短編集

著 : 田中 新一

トンネルをくぐれば…


 山奥の人の通らないところに、気味の悪いトンネルがあり、そこをゆっくり通ると“過去”の自分に出会えるという噂があった。

 ただそれはいつの頃の“過去”か分からず、もしかしたら会いたいと望まないときの姿かもしれないという。

 夏休み中、課題もまともに出来ていないのに暇をもて余していた中学生の小宮山君は、数人の友達を誘って、その噂のトンネルまでやってきた。


 こんな他愛ない会話をしながら…

「“タイムパラドックス”ってさ、知ってる?」

「過去を変えると、未来も変わる…、っていうヤツ?」

「そう、そう。…たしか、そんなヤツ」

「本当、ここ不気味なトンネルだよな。昔は学校の怪談なんかでさ、ここのトンネルは意思をもった“時間の管理人”だって話があってさ…」

「ああ、あれか。性格が、すんごく悪くって、その人が一番会いたくない“過去”を見せられたりする、とか…。例えば、初めてできた彼女に目の前で『別れましょう』って言われたときの瞬間とか…」

「うわ、キツ!?…て、俺たち全員“彼女いない歴=年齢”だから、関係ないよな、うん!」

「…、~、…」


 トンネルを通り抜けてみると、果して景色は変わってはいなかった。

 噂は嘘だったのかもしれないとがっかりして、友達たちと愚痴りながら麓の村に向かって、しょぼしょぼ歩いていた小宮山君の前を、小さな男の子が歩いてゆく。

 小宮山君にとり、見覚えのある姿…

 無理もなかった。

 それは、まだ彼が小学校の低学年だった頃の姿だったからだ。

 小宮山君は、その姿を見て思い出した。

 かつて自分がこの麓の村の学校に通っていた頃のこと、都会から地方に来てなじめずにいたこと、当時は背が低く太っていて、ひどいいじめにあっていたことなどを…。


 覚えている。

 この後の自分を。

 下校のときにいじめっ子たちに会ってしまい、残酷な、ナイフで切り裂かれるような鋭い痛みを纏った言葉をさらりと言われるのだ。

 思い出した。

 その言葉は何度も何度も小宮山君の心の中を回って回っては、ぐさりぐさりと突き刺さり、なかなか外に出て行こうとはしなかった。


 様子のおかしい小宮山君に、友人たちが何度も声をかけている。

 でも、小宮山君は全く気づかずに歩き続けていく…


 そして、忌まわしい時がやってきた。

 いじめっ子たちの心無い言葉に、ただ悔しさを抱えたまま通り過ぎる“小さな小宮山”君。その後ろから、いじめっ子たちが追いかけている。

 小宮山君は、そのいじめっ子たちに声をかけた。

 いじめっ子たちが立ち止まり、振り返る。

 きょとんとして、真っすぐ小宮山君の顔を見上げている、幼い小学生のいじめっ子たち。

(誰?…おまえ、“この人”しってる?)

 あと数秒もすれば、そんな言葉も聞けたかもしれない。

 でもそれより前に、小宮山君の大きな大きな手が、いじめっ子の一人の頬をとらえた。

 ぱーん、という大きな音が、ただ、ただ静かな沈黙を、その場にもたらした。

 やがて、何が起きたのか分からなかったいじめっ子たちが、だんだん膨らんでいく風船が、ぱちーん!と弾けるように、顔中をぐちゃぐちゃにしながら、泣き始めた。


 感情的になってしまった自分から逃げるように、小宮山君はトンネルの方に走った。

 何が起きたのか分からない友人たちは、うろたえながらも小宮山君の後を追った。


 トンネルの中。

 皆、何か言おうとして言いかけても、上手く言うことができずに、気まずい沈黙のまま、来たときと反対方向に歩き始めた。

 全員、トンネルを抜けて元いた時代へと戻り、元の生活へと戻っていった。


 トンネルの向こう側。

 数日後、いじめっ子たちは

「小宮山には怖い兄がいる」と、そんな噂を流した。

 それ以降、小学生の小宮山君はいじられることはなくなった。


 トンネルのこちら側。

 しばらくして小宮山君は、誰でもない自分自身に違和感を覚え始めていた。

 幼い頃に受けた“いじめ”は、つらい体験ではあったけど、そのためにいろいろなことを知った。いじめられたときの幾つかの対処法。また、他の子たちより少しだけ神経が図太くなり、あまり細かいことを気にしない性格の小宮山君になっていったのだ。

 どんな事にも無駄はなく、どんな事でもそれは一部のものに過ぎず、大事で欠くことのできない経験になるんだという教訓を小宮山君は学び、知り、感じて、自嘲気味に笑った。

 そして深い、深い後悔をした。

 感情的になって幼い子どもに手を上げてしまったこと。

 体だけじゃなくその子の心にも、過去の自分のような傷を負わせてしまったことに。


 そのとき、小宮山君の脳裏に浮かんだ、別のことがある。

 小学校のあるときの新学期、クセのありそうな男子生徒が転校してきた。

 彼は、先生や友達が大勢いる同級生には愛想よく接していたが、小宮山君に対しては大きな態度だった。席替えで隣に彼が来たときには、自分の不運にがっかりした。もし“こいつ”が教科書を忘れて一緒に見る羽目になったら面倒だな、なんて悩んだりした。

 でも、些細なことをきっかけに状況は変わった。

 こっそり学校に持ってきていた漫画は、実は、彼もファンだった。

 彼も、小宮山君といっしょで、音楽の先生の口調がいかにも自分たちを子ども扱いしているようで気に入らなかったこと、図工の時間は指定の席じゃなくて自由席でいいと思っていることなど、同じように感じていたことを知った。

 いつの間にか、彼は親友になっていた。

 思い出の中に生きているはずの大切な友達。

 でも小宮山君は、彼の名前や顔をどうしても思い出すことができなかった。


(もしかしたら…)と、小宮山君はゾッとしながら考える。

 あのトンネルに入ったとき、自分は“彼”といっしょだったんじゃないか、と。

“いじめ”に遭わなかった“今の小宮山君”のせいで、あの転校生は存在そのものが消えてしまったんじゃないか、と。

 もしかしたら、明日になれば、彼の思い出は完全に消えてしまうんじゃないか、と…



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