秀綱陰の剣・第五章

著 : 中村 一朗

猿飛


 佐久から東南東に離れること約五里、余地峠。

 武州街道北部の奥深い山中を平行して走るこの間道を通ると、佐久から下仁田に抜けることができる。人の行き来は少なく、雨が降れば尖った岩肌が崩れる。ために道は常に荒れており、難所も多い。抜け道とは言え、獣道に近い険しさであった。

 曇り空の昼下がり。東に向かって峠を行く姿は、赤い羽織姿の塚原卜伝高幹である。

 卜伝は森深い山肌に沿って走る岩だらけの狭い荒道を飄々とした急ぎ足で歩いてゆく。その後から十数間の距離を置いて、つかず離れずに追う影が二つ。直刀を仕込む尺杖を携えた山伏姿の二人は、一里近く手前から卜伝をつけて来ている。山伏姿の二人の正体は、余地峠を見張るために長野方に雇われた甲賀乱波だった。二人はとうに、先を行く老剣士が彼らの存在に気づいているであろうことは知っていた。そして老剣士が武田信玄の剣の師である塚原卜伝であり、甲府からこの峠道に来たことも。

 佐久には甲賀の鋭敏な網が張られている。卜伝が佐久に寄る前から、彼らは気づいていた。もし卜伝が余地峠に向かうようであれば、それなりに応じねばならない。

 それでも二人は卜伝への対応に苦慮していた。長野業政から受けた指令は、余地峠の地理を調べようとする武田の間者を見つけて、接触する者たち諸共始末をつけること。信玄が西上州に攻め込むならば必ず余地峠を選ぶと業政は読んでいた。山岳の多い箕輪周辺での戦いは山野が戦場になる。地の利を持ち、しかも士気の高い長野勢との野戦を制するには武田方としては如何しても数に頼らざるを得ない。山間部の野戦においては、大兵力の移動には進退路の先制確保は必須である。また先に間道の主幹である余地峠を抑えておけば、防衛に最も手を焼くであろう長野勢の奇襲を避けることができる。武田軍にとり、国境に近い峠周辺地理の掌握は絶対に必要であった。

 業政の指示に従い、彼らはこのひと月だけで五人を手に掛けていた。疑わしい者は躊躇わず殺した。が、天下に名の知られた塚原卜伝が相手では勝手が異なる。卜伝は単に武田と懇意の剣豪であるだけではない。将軍足利義輝にも剣を教えて達人の域にまで仕込んでいる。弱体化した将軍家に対してもなお忠節を重んじている業政が、義輝の師にあたる卜伝の暗殺を喜ぶはずがなかった。またそれ以上に、彼らには卜伝の意図が解らなかった。信玄に請われて西上州への進撃路を調べに来たとは考えにくい。ほんの気まぐれでこの地を訪れたのであれば最も都合が良いと、卜伝の背を視界に捉えながら二人は思っていた。卜伝に対する彼らの認識は、天下を徘徊する孤高の虎である。その強さ故に浮き世の常を超越することができた。甲賀乱波のみならず誰にとっても卜伝は理解不能の怪物だった。この戦乱の世に、一騎当千の圧倒的な武力を身につけながら如何なる陣営にも組せずにひとり自在に生きる有様は万民の常識を大きく越えていた。

 とは言え、見過ごす訳にはいかない。間もなく、仲間の三人が待つ地点にさしかかる。彼らが卜伝の足を止める手筈である。話をするために。だが最悪の場合、彼らは斬られる覚悟でいた。もし卜伝が五人を手に掛ければ、長野に敵対する側についたと仲間たちは業政に報告するだろう。そうなれば、長野正規軍を卜伝捕縛に動かす方便になる。

 前方に人影が見えた。近づいてくる浪人姿の男が三人。卜伝を認めると、足を止めた。後方の二人は足を速め、彼らの前で立ち止まった卜伝に追いついた。

 十分な間合いを取って卜伝を囲む五人。卜伝は無表情に彼らを見つめ返している。前方の三人の中から一人が進み出、軽く頭を下げた。

「塚原卜伝先生とお見受け致す。拙者、錦山四郎左右衛門と申します。西上州を束ねる箕輪城主長野業政さまに雇われた甲賀乱波の長でござる」

 考え抜いた上での錦山の駆け引きだった。初対面の探索相手に乱波が素姓を語るなど、空前の事である。が、錦山は自らを隠さず語る事が卜伝への誠意と考えた。噂に聞く剣豪塚原卜伝への敬意が錦山に異例の態度をとらせていた。

「ほう…」と、卜伝が目を細めながら。

「それで」と先を促す。

「訳あって、この峠を見張っております。事情はある程度お察しのことと存ずる」

 卜伝は頭を巡らし、殺意のない五人の顔をