ラリー、やろうぜ! 第一章

著 : 中村 一朗

B.伝説の“四谷先輩”


 その週末。
 僕は午前中に服部と合流し、ABA(オートブレイク・アソシエーツ)というレーシングチームが主催する国内B級ライセンス(国内Bライ)講習会に参加した。
 参加者は10人程度。
 僕ら以外の受講者は、ジムカーナ参戦のために来たという。
 テキストにしたがってモータースポーツの一般的な講義が進められ、2時間ほどで終了。
 受け取った書類を服部に渡し、申請手続きを任せることにする。
 郵送すればいいのに、張り切っている服部は、月曜に休みを取ってJAFの出先事務所に直接行って来るという。そうすれば、その場で仮ライセンスを受け取れるのだそうだ。
「じゃあ、九時過ぎに迎えにいくぜ」
 服部は書類の入った大きな紙袋を大事そうに抱えて、渋谷駅の雑踏に消えた。
「ああ。じゃあ、ね」
 僕はその後姿に、一応声をかけた。
 どうせ、4時間後にはまた顔を合わせることになる。
 実は今夜、伝説の四谷先輩に会うことになっている。
 二週間後に参加する「キャッシュラリー2010」について、予習するため。
 僕がライセンスの取得を了解した直後から、せっかちな服部は勝手に次々とスケジュールを決めてしまった。そのための緊急非常勤講師に、四谷先輩を引きずりこんだ。
 つまり、僕たちのために四谷先輩が本格的なラリー講習会を行ってくれるらしい。
 ラリードライバー・四谷彰浩。39歳の中年男。
 課長職にある、優秀なサラリーマンのエンジニア。
 20年で160戦以上のラリー暦を誇り、家庭的で頼もしい二児のパパ。
 これが、僕が服部から聞いた四谷先輩の客観的なプロフィール。
 子育てが面白くなって、3年ほどラリー活動を休止することにしたという。
 それで、長年乗ってきたランサーを手放すことになった。
 “歩きウンコ”事件なんか、四谷先輩の輝かしい経歴の中ではほんの些細な出来事さ、と服部は笑った。
 その声には、先輩への深い敬意がにじんでいた。
 そうかもしれない、と僕も思った。
 内田教授によって捏造された悪い印象を拭って捉えてみれば、四谷先輩の人物像は全く別のものになっていく。
 酸いも甘いもかみ分けた、質実剛健の無口な山男。
 例えば、古いアニメの「アルプスの少女ハイジ」の“おじいさん”みたいな…
 まだ会ったことのない四谷先輩に対して、敢えてそんなイメージに置き換えてみた。
 目の前にある鏡の中には、ニヤついている僕の顔があった。

 午後九時十五分頃。
 だいたい予想通りの時間に服部が迎えに来た。
 チャイムに応じて表に出てみると、傷だらけの黄色いスポーツカーが、玄関の前に止まっていた。なぜか、やんちゃな“野良猫”のイメージだ。
 夜目にもわかるほどボロっちいが、野生的。
 その一方で、ロボットにでも変身しそうな派手でメカニカルなフォルム。
 ボディの全面には、ベタベタといろいろなステッカーが貼ってある。
 アルファベットだけではなく、平仮名や漢字のステッカーもあった。
 絆創膏のように、ただのガムテープを貼っているところもある。
 たぶん、傷隠しのためなのだろう。
 なるほど、競技車とはこういうものかもしれない。
「これが、ランサー…」
 “野良猫ランサー”。それが、僕が密かにコイツにつけたあだ名だ。
 少しだけ感心した僕の声に、服部が運転席から笑った。
「10年前の車だけど、速いぜー。とにかく、乗れよ!」
 助手席のドアを開けると、中はやや太めの鉄パイプが縦横に張り巡らされていた。
 場所によっては、黒いウレタンカバーが貼り付けられている。
「まるで、ジャングルジムだね」
「18点式のロールバーさ。崖から転がり落ちても、100メートルくらいなら大丈夫」
「そんな目に会うのは、嫌だ」
 僕は、鉄パイプをくぐるようにしてシートに身を滑り込ませた。
 2人乗りで申請された公式の改造車。
 ダッシュボードに装着された、配線むき出しのラリーコンピュータは電源オンの状態。
 意味のよくわからない電光数字が三つ、モニターウィンドー上で動いていた。
 古いSF映画に登場する宇宙船のコックピットみたいだ。
「奥多摩に行くぜ。あっちで、先輩たちと待ち合わせてるんだ」
 世田谷の僕の家から、甲州街道に出て八王子方面へ向かう。
 天気はくもり。一応、雨は降らないという予報だ。
 服部の運転は、シロウトの僕から見てもぎこちない。
 交差点の発進時にはエンストが、2回。
 メタル強化のために半クラッチが利かないせいだ、と服部は楽しげに弁解している。
 エンジンルームや後ろの方からガチャガチャ、バキバキと絶えず異音がしているが、乗り心地は意外に悪くない。
 昔、服部が乗っていたシルビアなんかより、ずっと普通だ。

 午後十一時三分。
 奥多摩近郊のコンビニに到着。
 服部が駐車場に目を向けて、「おっ!」と呟いた。
 その視線の先に赤いワゴン車が止まっている。
「四谷先輩のオデッセイだ」と服部が続けた。
 僕たちの車が近づくと、ワゴン車からTシャツとジーンズ姿の男が二人降りてきた。
 オフタイムの、どこにでもいるサラリーマン風の男たち。
 僕らも車から降りて、挨拶を交わした。
「こちらが四谷先輩と、松尾さん。松尾さんは、先輩と組んでるナビゲーター」
 伝説の四谷先輩の風貌は、僕の想像とはかけ離れていた。
 ゴッツい野生的な山男か、精悍なスポーツマンの姿を思い浮かべていたが、目の前の四谷先輩は、肉厚眼鏡をかけたアキバ系パソコン少年が年を取ったような痩せぎすの中年男。
 しかもしまりのないニヤニヤ顔で、貫禄の欠片もない。
 横に立つナビの松尾さんも、似たような雰囲気だ。
 松尾さんも四谷先輩と同期の自動車部の出身だったが、内田研究室とは無関係。
「そうか!おまえが、アキラ。助手だって?内田先生、元気?」
「はい…ええ、まあ」
 四谷先輩は何を思ったか、ウッ、ヒャ!ヒャ!ヒャッ!と甲高い声で笑った。
 四谷先輩は、松尾さんと服部を連れて店内に向かい、僕もその後に続く。
 三人は車を話題にしており、時折「ウッ、ヒャ!ヒャ!」が棚の向こう側から聞こえてくる。
 やはり変な人だ、とコーヒーを買いながら僕は思った。
 気安いといえばそうなのだが、もの凄く軽いキャラに見える。
 仮にもモータースポーツで実績を誇るチャンピオン。
 それなら、せめて相応しい威厳があるべきではないか、と胸のうちで軽い不満を抱いた。
 居丈高に初対面の者を威圧するよりはずっといいが、せめてもう少しカッコをつけてほしかった。
 もしかしたら、モータースポーツの中でも地味なラリーは、“大したことない”遊びなのかもしれない、とか思ったりして…。
 悪く言えば、こんな人でもチャンピオンを取れる程度の。
 そこまで考えたとき、僕は四谷先輩に何を期待していたのか理解した。
 服部が「四谷先輩には“歩きウンコ”事件など些細なこと」と言ったことが全てだった。
 “歩きウンコ”事件は、事件自体に意味があったのではない。
 小中学校から一般の社会人まで、“おもらし”をしてしまうことなど珍しい話ではない。
 そんな事件を全く意に介さずに卒業していった四谷先輩の個性こそ、重要だった。
 事件の主役はあくまで四谷先輩であり、悲喜劇的な出来事を歯牙にもかけない強烈なキャラクターの持ち主。
 僕は、そんな伝説の人物にめぐり合いたかったのだ。
 しかし当ては見事に外れてしまったようで、四谷先輩は他人より少しだけ車の運転がうまいだけの、ただがさつなオッサンに過ぎないのかもしれない、と今の僕は感じている。
 あるいは、ただのハイテンションなオタクおやじ。
「じゃあ、行こう」
 第一印象のことを忘れて、取り敢えず練習開始だ。
 とは言え、服部の練習は四谷先輩の後について、ただゆっくり走るだけ。
 僕はと言えばマニュアルを片手に、ラリーコンピュータに触って慣れるだけ。
