平行世界のOntologia

著 : 柊 純

Act06:Judas


 ミシェルの突きがヤンキーの胸部をえぐった。

 回転を掛けずに剣を押し込む。ヤンキーの傷口がカァッと熱くなっているだろう。顔をしかめている。

「ラザール、代われ!」

 別の従者が横からミシェルに斬り込む。ミシェルが剣を相手から抜いてそれを弾いた。あまり広くないので、避けることができない。受けるしかなかった。

 パキュンという音が鳴り、受けた剣に電撃が走る。剣を中心に黄色い電気が走るエフェクトを発した。

(魔法剣!?)

 一撃の威力は小さいが、色々な属性が付いた攻撃が繰り出せる。

 魔法剣を使えるプレイヤーは多くない。

 実戦で使うにも難易度が高く、剣と魔法のスキルを両方維持していることが必須条件となる。不意打ちに使うならともかく、普通の戦闘でまともに使用することは考えにくい。実際に、ミシェルも初めて見る技能だ。

 避けようとするなら、難しい状況ではなかった。

 狭くなければ。

 ミシェルの体が軽度の麻痺状態に陥り、動きが鈍る。よろめく様に、構えたまま数歩下がった。何か棒の上にでも立っているような感じになっている。

 体に力が入らない。

「ヴァンサン、俺の獲物だ!」

 抗議するヤンキー・・・、ラザールを尻目に、ヴァンサンと呼ばれた従者が斬撃を繰り出す。それを、後ろに尻餅を付いて何とか交わすと、剣を前突き出したまま、ジリジリと下がる。

