平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act20:カノジョさん


 夜道、雪が降った直後の白い街並み。

防具袋と竹刀袋が揺れている。

微かに薫る汗の匂いが漂い、フワリフワリと吐息が漏れていた。

 身体がぐったりとしている。 

 あれからもうすぐ一週間、希は毎夜道場に通い続けていた。

 月曜日以降、イザヴェルにはログインしていない。と言うよりログインするだけの気力がなかった。

 身も心も体力を使いきって、帰ったら死んだように寝てしまうのだ。

 元々知ってはいたが、身体を動かすのは心地好い。疲れきって泥のように寝るのは気持ちが良かった。

 寝る前の気だるさと、目覚めのスッキリした朝が病み付きになる。

 稽古の激しさは、本日終始相手をしてくれた館長が「年なんだから勘弁してくれ」と言うほどにキツいものだ。特に土曜ということもあり、館長が特別力を入れて相手してくれた。

 館長も年なので、いつもは和枝に相手して貰っている。昔から強かったが、和枝の動きにはついていくのが精一杯である。

 女の身でありながら館長に近いレベルで動く和枝を相手に、今は一本も取れない。こんなことでは、先輩、藤堂正輝には指一本触れられないだろう。

 無茶な挑戦をした。

 来るかどうかすら分からなかったが、とても後悔していた。

 大きく溜め息をついてコンビニに入ると、ホットの緑茶を持ってレジに向かう。

 そこで固まった。

 正輝の部屋に居た女が立っていた。

「いらっしゃいませー、あら?」

 あの時見えた乳房が、脳内にフィードバックしてパニックに陥った。まるで、トイレを開けたら座っていた。そんな感覚に近い。

「す、すすすす、すみません間違えました」

 左を向いて外に向かおうとしたが、お茶を持っているのを思い出してレジまでダッシュで戻る。

「あの、お会計!」

 女はそれを見て爆笑した。カラカラと心の底から笑っているような姿を見て、少しだけ冷静になる。無駄に慌てて取り乱した自分が恥ずかしい。

 人懐っこい笑顔で、目元がハッキリした元気なタイプだ。

「こないだ正輝のとこにきた人だよね」

 あっけらかんと言うと、

「肉まんどう?」

 と、聞いてきた。

 ニコニコとしているのは、決して営業スマイルではない。相手は確実に好意を持って希に接している。

「あ、え?はい、いただきます」

 勢いで答えてしまう。

「あ、いやいやいや、やっぱり要らない」

 すぐに訂正したが、腹が鳴る。恥ずかしくなり、カッと顔が熱くなった。

 耳まで赤くなっていたらどうしようと思っていると、女は笑いながら、

「まぁまぁ、奢るから」

 と、アツアツの肉まんを取り出して希に渡した。

「ねぇ、ちょっとそこで待ってて、私もう終わりなんだ」

 制服に手をかけながらスタッフルームに入っていく。

 暫く唖然として突っ立っていると、口に火のついていないタバコをくわえて出てきた。

「あ、肉まんちょうだい。私も食べたくなった。あれの分も一緒にお会計ね」

「何?友達?可愛いね。紹介してよ」

 と聞く男性店員に、

「ダーメ」

 財布を開きながら、チロリと舌を出す。

 金額ピッタリの小銭を置くと、希の腕をつかんで逃げ出すように外へ連れ出た。

 凍るように冷たい外の空気に頭が冷やされ、希は大分落ち着いてきてはいたが、今の状況をどうするべきか分からずに困り果てた。

 女の顔が、希を覗き込んだ。

 ゆるふわボブに、色の濃い赤茶色をしていて、香水の香りが漂っている。普段自分が使っているのと同じものだ。

 自分は汗のニオイがするので、急に恥ずかしい気分になる。

「カズの道場のとこの子だよね」

 和枝の名前が出た。驚きを隠せず、目を白黒させてしまう。

 カズと略称を使うくらいだから、互いにある程度知っていて、近い存在なんだろう。

 和枝と正輝に近い友人はほぼ知っているはずだが、目の前の女は見たことすらない。だとすると、和枝とは良い仲ではない可能性もあるのではないかと考えた。

「懐かしい匂いがする」

 あまりにも冷えるので、帰ってからシャワーを浴びる予定だった。身体中から、防具に染み着いた潮のニオイが漂っている。

 この女も、剣の道を通ったのだろうか。

 顔を近付けてスンスンと鼻を鳴らされ、慌てて遠ざけた。

「まぁまぁ、肉まん食べて」