「後からついていけばいいんですね」と、少しだけ不満そうに服部が聞いた。
「そう。でも、車間はずっと一定でね。それと、さっきも言ったけど、後ろから峠の兄ちゃんたちが来たら、左に寄って。先に行かせるから」
 それだけ言うと、先輩たちはワゴン車に乗り込んでさっさと発進した。
 僕らも“野良猫ランサー”に乗り込んで後を追い始めた。
 時刻は、午後十一時十八分。
 スピードは、一般的。夜の青梅街道では、むしろ遅いほうかも。
「こんなスピードで走ってて、練習になる?」
「知らねえよ。先輩が、言うとおりしろってんだから…。まあ、この車に慣れるにはいいかもな」
 服部は、四谷先輩からラリードライビングの特別な技術を教わりたかったのだ。
 同期の自動車部では、一番運転がうまいと言われていた男だ。
 今更、基礎練習のようなトレーニングなどしたくはないのだろう。
 それでも、服部は律儀に言いつけを守り、ワゴン車と一定の距離をとってついていく。
 奥多摩駅を過ぎると民家が減り、信号も殆ど見かけなくなった。
 僕はラリーコンピュータに慣れるために、いろいろと操作している。
 まずは、マニュアルにしたがって、現在時刻を入力してみた。
 よくわからない道具でも、触っていればなんとなくわかってくるもの。
 慣れてしまえば、説明書など見なくてもプラモデルが作れるのと同じだ。
 ましてラリーコンピュータ(ラリコン)など、コンピュータとは名ばかりの代物で、頑丈な電卓とデジタル時計の組み合わせ程度のものだということがわかってきた。
 ラリコンのなかった昔のラリーでは、ナビゲーターが円盤型の計算尺や10m単位の専用トリップ計を使って、手計算でそれらの指示していたという。
 その代わり、コマ図というルートブックを見るのはドライバーの役割だったそうだけど。
 もし今でもそうだったら、僕は絶対にこの席に座ることはなかったろう。
 やがて荒削りのトンネルを通過したころ、僕の携帯電話が鳴った。
 かけてきたのは、松尾さん。前方の車からだ。
「はい、水谷です」
「やあ。四谷から服部に伝言だよ。ちゃんと、ラインをトレースしろ、って。あと、中速以下のコーナーの入り口で車間が詰まりすぎてる、って。立ち上がりのアクセル・オンのタイミングも遅い、って。覚えた?」
 もちろん、覚えられなかった。
 だから松尾さんにもう一度繰り返してもらい、それをそのまま口にして服部に伝えた。
 電話を切って、服部の横顔を盗み見た。
 明らかに、慌てた表情が浮かんでいる。
 僕は振り返り、四谷先輩のスパイが後ろにいるわけではないことを確認した。
 もう一度、服部の横顔を見てから、前のワゴン車の後姿に視線を戻した。
「思い当たること、ある?」と、僕。
「…バックミラー見てるだけで、解るのかよ…」
 服部の言葉が、僕の問を肯定していた。
 それから。僕にもわかるほど、服部のブレーキの使い方が丁寧になった。
 丁寧になってみると、それまでのハンドル操作やシフトギアの使い方が雑だったことに気づく。
「きっと、梟みたいな人なんだな。首が、180度くらい回るんだ」
 ウッ、ヒャッ!ヒャッ!ヒャッ!と笑いながら運転している四谷先輩を思い浮かべた。
「あの人はミラー越しでも、距離がつかめるのさ…」
 呑気な僕とは異なり、服部の体から緊張感をにじみ出している。
 どうやら服部の中で、基礎練習への疑念が解消したらしい。
 後ろからぶっ飛ばしてきた峠族の走り屋を、左に寄ってやり過ごしたのは三回ほど。律儀な彼らは皆、ハザードランプであいさつを残して走り去っていった。
 奥多摩湖の脇を抜け、丹波村から柳沢峠に向かう。大菩薩峠の南側に位置するこの国道は、昔から峠の走り屋たちには人気のスポットだ、と服部が教えてくれた。
 スタートしてから、約一時間。
 ワゴン車は、驚くほど正確にずっと等速走行を続けている。
