それはすぐに見付かった。

 床の上に一つだけ白いものが、まるでゴミかなにかのようにして落ちている。

 何かのメモ帳を破った紙だ。

 地図か設計図のようなものが書き込まれており、細かく距離まで含めて表記されている。

 あの短時間で書いて破ってここに置くのは無理があるだろう。元々書かれていたそれをここに置いて行ったと考えるのが妥当だと思った。

 だとすると、このメモの先は罠が張られている可能性が高い。

 このメモの内容をエレナに伝えて良いものか…

 悩みつつ書かれているものを見る。

 書かれているものは日本語ではないので読めない。

 が、文字の記載されている下に書かれた細かい地図を見て、最寄の駅だと感じ取った。出入口の数やトイレの位置、店舗の位置、地上に出たところにある本屋とその近くの出入口の番号が同じである。

 なぜこんなに細かく書いてあるのだろうと首をひねった。

 とにかく連絡を入れなくてはならない。自分のカバンから出ているストラップを強引に引っ張り、携帯を取り出した。

 倒れている遼二を横目に、途中で目覚めて内容を聞かれても面倒だとな考える。

 メモの写真を撮ってメールすることにした。携帯でこの写真を見るのは厳しいだろうと思い、インターネット上にあるフリーメールのアドレスに送り、メモをポケットに押し込む。

 送信した直後に壮介の携帯に電話した。

 相手はワンコールで出る。

『はい』

 出たのはエレナだ。

 電話の向こうで、重たいエンジンの掛かる音が聞こえた。電話と同時に移動をするつもりだったのだろう。

「例のもの、予想通りありましたよ。お隣のお兄さんに、写真に撮ってフリーメールの方に送りましたって伝えてください。多分、元々書いて置いてあったメッセージのようなものだから・・・、現地は罠が張ってあるのかも?」

『わかりました。ありがとう。そこで待機していてくれる?また電話します』

 と言って、あっという間に電話を切られた。

 結局何も力になれなかった事を不満に感じながら、玄関先で転がっている遼二が起きるのを待つことにする。近くまで歩いて行き、しゃがみ込んで顔を覗き込んだ。

 こうして見ると可愛らしい顔をしているなと思う。動物で言えば猫のような感じがする。寝息すら聞こえた。それほど静かだった。

 さっき大きな爆発音を出してしまったことを思い出し、沙季は外の音に意識を持っていく。

 サイレンが鳴っているのが分かる。

 当然だろう、こんな街中で爆発音が聞こえれば誰かが通報する。

 まだ遠いが、遼二が起きる前にはここに来るだろう。

 暫くここに居るしかないだろうなと思い、玄関先で頼りなく転がっている遼二を奥の部屋へ引っ張って行った。

 人間だった頃は、あまりよく知らない男と二人きりで同じ部屋に居るなんて、とても勇気が必要だった。

 それが、今では気になる事は全くない。

 日頃から心の変化には関心した。

 これは未来永劫続いていくのだろうか。そして、周りの人達は自分よりも先に死んでいく。それは勿論、この男もそうだろう。

 そう思うと、何故か切ない気持ちになっていた。それも、比較的強い気持ちで。

 吸血鬼として安定してからは、こんな気持ちになることはなかった。異性として意識しているのとは少し違うような気はする。しかし、それに似ているようにも感じられる。

(私のことは、どう思っているのかな…?)

 沙季は遼二の鼻を摘んだ。

 サイレンは次第に大きくなってきていたが、沙季には外の音は聞こえなくなっていた。




 スポーツカーのような重たいエンジン音が鳴っている。

「近くの駅みたいですね」

「分かるんだ?」

 壮介は顔も向けずに返してきた。動作は落ち着き、間違いがなく流れるようにPCを操作している。

「この辺りにはかなり長く住んでいたのですよ」

 壮介は、沙季の送ったメールを確認し終えると、ノートPCを閉じて後部座席に放り投げるようにして置いた。それとほぼ同時に車が走り出す。

「現場から少し離れた場所…、風下に止めて貰えると助かります」

「車の中からそんな場所わからないよ」

 無茶な要求に苦笑いしながら、アクセルを踏んだ。加速で頭がシートに押し付けられる。一般の車道では普通には見られない加速である。

「多分逃げないので、あまり急がなくて大丈夫ですよ」

「性分だ。駅周辺はすぐ着くよ。あの辺、役所の大きなビルがあったでしょ、ビル風吹いてるかな?その近くに止めてみる」

 そのまま、数分の間二人は無言になっていた。

 お互い、何を考えているのか気にすることも無かった。

 エレナは銀髪との戦いを、どうやって楽に倒せるかを考えている。何度も罠にかけることは出来ないだろうし、かと言って真っ向から戦いを挑むのは危険だと思っていた。だが、それ程杞憂もしていない。向こうはどうやら単独行動のようだが、こちらは二人である。それに、相手はこちらが何人いるのかが分かっていない。有利な条件は変わらないだろう。