 女は、タバコを手に持って自分の肉まんを頬張り、コンビニ前の車止めに腰を下ろした。

「あ、あの、そうだ、お金!」

 財布を出そうとする希に、「奢るから、ここ座ってよ」と言って、隣の車止めを指差す。

 きっと、何しても受け取らないだろう。そんなタイプに見える。

 女は、渋々と座る希の方を見ながら、

「正輝のこと好きでしょ?」

 と呟いた。

 希は首をブンブンと横に振って否定の意を現すと、大きな口を開けて肉まんに噛み付く。口の中に味が染み渡る。

 どうも相手の顔を見れない。が、少し勇気を出して聞いてみることにした。

「あの・・・、先輩とはどこで?」

「んー、最初は大会で。その時は見ただけだったけど」

 やはり相手が剣道に関係していると、その一言で判断してしまう。

「剣道、されてたのです?」

「うん。最後にカズに負けるまで、ね。自分に絶対の自信あったんだけど、怪我しちゃってさ。その後の対戦相手にカズが当たったの。嬉しいことに、手加減まるでなしでね。最後の一本で脳震盪」

 自分の頭をビシッと叩いて見せた。

 肉まんを口に押し込み、モグモグとさせる。豪快な食べっぷりだ。

 和枝は確かに強い。何度か全国にも行っている。

 だが、全盛期の希も近い実力があった。大会にも出ず、段も取ろうとはしなかったが、まともにやっていればかなり行っただろう。

「中学の時にも当たって、負けたんだよね。成績的な話で言えば私の方が遥かに上だったはずなのに。相性かしら・・・?」

 声のトーンが下がった。

 遠くから聞こえる救急車の音、近所の家の扉が開閉する音、トラックが走ってきて、また遠ざかる音。

 最後のエンジン音が耳に煩い。

「あなたのこと、先輩が口説いたの?」

「逆。私からだよ。正輝が大会で優勝した時の試合見てて、その時は一目惚れ。暫くしてから再会して、・・・今は、なんか惰性で一緒に住んで身体重ねてるだけみたい。付き合い始めてまだ一ヶ月くらいなのにさ」

 沈黙があった。

 猫が、向かいの民家の塀の上を歩いて行った。静かになったところに、男性店員が出てきて女にホットの缶コーヒーを差し入れに来る。

「これ、やるよ。風邪ひくなよ」

「ありがとう」

 カシュッと音を鳴らして開けて、喉を鳴らして飲んだ。

「ぬるい!」

 コンと音を立ててアスファルトに置いた。

「正輝の剣が好きだったのに、オンラインゲームなんかにうつつ抜かしてさ。そうなる前に再会したかったな。ま、あっちの世界で再会したんだけどね。あ、そうだ。正輝とカズが別れたの、私のせいじゃないからね」

 タバコに火を点けて、深く吸うと、ふぅと大きく、空に向けて吐き出す。

 チョコレートのような臭いのするタバコで、辺りが甘い香りにつつまれた。

「また、正輝の剣。観れるのかな」

 膝を抱えて小さく前後に揺れる。

「一方的だったし、先輩、多分来ないと思う」

 うんうんと頷きながら、希の方に顔を向けた。

「協力する。絶対に道場に連れてく」

 と、とてもよく通る声で言った。

 ライバルで、カレシの元カノがいる道場に連れていく。それはかなり勇気がいる行動ではないだろうか。

 隣に座る女は、自分や和枝と同じく、正輝の剣に惹かれたのだ。

「あ、ありがとう・・・」

 自然とお礼の言葉が出た。

「そうだ、名前教えてよ。私は小早川奈緒」

 和枝が全国大会に出た前の年の覇者だった。

 あまりに鮮烈な動きに、憧れすら抱いた人物だ。数年経った今でもよく覚えている。

 翌年、和枝が当たることを知った時、勝つことはできないだろうと思えたほどだ。

「芹川です。芹川希」

「宜しくね、希ちゃん」

 強引に手をつかまれて、ブンブンと振られた。

 第一印象がアレだったが、悪い人ではないだろうとホッとする。

「あ、そう言えば、小早川さん。オンラインゲームって・・・?」


「おい、お前。何で付いてくんだよ」

 ストーンブレッドのカフェの一角。

 仏頂面のバサラと、笑顔のヨハンが並んで座っている。その向かいに、さも当然そうに座る女剣士の姿があった。

 澄ました顔をした女剣士は、真っ直ぐバサラの方を見る。

「興味がわいた。私ね、この世界で剣術で手玉に取られたの初めてなの。自分の腕に大きな自信があったの。ああもあっさりとやられちゃうとね。それに、あなたは私が現実世界で好きな男性に似てる気がする」