 コーナーでこそ多少は速度を落とすけど、直線では50㎞/h程度しか出ていない。
 やがて、国道はだんだん狭くなっていった。
 交通量も激減し、ワゴン車は少しペースを上げた。
 ただし、直線では相変わらずで、コーナー区間だけ速くなった。
 スピードが上がってみると、服部のハンドル操作の荒さがまた目立つようになった。
 一定の車間距離をとり、同じ走行ラインをトレースしているはずなのに、前方をいくワゴン車とは走り方の滑らかさがまるで違う。
 特に、上りのヘアピンコーナーでは。
 峠を越えて下り坂に差し掛かると、その傾向は一層顕著になっていった。
 ようやく僕にも、この練習の意味がわかってきた。
「アクセルやブレーキの操作って、微妙なんだな」
「ああ…、ほんと」
 服部の声音がかすかに震えている。
 その直後、直進中の僕らの車がギクシャクと前後に揺れた。
 時刻は、午前零時五十三分。
 場所は、柳沢峠の下り坂。
 ちょうど狭いところから、センターラインのある新しくて広い道に変わった辺り。
「なんだ?どうした?」
「いや…、ちょっと、さ。右足がつっちゃったらしくて…」
 前走車に従って等速走行を強いられること、約一時間半。
 ブレーキとアクセルペタルの微調整は、右足のふくらはぎと腿の筋肉に思いのほか大きな負担をかけていたらしい。
 なまじ、ゆっくり走っているので、服部は「バテた」などと言えなかったのだ。
 僕は直ぐに松尾さんに電話を入れ、状況を説明した。
 すると、電話の向こうからは、ウッ、ヒャッ!ヒャッ!ヒャッ!という笑い声。
「もう少しだから、頑張れって、四谷が言ってる。もう、自分のペースで走れってさ」
 電話が切れた途端、ワゴン車はスピードをあげた。
 慌てた服部が後を追う。それこそ、必死の様子で。
 さすがに“野良猫”は強力な加速力を武器にすぐにワゴン車に追いついたけど、コーナーの出口では少し離されてしまう。
 そこでまた急加速して、ギクシャク、ギクシャク…。
「足、大丈夫なのか?」
「こんなふうにアクセルを踏んでる方が、ずっと楽!」
 やがて民家が目立つようになってくると、ワゴン車はスピードを落とした。
 国道から路地に入り、コンビニの駐車場へと入ってワゴン車が止まる。
 服部もその横に車をつけた。
「ちょっと、休憩」
 運転席から降りてきた四谷先輩は、ニヤニヤ顔でそう言い残して店内に消えた。
 僕も、ロールバーで体を支えながら車外に出た。
 しかし服部はまだ、車の中。
 シートに座ったまま、両手を使って、ごそごそと右足の筋肉を揉み解している。
「まっ、よくがんばった方だよ。まじめにやると、下手な全開走行より疲れるんだ」
 いつの間にか、横に松尾さんが立っていた。
 言い終わると松尾さんも店内に向かった。
 僕は何となく気まずくて、服部が車から降りてくるまで待っていた。
「なさけねえ…」
 そう言いながら服部が車から出てきたのは、2分後。
 考えてみれば、四谷先輩も服部と同じ等速スピードで走っていたのだ。
 オートマのワゴン車ではあっても、アクセルを一定の力で踏み続けていたことに変わりはない。
 伝説の先輩とはいえ、体力的には服部以上とはとても思えない変な中年に、ゆっくり走って力負けした心境の落ち込みは十分に理解できた。
 僕らは、とぼとぼとした足取りで店内に入った。
 四谷先輩たちは、ちょうどカップめんにお湯を入れているところ。
 服部はちらりと目を向けたが、先輩たちには顔を上げる気配もない。
 お湯を入れ終わると、カップを手にして店を出て行った。
 僕はカフェオレを、服部はお茶とおにぎりとガムを買って外へ。
 先輩たちはワゴン車の前で、カップめんを頬張っていた。
 服部がおにぎりを食べおえたのと、カップめんの汁を二人が飲み終えたのは同時だった。
「じゃ、休憩終わりね」と、四谷先輩。
「えっ?まだ、走るんですか?」と、僕。
「あったりマエじゃん!まだ、練ドラ(練習ドライブ)の真ん中」