 剣を持つ手に力が入っていない。

「かわいーなー、造り込みされたアバターは良いわー。これ、リアリティーあるから興奮すんだろ」

 ヴァンサンに並んでラザールが前に出る。鼻息が荒い。

 運動に対する呼吸は荒くなりづらい半面、精神の高揚に対する呼吸は荒くなりやすい。えげつない設定だ。

 ミシェルの体力を表す数値は残りすくない。三分の一しかないから、大技一発でアウトだろう。

 しかも、軽度の麻痺状態で身体が思うように動かない。

 力が入らず、全身が膨らんだような感覚だ。

 ハラスメントフィルターがあるから、そういったことにはならない。しかし、形は違えど、精神的にはなぶられ蹂躙されるようなものである。

 屈辱感と苦しさが混じったような複雑な表情になる。

「良いね、そういう顔」

 ラザールの爪がミシェルの剣を弾き飛ばす。

 飛ばされた剣は、数メートル先の壁に刺さった。

 ミシェルは今、回復系のアイテムは持ち合わせていない。それに、魔術には縁がないから、自己回復も使うことができない。

 無防備な状態。そこにヴァンサンの剣が突き立てられる。痛みはなく、熱せられた鉄ベラを挿入されるような感覚である。

 左胸に突き立った金属プレートは、ゆっくりと傷口に押し込められた。

 目の前の二人は、昆虫の手足を分解する子供のように、純粋な悪意でミシェルを見ている。

 ユルユルと体内に入り込む異物感に吐き気をもよおす。だが、仮想世界では胃袋からは出るものがない。

 滴る血の流れは、傷口のある場所にお湯をかけられているようでリアリティを感じなかった。

 体力値がジリジリと下がるのを見て、ミシェルは呻き声を出した。

 その声に、二人は下卑た表情をする。

「良い声だ。ボイスプラグの037-Bってとこか?」

「来栖菜々美だな、趣味良いわ。俺、ファンだったんだよ。事故で死んだみたいだけど。そんな声で呻かれたらそそるっての」

 ラザールがゴクリと喉を鳴らす。

「何か裏技とかでフィルター外せないの?俺もう我慢できないよ」

「バカ言うな。外せたらとっくにヤッてるから」

 ミシェルが二人の会話を聞いて、キッと睨み付けた。

 心の奥底から、吹き上がるマグマのような怒りを感じる。

「何も・・・、何も知らないクセに!」

 麻痺が一段階軽くなっている。

 体が何とか動く。そう気が付いた瞬間、ミシェルは、剣を掴んで力づくで引き抜こうとする。が、逆に力を込められてしまい、鋭い切っ先が肩甲骨の内側へ貫通した。

 床に突き立つのが感じられた。

 星の散るような視界効果が発せられると、カッと傷口が熱くなる。吐血のエフェクトがかかり、無駄なものを用意するなと憤った。

「バカ、暴れんなよ。死んじまうぞ!楽しめなくなるだろーが!」

 体力値が残り数ミリ、剣が動けば終わる。出血状態なので、何もしなくても五分と持たないだろう。

 このまま終わる。

 自分の育てたキャラが消える。

 だが、ずっと一緒に過ごしてきた友人を助けることができた。悔いは残るかも知れないが、何もできずに負けた訳ではない。

 時は掛かるかもしれないが、また一から育てて仇を打てば良い。

 ミシェルが覚悟を決めた瞬間、魔法石の砕ける音と大きな光の幕が広がった。

 光の糸で編まれたレースのような何かに包まれ、体力ゲージが回復する。

 回復が完了する前に、タクヤが飛び込んできた。姿勢が低い。本気で戦う時にしか見せないものだ。

 一瞬タクヤの顔が見える。どちらかと言えばいつもニコニコしているが、完全に無表情であった。

 タクヤの抜刀と共に、ヴァンサンの腕に刃が通る。まるでホログラムに斬りつけるように、音もなく閃いた。

 分類で言えば"日本刀"でしか実行出来ない"居合い"である。

 剣を持った腕が切り離され、ヴァンサンが倒れる。戦力が逆転し、ラザールは躊躇せずに窓から飛び出した。

「ミシェル、大丈夫?」

 優しく微笑みかけるタクヤに、ミシェルは照れ笑いを返す。

「危なかったけど、大丈夫。助けてもらったから」

 深々と刺さった剣を抜き、腕ごと投げ捨てた。

 次に、カヤとティムが転がり込んでくる。どちらも体力値がかなり減らされていた。

 カヤの左頬に大きな切り傷ができている。ここが仮想世界で良かったと、ミシェルは心底ホッとする。

「あっという間だわ。一階はほぼ制圧された。エレノアとサラハはまだ外で戦ってるけど、あの二人も危ないかもしれない」

「いや、あの二人だけは別格だよ」

 こんな状況でも、タクヤは笑っている。心配する素振りすら見せない。

 それがミシェルの安心感に繋がり、安堵のため息が口から漏れた。

 それに気付いたタクヤがミシェルの頭をワシャワシャとかき混ぜる。

 心のどこかでモヤモヤとした何かを感じながら、ミシェルは笑顔を返した。

「あれですね、『本物の格闘家は、戦いのセンスにおいて、この世界では本物の強者である』朱雀のギルドマスターでしたっけ?」

 ミシェルはツカツカと部屋の角まで行き、壁に手を当てて力を込めて自分の剣を引き抜く。踵を返して元の場所に戻り、座り込んでいるヴァンサンに切っ先を向ける。

 睨み返されたが、元より臆する相手ではない。

「ミシェル、ほっとこう。それよりケインが下で食い止めてる。突破される前に裏から飛び降りて逃げるよ」

 カヤが、部屋から出ようとしている。

 ケインは聖騎士である。ギルド内随一の防御力を誇り、プレイヤー同士の戦いでは負けたことがなかった。今も階段前に陣取り、一歩も引かずに応戦している。

 防御系ステータスを中心に上げているので、敵を倒すには苦労をしているようだった。盾さばきに関しては眼を見張るものの、剣技については心もとない。ケインにとっては剣も防御用の装備なのだから、仕方がない。