 女剣士は、かなり落ち着いた喋り方をしている。

 バサラは、仕方ないと言った様子で腕組みした。

「好きな男性って、後ろから蹴り入れるような男性ですか?」

 ヨハンが笑っている。

「それは別。あれは頭きたよ。剣技と、自由な感じ?なんか似てる。・・・私は白虎のアシュリー。暇を持て余してるから、暫く同行させてもらいます」

 高威力の光弾を弾いた技は、白虎が持つ独特のスキルだろう。

 発動のプロセスから考えると、本体に常時掛かっている絶対防御のスキルとはタイプが違う。

 別途正面に集中して盾を形成することから考えて、幾つかの既知のスキルが候補に挙げられると言えた。

 撃ち込まれた光弾は、この世界で使用される通常の武器から発せられたものではない。

 あれ程の威力を見れば、まず最初に考えられるのがロストテクノロジー系のものだ。そこから考えられるのは、通常の盾系スキルではない。

 四神ギルドは、裏技的な技を隠し持っている。その一つではないかと推測できた。

 公に発表されないが、一部のメンバーにはその技を習得させることがあり、バサラも同じような系列のスキルを持っていた。

 各々数種類存在するが、概ね五行思想によるものが強い。

 朱雀は火の属性で軍神、攻撃力に変化を与えるもの。一撃に込められる威力が大きく上がる。

 青竜は木の属性で雷神でもあり、速度に関わる。潜在的な速筋力をアップし、詠唱にも関与する。

 白虎は金の属性で戦神、堅固な防御力を持つもの。行使しなくてはならないが、絶対防御を凌駕する防御力を持った盾となる。

 玄武は水の属性で知恵の神、そして生命の源になるもの。回復力に関する効果が上がる。

 すべて五行思想と北欧神話の要素が関連付けられて設定されていた。

 この他に、未実装ではあるものの、土の属性で万物の育成に関わる能力がある。

 土の属性は季節の変わり目を表すこともあり、四神を統べる位置にいるようではあるが、企画上は特に決定はされていない。

 これ以外にも、各ギルドマスターは各々が「チート」と言えるほどの特殊能力を持っている。が、それは近くの者にしか知られていないようだった。

 また、四神のメンバーでも、バサラやアシュリーのような特殊な能力を持つものは少ない。

 特別な能力を持つと言う事は、白虎のマスターに気に入られたのか、それともイザヴェルに関わる仕事をしている者か。

 先ほどの動きから察するに、技術的な面で気に入られたのだろう。

 どのような形であったとしても、女剣士・・・、アシュリーが特別なプレイヤーであることに違いはない。

「・・・俺の邪魔すんなよ?」

「いいわ。邪魔はしない。故意じゃなくそうなったら、言って。気を付けるようにするから」

 とは言うものの、バサラに次の予定はない。

 未知の特殊技能に対する、防御策として可能性のあるものを見る事ができた。だが、それを自分が得ることはできないだろう。

 絶対防御と完全防御の違いは、絶対は防御しても貫通してくるものがあり、完全防御はその名の通り完全なる防御を持って、この世界全ての攻撃を防ぐ。

 完全防御はユニークな存在と考えられ、どこかで修得が可能なものではない。

 朱雀のレイラ以外に、同等の能力を持ったものがもう一つだけ存在すると言われている。しかし、どこにあるのか皆目検討もつかない。

「ヨハン。適当に何人か呼んでくれるか?」

 この近隣には、まだ踏破されていないダンジョンが多数ある。ダンジョン系は、運が良ければ何か面白いものが手に入る。

 あるかどうかも分からないが、とりあえず暇潰しも兼ねて入ってみようと考えた。


 セシリーは、ストーンブレッドから東に位置する山間部の町に来ていた。

 ここはもう、青竜の勢力圏内だ。青い軍服を着たプレイヤーが多数居る。

 先日のこともあったので、フード付きの装備で顔を隠し、武器は仕込み杖を持った。パッと見は魔道士のように見えなくも無い。

 町外れに個人持ちのハウジングがある。