「それなら、もう少し休んだ方が…」
 僕は、服部の方をちらりと見た。
 一度つった足は、そう簡単には元には戻らない。
 強い負荷をかければ、服部の右足はまた直ぐにつってしまう。
 あまりスピードを出していないから万一の場合でも大したことにはならないと思うけど、事故が起きれば痛い思いをするのは僕だ。
 しかし、服部の表情には辛そうな様子は全くなかった。
 不思議なことにむしろ、もっと走りたがっている様子。
「だめー。そんなことしたら、直っちゃうじゃない」
 ヒャヒャッ、と笑って四谷先輩は車に乗り込んだ。
 唖然としている僕の顔の前に、松尾さんがA4サイズの紙切れを突きつけた。
 手書きで、“ナビ用、練習メニュー”というタイトルが記されている。
「アキラ。お前は、そこに書いてある通りにラリコンを操作しろ。でも、ファイナルに合わせた運転はしなくていい。国道だからな」
 運転席から四谷先輩が怒鳴っている。
 松尾さんは大声に顔をしかめながら、車に乗り込んだ。
「甲州街道に出るから、しばらくは普通についてくればいいよ。その後は、松姫峠ね」
と、窓越しに松尾さんがつぶやいた。それなりには気を使ってくれている。
 ワゴン車は直ぐに発信し、僕らもその後を追う。
「“歩きウンコ”は、サディストか?」
「いや。たぶん、違うと思う。…そう、思いてえよ」
 以後、服部は無口になった。
 生あくびをかみ殺しながら、時折、自分の頬をびしびしと平手打ちしている。
 そのたびに、ガムを二つずつ口に放り込む。
 足の疲労と緊張からくる眠気と戦っているのかも。
 塩山駅を迂回して、勝沼から国道20号に入る。
 ワゴン車はごく普通な運転。
「…もしかしたら、カーリングって、立派なスポーツかもな」
 笹子トンネルを越えたあたりで、ふいに服部が口を開いた。
「何、言ってんだ?」
 服部の奴は、眠くてバカになっているのかもしれない。
 学生時代、研究室で一緒に徹夜で論文を書いていたとき、突然わけが解らないことを口にしたことがあった。「…ジプシーは、“エジプシャン”が訛ったから…」とか呟いた。
 何か服部にしかわからない脈絡はあったと思ったが、思い出せない。
 今回の謎の台詞も、似たようなものなのだろう。
 地味なスポーツの代表のようなカーリングと、等速ドライブには似ているところがあると服部は突然そう思ったのだ、きっと。
 服部は、再び足がつらないように腿と膝の角度を微妙にずらしながらアクセルペダルを調整している。
 大学の自動車部は体育会系に属しているが、身体的なトレーニングなどしていない。
 それでも服部なりに、足の筋肉を庇う工夫をしているのだ。
 一方、僕は“練習メニュー”の箇条書きにしたがってラリコンを操作した。
 まずは、ラリコンの電源を落して再起動。
 携帯電話の時報で現在時刻を入力する。
 スタートボタンに相当する“CP”ボタンを押し、スタート時間と指示速度を入力した。
 交差点ごとにマップボタンを押してゼロに戻し、そのたびにクリア前の数値をメモした。
 さらに3kmごとに、“PC(パスコン)”ボタンという指示速度変更コマンドの入力キーを押してその数値を5km上げ、更に2kmごとにまた“PC”ボタンを押して今度は5km下げた。
 やがて“CP”ボタンを押したところから15km走ると、また電源をオフ。
 そして再び、ラリコンを再起動。
 この単調な作業を、ずっと繰り返した。
 正直に告白するが、極めてつまんない作業だった。
 そしてこれも正直に告白するが、その間、僕は両手では数え切れないほどボタンを押し間違え、操作がわからなくなってラリコンの電源を落した。
 ひとつ深く学んだことがあるとすれば、単純作業には思っていた以上に間違いがつき物ということなのかも…


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