平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act28:それは死なのか


 バサラは、シビラの言葉を反芻していた。

『セシリーの中の子、誰だと思う?』

 昔の思い出と、よく後ろに乗せて走った時のことが、まだ最近のことのように鮮やかに思い出された。

 直接話し掛けてきたこと、セシリーの様子からは、まだ本人は気付いていないのだろうと考えられた。

『あなたがよく話していた子。この間、防具持って来た子。気にしてるんでしょ?あの後、素振りしてたの知ってんだから。竹刀出しっぱなしだったよ』

 意地の悪い顔をしていた。

 もしかして、妬いてたのだろうか。

『妹分なんでしょ?兄さんぽく助けてあげたら?』

 画面の向こう。竜が砕け散るのを見て、群がった連中が歓声を上げた。反面、座り込んで青ざめている連中もいる。

 青竜本部。

 集結した船が出航しようとしていた。

 競売所前で戦った後、全世界向けに運営のメッセージが発信された。そこには、何者かによるシステムへの攻撃と、ログオフ機能の停止についての事柄が含まれていた。

 また、五感機能の設定が書き加えられていることも同じく展開される。

 詳細を出さないことに、事態の深刻さが見え隠れした。

 バサラは、AngelHaloの仲間内の憶測に動かされたセシリーから、情報収集を依頼されていた。

 カヤが見当たらなかったが、慌てずに冷静な判断をすることができたようだ。バサラに情報収集を依頼した後、船ごと山間部に消えて行った。

 シビラが直接話し掛けてきた。

『まさき、ヨシツネには会えた?』

 まさき。そう呼ばれて、バサラは指を二本、頭に這わせた。

『いや、同じ船に乗ってるが、別の四神のマスターと会議中で部屋から出てこねぇな。どうせテレパス使うんだ。隠れんじゃねーと言いたい』

 船が動き始める。

『死地に向かうのに、連中楽しそうにしてる。痛覚があるの、分かってねぇみたいだ。想像力が欠如してやがる。大勢の犠牲者が出るぞ』

『四神がやることだから、何か考えがあるんでしょ?』

『外にいる連中と連絡取れるなら、まだ分かる。この状況でどうするつもりなのかわかんねーが、お手並み拝見だな』

 会議室の扉が開く。

 感情エフェクトを切ったであろうヨシツネが、無言で歩いて出てきた。

 この場に居るのは、ある程度以上の階級を持ったメンバー達ばかりである。日本人らしく礼儀正しく統制された将校達だ。

「先刻話した通り、四神ギルドは限定的に合併する。今回の主犯は、我々四神ギルドに対する挑戦状を叩きつけてきた。これに応戦することになったが・・・」

 チラリと数人の顔を見た。その中にバサラも含まれている。

 余計なことを言うな。とでも言いたいのだろう。見られた数人は腕を組んだり下を向いたりした。

「五感機能に書き換えが発覚している。痛覚が感じられるようになっているはずだ。激しい痛みを感じれば死に値する可能性も出てくる。対策は今練っている最中だが、戦いの場に着くまでにはなんとかする。外界との連絡のやり取りが出来ていて、今、開発チームでプログラムを組んでいるところだ」

(それが本当なら、もう組みあがってんだろうが。そもそも実装はされてなくても、存在するはずだ。完全防御が・・・)