 壮介は、どうやって戦うかを考えていなかった。死んでいった仲間への想いと、銀髪への怒り。もうすぐ仇と戦えるのだ。心中熱せられ、冷静ではなくなっている。これは危険であったが、エレナにはそんな事は全く分からない。気が付いてすらいなかった。少なからず、エレナ自身も獲物への焦りがあるのだろう。

 大通りに出ると、役所の建物が見えた。

 役所の反対側は同じくらいの大きさの建物が並んでいる。その並びに車を止めて、窓を開けると風向きを確認した。

「ここで良さそうだな。駅への入り口は全部風下だ」

 窓を閉めると、エレナの方を無言でじっと見た。ここまでじっと見られると、普通は照れるだろう。

「どうかしました?」

「二手に分かれて入ろう。出入り口は東と西に二箇所ずつあるな。風上は俺が入る。反対側から入ってくれ」

 そう言うと、壮介は拳銃をハンドバッグに入れて車を出た。

 エレナもナイフをカバンに入れて肩に掛ける。ナイフにストラップが付いており、カバンから飛び出ている。非常に不自然で、気が付けばおかしいなと思われるだろうが、これなら比較的すぐに引っ張り出せる。

 エレナが車から出ると、壮介はヘッドセットと無線を放って寄越した。

「そのまま使ってくれ」

 ヘッドセットを付けると、既に音が出ていた。

『聞こえるか?』」

 目の前と耳元から同じ言葉が聞こえてくる。エレナは肯くと、風下の西側の階段に向かった。それを横目に、壮介は東側に向かう。

 離れていく壮介の背中は、あまり頼もしくは見えない。相手の強さを知っているからだろうか、それとも壮介の内にある冷静ではない心がそれとなく感じられていたからだろうか。

『合図と同時に入ろう』

「わかりました。ここで待っています」

 少し向こうで建物の陰に入っていく壮介の背中を見ながら、階段に片足を掛ける。空気の流れはあり、ゆっくりと風が出てきている。二人にとっては好都合だ。

 一旦周囲を確認して異質なものが無いかをチェックするが、特に何も感じられない。街路樹の緑の匂いと、走るトラックの排気ガスの臭いが混ざり合っているだけが印象的だった。走り去るトラックが後方右から左へ流れていく。

 若い体臭が階段の下の方から流れてきた。賑やかに話ながら、ゆっくりと階段を上ってくる。

 中途半端な位置で立ち止まっているエレナに、若者の集団がすれ違う。

「今日は外人多いな…」

 と、若者の集団の一人が呟くのが聞こえた。

 銀髪が中に居る事を確信した。

「やはり中に居るようね」

『何か感じるのか?』

「いえ、知らない人ですが、すれ違う時にそんな話をしているのが聞こえたので。まだ入れないですか?」

『ちょっと待ってくれ』

 通りをスクーターが通り過ぎる程度の時間を置いて、地下鉄の入り口から風が強くなりはじめた。電車が近付いているのだろう。

 早くしなければ、電車の出発と共に空気が流れ込む。

 中に居ればニオイでここまで来ている事がバレてしまう。

『よし、入ろう』

 二人は別々の入り口から、同じ程度の速度で下まで降りて行った。

 エレナの居る側の方が、改札まで距離がある。カバンから出たストラップに手を掛けたまま、小走りに奥に向けて移動した。

 途中、トイレの前で速度を緩めて中の様子を感じ取る。生命反応は無かった。

 一方、壮介の方は改札の前まですぐに入った辿り着いた。

 エレナがまだ到着していない。西側を見ると、少し先の方に小走りでこちらに向かってくるのが見える。

 銀髪の姿は見えない。

 電車がホームに滑り込んできて、ゆっくりと速度を落とし始める。金属の擦れる音、それが止まった後の扉が開く音。

 壮介は、視覚聴覚両方に集中して辺りをくまなく探した。

 見えるところには誰も居ない。もう一度エレナの方を見て首を横に振り、改札の横から乗り出すようにしてホーム全体を見渡した。死角になる場所が何箇所か有り、全ては見えない。