『エレノア、サラハ、逃げるよ』

 テレパス機能が、ギルドメンバーの脳内に声を響かせる。それを機に建物の外で激しい音が鳴り、土煙が上がった。重たい地響きが建物にまで響く。

「もしかして、もう他に残ってないの?」

 ミシェルがカヤに問い掛けると、

「みんなロストした」

 とだけ答え、反対側の、カヤ自身のマイルームに入って行く。寂しげな背中が、いつもより小さく見えた。全員それに続いて入る。

 暗く、非常に質素な部屋だ。

 ミシェルは、隣にあるセシリーの部屋には遊びに行くことが多い。対称的で明るく、ヌイグルミや置物で溢れた部屋だ。二人の性格の違いがよく分かる。

「こっちも居るけど、強引に行けば何とかなりそうね。みんな、一旦回復を済ませて」

 窓から外を見た後、貴重な回復アイテムを配る。全員がそれを使い、部屋中に柔らかな光が満たされてゆく。ミシェルの傷が、装備の破損と共に閉じた。

『準備は良い?』

 カヤの問いに各々が頷くが、ケインだけが、

『先に行ってください』

 とだけ返答する。

 もしかすると、この拠点を墓場にするのかもしれない。ミシェルが止めようと口を開きかけたが、

『必ず追い付いて』

 そう、カヤが冷たく言い放つ。

 一人でも多く逃がすためなのは、何となく分かった。だとしても、喋り方に凍るようなものを感じる。

 その言葉の裏に何かが見え隠れしていた。


 窓ガラスが割れる音がし、建物背面に居た部隊が武器を手に取った。

 飛び降りてくる相手を狙い撃ちしようと、三人のアーチャーが大弓を構える。

 弓がしなり、ギリギリと音を立てて矢尻が下がる。射手の力量によっては、皮鎧ごと貫くだろう。

 大弓の兵を裏側にのみ配置した理由は、逃走を想定したからだろうか。

 だが、相手は建物の右手から現れた。

 赤茶色のポニーテールが、走るリズムに合わせて跳ね狂っている。

 表には殆どの兵が配置されていたはずなのに、現れた人物には傷一つなかった。

 慌てて矢を向けるが、時既に遅く、風と共に間合いに入られている。下からの拳をモロに浴び、一名の身体が中に浮く。浮かされた射手は、その高さに目を全開にした。

 残りの二人が倒されるのを、その射手は空中で見ることになる。あまりの現実離れした光景に声も出ない。

 残りの射手は、一方が気功系の技で放った矢ごと突き飛ばされ、もう一方は頚を蹴られて数回転した。

 どちらも投げ捨てられた人形のようである。

 そして浮かされた射手は、落ちるところを何かに斬りつけられて戦闘不能状態となる。

 次に視界が安定した後、動かない右半身が目の前に落ちており、その向こうの建物の二階から数名が飛び降りる。

 ホームへの帰還を問うメッセージが出て、ようやく自分の状況が把握された。

 ある武術大会がある。定期的に開催されるその大会には常勝の老人がいた。正に妖怪と例えられるような男で、造れる最大までの皺やシミを使った背むしである。

 ボス級モンスターのような力量で他を圧倒していたが、ただ一人だけ互角に闘った女が居た。

 たまたま観戦していて印象に残っている。

 訳を説明すれば許されるだろう。

 そう考え、射手はホームに戻って行った。


 気晴らし程度にはなったのか、エレノアの表情が幾分柔らかくなっている。

 実世界ではあり得ない動きに減らないスタミナ、本物の戦闘経験が作り出したバトルマシンは、その能力を発揮できる場所があまりない。

 それだけに、不本意ながらも、今回の戦いは彼女を満足させた。

「正面の敵が裏手に来る。すぐに逃げるよ」

 カヤが、辺りに居る数人を斬り伏せながら走り出し、全員がそれに続く。

 元々精鋭揃いであったので、数の少ない裏手の兵では止めることも能わない。正面の兵が裏手に回る頃には、全員裏山手前の森の中へ消えた後であった。

 それほど深くはないが、 入れば追うことも難しい。

 二階の窓からジンがその光景を見届け、全軍に追撃停止の指令を出す。

『全軍、所定の位置へ戻れ。被害状況と、敵のロストキャラ数を報告。生き残りの戦力を算出したい。各小隊長は奴等の能力とスキルを持って来い。オブザーバーと今後の戦い方について作戦を練る』

 そう言った後、窓に寄り掛かって後ろの人物に向けてニヤリとしてみせた。

「楽しい茶番だったなー、聖騎士様よ。もう抜け出すことは出来ねぇぞ、良いな?」

「何かあるとは思ってましたよ。ただ、あんな見た事も聞いた事もないアクセサリーがあるなんてね、度肝を抜かれました。まぁ、楽しい茶番でしたね。・・・抜け出す?とんでもない。私もこんな小さなところに納まってるつもりはありませんからね」