 調べてきたばかりのバサラには、その言葉が真実であるとは到底感じられない。対策はある。根拠のない言葉は、以前自分がされたことが裏付けになって信用に値しない。

そしてそれは、朱雀のマスターであるレイラに、既に実装されている。

 ヨシツネを睨みつけるバサラに、本人は一瞥をくれた後、歩み寄り、耳元で小声で囁く。

「完全防御はロックが掛かっていてレイラ以外に配布できない。別の手段を考えているから、安心して戦え」

「また駒扱いか。上等だ、クソ野郎」

 冷徹な男に対するバサラの言葉は、周りの数人の耳にも入った。

 セシリーは、自分の船室で歩き回っていた。

狭い室内を、時計回りに何度も同じところを通り、何回か置きに外を見た。うっそうとした樹海の向こうには山脈が見えており、深緑の海に浮かんでいるのが分かる。

 カヤとの連絡が取れない。

 高いテレパス能力を備え、いつも必ずセシリーの話に耳を傾け、どんな時でも返事をしたカヤからの通信が全くない。

 ログイン状態になったままのカヤの名前を見て、不安な気持ちが溢れていた。

 くすんだ緑色の海原が、その不安を表現しているようでもある。

 カヤが姿を消してから、二十回目のコールを投げた。

 やはり反応はない。

 いる場所がスキャンできず、ネームが点滅を繰り返している。これがどんな現象なのか、誰もわからないようだった。

 心配なのは、痛覚開放と、死に至る痛みの存在。

 カヤに何かあったら、そう考えると落ち着けなくなった。

 突然脳内に着信音が鳴り響く。

「はい!」

 コールしてきたのは情報屋だった。

『セシリーさん、カヤさん見付けましたよ!レッドベルです。駐屯してる朱雀のフレからの情報なので間違いないです。信用できます』

「何でそんなところに?」

『場所が突然変わるって言うのは、先天的なバグじゃないでしょうか。イザヴェルがサービス開始されてから、そういった事象は何度か見られています。これはバグだと言われますが、私は運営の手が入っていると思います。証拠として、犯罪プレイヤーが説教部屋に飛ばされる時と同じエフェクトが見られているので。どちらも黙視で確認したわけではないので、証拠と言うのは少し言い過ぎですね・・・』

 それを聞きながら、セシリーは既にブリッジに移動している。

 バタンと扉を開け、中でくつろいでいたシビラに一言。

「レッドベル!」

 と行って北方を指差した。

 瓦礫の山と化したレッドベルに、ジンの頭が光り輝いた。

 まるで砂山のように崩れさった中央の建物を指差し、

「一撃で粉々になったぞ?」

 威力の違いはあれど、過去に自分が使った力と同じ性質のものだ。ジン自身にも備わっている。感覚的に、すぐにそれを理解した。

 他にも使えるプレイヤーが居るかもしれないという考えに至ったが、思考はそこで停止した。

 射出元に見えたのは、先週潰しにかかったAngelHaloのメンバーである。

 食いかかるワイバーンを素手で殴り落とした女が、呼吸を整えて構える姿が見える。そこへ向けて敵が群がり始めていた。

「シュラ、朱雀の駐屯部隊に連絡取って、あいつらの援護、救出へ向かってもらってくれ」

 ここよりずっと近距離な上に、ロングレンジでの攻撃が出来る。威力もあるので、護りきることができる。

 シュラは、自分が直接頼まれなかったことに不満げになりながら、

「フム」

 呼吸するように答えて、指を二本を額の端に当てる。

 暫く笑顔で会話をし、

「快諾。カガネ率いる朱雀隊は、全力で護衛に入るそうだ」

 口元を引き締めた。

 背後に青竜兵が集まり始めている。

 多くが絶望した表情をしていて、中には、動かなくなった仲間を揺さぶり続けている者も居る。

「痛覚開放から後、動かなくなったのはどれくらい居るんだ?」

「十五名程。で、残り九割が戦意喪失」

「戦えるのは?」

「我々の他に二~三人くらいだろうな。普段から遊んでたツケってやつだ。軟弱過ぎる」

「しょうがねーだろ。青竜で訓練してないんだから」

 敗戦して引き上げようとする軍隊の如く、覇気のないどんよりとした空気だ。

「続きはねーな」

 既に町は破壊され尽くされた後であり、大物も消えた後である。

 続きは、どちらにしてもないだろう。

 サラハがカヤを担ぎ、二人を守ってエレノアが拳を振っていた。集まり始めた敵のサイズ、強さが数段上がっている。倒せなくはないが、そろそろ取りこぼしが出てくる頃だろう。