 それ程大きくはないが、人が一人住むには十分な広さがあるように見えた。

 青い色の屋根を見ると、青竜関係者の持ち物なのだろうかと想像できる。紋章は入っていないが、全体的な色使いがそのままである。

 セシリーは、扉の前に立ってノックするかどうか悩んでいた。

 自宅に帰る途中にコンビニで会った"小早川奈緒"の、イザヴェルでのアバターがここに居るらしい。

 居場所を聞いて、青竜所属のプレイヤーであることは予想はしていたが、いざ来てみると勇気が持てない。

(まだこっちの名前知られてないし、やっぱり帰ろうかな・・・)

 遠路はるばる来た割には、あっさりと帰る気になる。

(・・・挨拶するにしても、心の準備くらいしても良いよね。近くのカフェで少し休もう)

 踵を返してバッと振り返ると、そこに青竜の軍服姿の女が立っている。着ているのは将校クラスの軍服と思われる。少しデザインが細かく見えた。黒髪お団子ヘアーで背が高い。女性キャラとしては、セシリーはかなり背が高い方だが、同じくらいの身長がある。目が柔らかく、少しとろんとして潤んでいるように見えた。童顔で、身長とのギャップが感じられる。

 腕組みをし、首を傾けてジーッと見ている。

「希ちゃん?」

「あ、その声は、・・・小早川さん?」

 セシリーは声を変えているが、相手はそのままの声だった。

「挙動不審で、怪しさ爆発してたよ」

 カラカラと笑いながら、扉を開けて中に入る。

「お茶煎れるね。適当にその辺座ってて」

 嬉しそうである。

 中に入ると、フワリとバラのような香りが漂っていた。

「こっちではシビラって呼んでね」

 お湯を沸かしてから、奥の部屋に入っていく。暫くしてから、ワンピース姿で出てきた。

 限定コラボ装備だ。

 セシリーはそれと同じものを入手するのに、エラい苦労をした記憶がある。

「本当に来てくれると思わなかったよー」

 お茶を煎れて持ってきてくれた。

 この世界の中では、香りと暖かさ程度しか得られるものがない。が、こういったもてなしは嬉しいものだ。

「フード、取れば良いのに」

「え、あの、これは・・・」

 少し悩んでから、フードを外した。

「美人さんだ」

 嬉しそうにしているだけで、特に反応はない。

 先日の襲撃は、青竜全体が認知している作戦じゃなかったのだろうか。などと考えながらお茶をすする。

「どこに居るの?この近くなんでしょ?」

「・・・ストーンブレッド」

「ふむふむ。先週、急襲されたでしょ?大変だったよね。ゴメンね。私なんかも援軍加勢に呼び付けられたんだけど、朱雀とか介入しちゃったりして、なんか大変だったなぁ。エリカとか出張ってくると思わなかったよ。私の部隊の人、何人か撃たれるし」

 後から来た増援のメンバーなのだろう。

 先程の軍服を見る限りでは、一般のプレイヤーではないようだが・・・

 少なくとも、中心になっていた辺境方面軍の人間ではないようだ。

「さっきの装備見て思ったけど、ひょっとしてここら辺の責任者とかだったりするの?」

 恐る恐る、カップで口元を隠すようにしながら聞くと、

「副長やってるよ。青竜の」

 時が止まった。

 予想以上に高い地位の人物であることと、その位置に立っているということは、先日の作戦に関連する情報は色々と知っているだろう。

「もしかして、私のこと知ってます?」

「知らなぁい。そう言えば、なんて呼べば良い?」

 お互い面識もない。戦場でも顔を見られていないようだ。

 名前を出して反応を見てみようと考える。

「あ、えと、セシリーです」

「宜しくね、セシリー」

 セシリーのことを知らないようだった。

 先日の襲撃は、青竜全体での作戦ではなかったのだろう。

 現実世界同様、手を強引につかまれてブンブンと振られた。

 これであれば、どこかに誘って遊ぶこともできそうだ。



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