 反対方向の電車も入ってきた。

 相手はどこにも居ない。そもそも、駅構内には駅員と、浮浪者が一人・・・

 壮介とその浮浪者の目が合う。

 ボロボロの服を着ており、髪も髭も伸び放題、酷い臭いが漂っている。

 浮浪者は少し怯えた表情をしていた。ポケットから一万円の札が見えていた。

 浮浪者は口をパクパクさせながら壮介に歩み寄ってくる。

「・・・あ、あんただな。きっとそうだ。銀髪の男にこれを渡すように頼まれた」

 浮浪者は、恐る恐る携帯を差し出した。

 臭いに顔をしかめた壮介の代わりに、遅れて着いたエレナがそれを受け取る。

 受け取ったと同時に電話が鳴った。

 通話ボタンは押したが、声は発さないことにした。そのまま回りを見回す。近くに居るのかもしれないが、しかしここからは識別できない。生命反応も、今近場に見える者以外には感じられない。

 近くに居るのは間違いないが・・・

『よぉ、久しぶりだな…』

 低い声、聞き覚えがある。間違いなく銀髪だ。

「回りくどいことしてくれましたね」

『それはお前だろう?』

 電話越しに銀髪の笑い声が響いた。電話機のスピーカーの音が割れている。

『まさか、狙い撃ちされるとはな。あの部屋、狙撃できるような場所は無いと思っていたんだが・・・』

「私も驚いたわ。あんなところに着弾するなんてね。運が"悪ければ"あなたに当たったでしょうね。外れて本当に良かったわ」

 電話越しに喋るエレナの表情は変わらない。が、声音だけは相手を挑発している。誰が見ても、感情ではなく演技だと分かった。

『運が"良くて"残念だったな』

 銀髪は笑いながら話続ける。

『それと、追い討ちに使うならもっと強い連中を送ってこい。片方は頭に血が上ってる、もう片方はド素人でしかも女。これじゃぁやる気も起きん』

「逃げた言い訳ですか?かわいいところがあるのね」

 エレナは、あれが決して協調していなかった事だとは言わない。少しでも相手に負担をかけられれば嘘でもそれで良いと思っている。

 お互い戦う事を望んでいたが、明らかにエレナは目的寄りの行動を取っている。

 エレナは"勝つ事"が目的だが、銀髪は純粋に"戦う事"を望んでいた。

『俺は、お前との決着を付けたいんだ。お前も俺を殺そうと思っているのだろう?余興は良い。戦おうじゃないか。ただし、その為には条件を出させてもらう』

「条件?」

『俺からの条件は場所だけだ。戦いの舞台に相応しい場所を用意する』

「罠があるかもしれないところに、行けると思う?」

『罠を仕掛けるつもりはない。信じるかどうかはお前次第だ。それに、その場でなければ俺は姿を現さないぞ。決着を付けたい気持ちは、俺よりむしろお前の方が上だと思うが・・・?』

 そう、エレナは平穏な生活を求めている。銀髪を倒せば暫くそれを維持する事が出来るだろう。長く続くかどうかは分からない。だが、ここを通らなければ先にも進まない。

 追跡者として優秀な敵でなければ、お茶を濁すような行動を取っていただろうが・・・

 エレナは壮介を見た。諦めたような表情をしている。

「・・・良いでしょう。連絡を待っています」

 用事が済んで逃げるように駅の外へ向かっていく浮浪者の背中を見ながら、そう答えた。




 遼二は薄暗い部屋の中で目覚めた。

 フローリングに転がっていたので体が痛む。体を起こして明かりがある方を見た。見覚えのあるシルエットが窓の外を盗み見るようにして立っているのが見え、遼二が体を起こすのと同時に振り返った。

「動ける?」

 声の主、沙季の抑揚の無い透き通った声が投げかけられる。少し冷たいような、いつもの演技がかった声とは違う。

「あぁ・・・」

 渋い声が沙季の方に返った。

 実際は頭がズキズキと痛んでいる。首も少し痛めたようだった。あまり激しく動く事は出来なさそうである。

 遼二は一撃で意識を飛ばされた事を思い返す。不意を突かれたとは言え、情けない話だと感じた。

 遼二は子供の頃から喧嘩で負けるような事はあまりしていない。ハンターをはじめてからもそれは変わらず、要するに圧倒的な力量の差による敗北を経験をした事がなかった。

 情けないとは思いつつも、悔しいと感じる以前に、その敗北を知る機会に対して素直に感謝する。自分はまだ強くなる。そう、自身の伸び白を確信した。

「大丈夫?」

 透き通った声が、今度は少し心配するような喋り方で聞いてきた。

「あぁ・・・」

 遼二は先ほどと全く同じ返答をする。負けた事に対する感謝をしているところなど、察して取られても気分が良くない。

 だが、沙季はそれとなく勘付いていた。遼二の性格を完璧に把握している訳ではないが、今回のような完全な敗北に対しては激昂するだろうと思い込んでいる。何か得たものがあったのだろうと、無意識に感じ取っていた。