 エレノアの額に浮き出ている大粒の汗が、彼女の心の中をよく現している。

 一撃必殺に至らない敵が出てくると、守りが崩れた。眠りに落ちているカヤに、ワイバーンの爪が迫る。必要以上に鋭く尖った鈍い金属光沢の先端が、エレノアのすぐ側を通り過ぎた。

 目の前の一匹を、頭蓋を砕いて振り向いて縮地で追う。取り逃したその一匹の尾を掴み、地面を踏みつけて引っ張り上げる。ワイバーンの体がグンと持ち上がり、そのまま投げ飛ばされた。

 しかし、努力は虚しく、矢継ぎ早に現れた次の相手を逃す。縮地の連続使用回数が限度に達してしまい、間に合わず突破された。

 攻撃を受ければ、死んでしまうかもしれない。

 通常であれば弱い敵でも、今の状況においては脅威である。そしてそれを理解しているエレノアの頭の中では、既に自責の念が生まれている。

 サラハがカヤを放り出して曲刀を抜く姿が、揺れる視界の隅に入った。到達した最初の一匹を斬り伏せる。が、群がる敵はそれだけではない。

 犬型のモンスターが大きな顎を横に向けて広げ、サラハの体をさらった。

 元が頑丈ではないサラハは、軽々と挟み込まれた顎の力にあばらを砕かれる。叫び声が耳に突き刺さった。比較的長い付き合いの中、初めて聞く本物の苦痛に対する悲鳴だ。

 次はカヤに。

 間に合わない。

 諦めつつも、回復した脚力で縮地を行使して、カヤに一番近付いた一匹をねじ伏せる。

 グシャリと犬型の目玉を突き潰し、脳髄まで貫く。抜き取った手刀から、ドロリとした赤黒い塊が飛ぶ。

 相手が生き物であれば、エレノアから距離を取って様子を見るだろう。だが、プログラムされた機械人形である奴らにはその行動が組み込まれていない。

 敵は、まず危険なエレノアを排除しようと向きを変えた。

「カヤ!目をさまして!」

 悲鳴混じりの叫びに、昏睡した少女の姿は動かない。

 応答したのは、風を切る音だった。それが、どこからか飛んできたロングレンジ攻撃であると気付くのに数秒掛かる。

 外れたものでさえ、地面を大きくえぐった。動かない方が良いことを理解し、カヤの近くで小さくなるようにしゃがんだ。

 敵の群れが面白いように弾かれていく。サラハを砕いた大顎も、だらりと力なく横倒しになっていた。

 その中には、目を大きく開いてエレノアを見ているサラハの姿があった。

 カヤを背負い、近くまで這って移動する。

 先程から何度も嗅いだ血の臭いと、まばたきすらしない仲間の姿に言葉すら失った。

 伸ばした手が、地面に垂れている。

 最期に助けを求めたのが分かると、さすがに涙が出てきた。

 腕を掴んで引きずり出すと、そっと目を閉じてやる。そして、そのまま抱きしめた。

 辺りが静かになり、付近のモンスターが掃討されたのが分かった後も、エレノアはそのまま動かない。

 あっけない終わり方だった。

 亡骸はまだ温かい。

 本当に死んだら、人間は冷たくなっていくのではないのか。

 中途半端なリアリティの追求が、エレノアの中に怒りとなって残った。

 カヤに視界が戻ってきた。

 エレノアが座って泣いている。その腕の中には、サラハが眠りについているように見えた。

 カヤの身体はまだ動かない。

 瓦礫を越えて、赤い甲冑に身を包んだ十数人のプレイヤーが向かってきている。その手にはライフルが抱えられていた。

 朱雀の兵だろう。先日見たエリカ率いる狙撃部隊と同じ装備だ。

 先頭に立つのはエリカではなく、髪をおさげにした、目つきの鋭い少女風のプレイヤーだ。甲冑にスカートではなく、赤く染められた、軍服風のレザーコートを着ている。携える銃が短く、普通より長めの銃剣がついていた。