 そう言って、持っていた盾を背中に背負い、剣を鞘にしまった。

「完全にバレてると思うぜー。鋭そうなのが居たからな。トロそうなのも多かったけど」

 ジンが口笛を吹きながら、AngelHaloの面々が飛び込んで行った森の方を見た。

 そこには、風に撫で動かされる木々が、紅葉しかかった葉を不規則に左右に揺らしていた。

 青竜の標的として一番最後になるであろうAngelHaloが、こんなに早く片付くとは考えていなかった。

 被害は甚大。しかし、辺境方面軍本隊が合流すれば問題はない。辺境方面の副司令官から司令官になる日も遠くはないだろう。

 ジンは幸先の良さに、満足気な鼻息を噴出した。

 後は、現在の司令官をどう追い落とすかだ。

 料理方法を考えるのは苦手だが、見返りがあるとすれば、それもまた楽しいものだ。ジンはそう考えた。


『ハイロウ全メンバーへ。集合場所は、ストーンブレッドから真っ直ぐ北方面へ一時間ほど行った、廃墟になった教会の礼拝堂に。各自追尾には気を付けて』

 カヤの声が、生き残ったギルドメンバー全員に行き渡る。

 目的地は、セシリー達が飛んだマーキング先とストーンブレッドの中間より二時間ほど南にある。

 この近辺は廃墟になったものが密集しており、NPCだけの小さな村が一つだけある。一帯が森になっており、地形は迷路のようになっていた。

「カヤちゃん、あの辺りって地形が複雑なとこだろ。もしかして、この人数で決戦でもするつもりかい?」

 カヤは、サラハの問いに返答をしない。代わりに、タクヤが答えた。

「AHが出来て間もない頃ってさ、ストーンブレッドじゃなかったんだよ。今言った廃教会近くにクロワッサンって小さな村があってさ。そこに小さな拠点を構えてたんだ」

「タクヤ、黙ってて。・・・今タクヤが言った通り、あの辺の地形には私、セシリー、タクヤは詳しいの。戦うにしても逃げるにしても有利だわ」

 少し見晴らしの良い場所に出ると、カヤはギルド拠点の方へ振り返る。見た目は何も変わらず、チーム規模にしては立派な建物が遠くに見えた。

 この位置からでは青竜の追撃があるかどうかは見えない。

 ギルドの人数が減ったことによって千里眼を失ってしまった今、肉眼で辺りを見回すだけしかできない。

 見たところ、まだ拠点付近に人影があるように見える。それも、数は襲撃があった時よりも倍増しており、戦いの準備は整えられていると見えた。

「まだまだやる気みたいね。本当、厄介なのに目をつけられましたねー」

 ミシェルが同じ方を見てため息を吐く。

 左胸の傷痕がまだ残っている。回復がしきれていないのだろう。カヤ自身も全快には至っていない。だが、もう回復するだけの魔法石も、回復魔法を唱えるだけの魔法力も残っていない。

 どこかでアイテムを補充して、その他のステータスの回復に努めなくてはならないだろう。

 ギルドを殲滅するまでしつこくやってくるのであれば、暫くログインしないでやり過ごすか、噛み付いて痛手を負わして追い返すか。

 後者を選択するのであれば、今は土曜であるから一日の猶予がある。

 セシリーの判断であれば、間違いなく噛み付くことを選択するであろう。

 カヤには、近隣ギルドへの人脈がある。

 それは、カルロスやシェミハザの近くや、縞猫団内部にもいる。うまくやれば、青竜の一部隊を噛み殺せるだけの人数を集められるかもしれない。

「みんな、この先は道案内するから、はぐれないで付いてきて。それと、残りのメンバーでテレパスの能力があるのはサラハだけよね?以降、遠方を含めてしまうので、ギルド内会話は禁止。今の面子だけでパーティーを組んで、その中だけで話をすること」

 カヤの言葉に、その場に居たメンバーの殆どが、ケインへの疑いを察知した。そして、この後の青竜の行動次第では、サラハも同様に疑いがかけられる。

「ゾッとするなー・・・。言っとくけど、裏切りは絶対にしないからな。俺、カヤちゃん好きだし。って言うか、付き合ってよ」

 サラハの言葉に、何故かエレノアの"殴り"が入る。

 と、その場の雰囲気が少し和やかになった。



top