「奴はどこへ行った?」

「分からないよ~、私スタングレネードで目回してたし」

 何も考えずに投げて目も耳も塞がない沙季の姿が用意に想像出来た。

 スタングレネードがどんなものかをちゃんと教えていれば、あるいは捕獲する事も出来たのだろうか。

 しかし、吸血鬼の回復力を持ってしても、敵が逃走するまでに正常な状態にはなっていない。最初からその対策をしていたか、それとも吸血鬼よりも遥かに回復力が高いか。

 何にしても逃がしてしまっている。考えるだけ無駄だった。

「仕方ないな。腹も減ったし、とりあえず帰るか・・・」

 そう言って、武器の詰まったカバンに手を伸ばす。それを、沙季が制した。

「さっき聞き込みが来た時は居留守使ったけど、まだ外に警官が居ると思うの。つい今さっきもそこらを歩いてるのが見えたし。・・・もう暫くここで待機してから出ましょ」

 沙季は窓から離れ、素早く遼二の隣に座った。

 必要のない程近い距離に。

 遼二の片腕にひんやりとした感触が触れ、次第に体温で温まっていく。

 真夏だと言うのに、何故か離れようとは思わなかった。吸血鬼の冷えた肌がそうさせなかったのか、別の感情が潜んでいたのかは分からない。

 近付いては離れていくエンジン音をいくつも聞きながら、遼二はまたその場で目を閉じた。

 安心感のようなものが感じられる。

 こんなのも悪くはない。そう、ハンターらしくない事を考えながら、また意識が薄らぎ始める。

 夢を見始めた。

 あの晩、沙季が遼二の寝室に入り込んだ時の夢を。

 お互い何かを話している。声は聞こえているのに何を話しているのかが分からない。ただ、この後目覚めたらまた独りになっているだろう、それだけは予感せざるを得なかった。

 眠りは深淵にまで落ち、次に目を覚ました時は明け方になっていた。

 外の世界からは鳥の鳴く声がこだましてくるようだ。

 遼二はゆっくりと目蓋を持ち上げた。

 見慣れない広い部屋が視界に入り、取って付けたようなカーテンが外からの風に揺られている。

 隣人は、寝た時と同じままの場所で、静かな寝息を立てていた。




 銀髪は既に目的の場所にしていた廃工場の中で横になっていた。

 連絡はまだ入れてない。

 満月を待っていた。

 満月は銀髪に大きな影響を与える。体力、持久力、回復力、どれも平時より増幅されるのだ。この状態であれば、複数人で来られても対処する自信がある。

 決戦のその時まで、この空間でどう戦うかを考えていた。

 よく映画の撮影で使われるような廃工場だが、隣接する棟がいくつか有り、そこをうまく使えば複数人を各個撃破出来るだろう。

 銀髪が横になったまま、出入り口の方に目をやる。

 知ったニオイがそこに立っていた。

 無表情で生真面目そうなその男は、眼鏡の位置を直しながら近寄ってくる。

 キャリングケースを引っ張り、生真面目は銀髪の近くまで来た。

「注文の品だ。これで良いか確認してくれ」

 銀髪がキャリングケースを開き、中を確認する。

「ああ、これで良い。助かる」

 生真面目の立っている位置は逆光になっており、銀髪はその表情をちゃんと窺うことが出来ない。が、何か様子が違う。それが何だか分からなかったが、銀髪の目には、生真面目の両肩から六枚の翼が生えているように見えた。

 目をぎゅっと閉じてもう一度開くとそれは消えていた。

 暫く生真面目の方を見続けて居たが、何も変わりは観られない。

「里見さん、あんた何者だ?」

 そう、問い掛けた。

「・・・何の話だ?」

 生真面目・・・、里見は惚けた様な返事をする。

「いや、何でもない。目の錯覚だろう」

 銀髪は荷物を一旦片付けると、そのまま横になった。

 まだ満月までは時間がある。



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