 今居る部隊のリーダーなのだろうか、周りのメンバーに対して警戒するように指示を出したように見える。

 音が入ってこない。聴覚が正常に機能していないようだ。

 そのリーダー風の少女は、エレノアに話し掛けている。

 ただ肯くエレノアの肩に一度手を置き、周囲に一声掛けてからカヤを背負った。

 視界がまた途切れる。

 次に見えたのは、赤く巨大な船体。赤い装備と青い装備のプレイヤーが入り混じっており、疲弊しているのが感じ取れた。

 意識が飛び、次に目を覚ましたのはベッドの上だった。

 飛行船の中と思われた。

 頭をブンブンと振りながら、身体をゆっくりと起こした。

 内装がキレイだ。欧風の飾りつけがされていて、高級感があった。

 窓の外にAngelHaloの白い船が見えている。自分が乗っているのは、先程見えた赤い船なのだろう。

 扉が勢いよく開き、セシリーが入ってきた。室内の空気が揺れる。目に涙を溜めていた。カヤの顔を見ると、泣きそうだった顔を素に戻る。

「あれ、普通に起きてるじゃない。脅かさないでよ」

「え?本当ですね。さっきまで昏睡状態だったんですけど」

 先程のおさげ髪が、ひょいと中を覗き込んだ。

「何だか大丈夫そうなんで、私は戻りますよ。作戦会議みたいなんで」

「はい。ありがとー、カガネさん。助かりました」

 セシリーは目元を拭いながら、カヤの寝ているベッドの近くに置いてあるスツールに座った。

 真面目そうな顔になり、それから少し表情を暗くした。

「サラハが死んだっぽいって。他にも大勢居るみたいなんだけど、反応がなくて、ホームポイントにも戻る気配がないプレイヤーが・・・」

「・・・なんとなくそう思った。さっき一瞬視界が戻った時、エレノアがサラハ抱えて泣いてたの見えて・・・」

「本当に死んだと思う?なんか、私信じられなくて・・・」

 セシリーが、ギュッとベッドの端を握り締める。

「別室に寝かされてたんだけど、・・・まだ温かいの。エレノアは、まだ死んでない!って言い張ってて、でも、全身傷だらけなの」

「きっと、体が動かないだけで、死んでないんだよ。今は、そう考えることにしよう?よく分からないんだけどさ」

 脳裏には、入谷の弟が思い出されていた。

 自分が彼の立場なら、少しでも人を救おうとするだろうし、何らかの策を考えるだろう。だから、そうであって欲しいという気持ちになっていた。

「セシリーは、これからどうする?」

「戦う。もう、全世界に宣戦布告されてるんだよ。ハイロウのメンバーも士気高いし、四神ギルド中心に全面対決になると思う。作戦会議にはシビラさん行くって。顔が利くし、発言しやすいからって」

 まだ、痛覚開放の洗礼を受けていない。だから、止めるべきなんだろうと感じていた。それなのに、カヤの口から出てきたのは、

「分かった。私も全力で援護するし、思いっきりやっちゃって!」

 いつも以上に元気な明るい声が出ていた。

 違和感を感じたのだろう。セシリーはポカンとした顔で暫く黙ると、眉をひそめて首をかしげた。

「カヤちゃん、止めると思った・・・」

「止めても、もう、ここから抜け出すには、戦うしかないでしょ?だから、私はセシリーのことをただひたすら助け続けるだけ。それに、私にはその力がある。だから・・・」

 カヤは、セシリーを掴んで引き寄せると、その胸に顔を埋めた。

「暫くこうさせといて・・・」



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