遼二は薄暗い部屋の中で目覚めた。
フローリングに転がっていたので体が痛む。体を起こして明かりがある方を見た。見覚えのあるシルエットが窓の外を盗み見るようにして立っているのが見え、遼二が体を起こすのと同時に振り返った。
「動ける?」
声の主、沙季の抑揚の無い透き通った声が投げかけられる。少し冷たいような、いつもの演技がかった声とは違う。
「あぁ・・・」
渋い声が沙季の方に返った。
実際は頭がズキズキと痛んでいる。首も少し痛めたようだった。あまり激しく動く事は出来なさそうである。
遼二は一撃で意識を飛ばされた事を思い返す。不意を突かれたとは言え、情けない話だと感じた。
遼二は子供の頃から喧嘩で負けるような事はあまりしていない。ハンターをはじめてからもそれは変わらず、要するに圧倒的な力量の差による敗北を経験をした事がなかった。
情けないとは思いつつも、悔しいと感じる以前に、その敗北を知る機会に対して素直に感謝する。自分はまだ強くなる。そう、自身の伸び白を確信した。
「大丈夫?」
透き通った声が、今度は少し心配するような喋り方で聞いてきた。
「あぁ・・・」
遼二は先ほどと全く同じ返答をする。負けた事に対する感謝をしているところなど、察して取られても気分が良くない。
だが、沙季はそれとなく勘付いていた。遼二の性格を完璧に把握している訳ではないが、今回のような完全な敗北に対しては激昂するだろうと思い込んでいる。何か得たものがあったのだろうと、無意識に感じ取っていた。
「奴はどこへ行った?」
「分からないよ~、私スタングレネードで目回してたし」
何も考えずに投げて目も耳も塞がない沙季の姿が用意に想像出来た。
スタングレネードがどんなものかをちゃんと教えていれば、あるいは捕獲する事も出来たのだろうか。
しかし、吸血鬼の回復力を持ってしても、敵が逃走するまでに正常な状態にはなっていない。最初からその対策をしていたか、それとも吸血鬼よりも遥かに回復力が高いか。
何にしても逃がしてしまっている。考えるだけ無駄だった。
「仕方ないな。腹も減ったし、とりあえず帰るか・・・」
そう言って、武器の詰まったカバンに手を伸ばす。それを、沙季が制した。
「さっき聞き込みが来た時は居留守使ったけど、まだ外に警官が居ると思うの。つい今さっきもそこらを歩いてるのが見えたし。・・・もう暫くここで待機してから出ましょ」
沙季は窓から離れ、素早く遼二の隣に座った。
必要のない程近い距離に。
遼二の片腕にひんやりとした感触が触れ、次第に体温で温まっていく。
真夏だと言うのに、何故か離れようとは思わなかった。吸血鬼の冷えた肌がそうさせなかったのか、別の感情が潜んでいたのかは分からない。
近付いては離れていくエンジン音をいくつも聞きながら、遼二はまたその場で目を閉じた。
安心感のようなものが感じられる。
こんなのも悪くはない。そう、ハンターらしくない事を考えながら、また意識が薄らぎ始める。
夢を見始めた。
あの晩、沙季が遼二の寝室に入り込んだ時の夢を。
お互い何かを話している。声は聞こえているのに何を話しているのかが分からない。ただ、この後目覚めたらまた独りになっているだろう、それだけは予感せざるを得なかった。
眠りは深淵にまで落ち、次に目を覚ました時は明け方になっていた。
外の世界からは鳥の鳴く声がこだましてくるようだ。
遼二はゆっくりと目蓋を持ち上げた。
見慣れない広い部屋が視界に入り、取って付けたようなカーテンが外からの風に揺られている。
隣人は、寝た時と同じままの場所で、静かな寝息を立てていた。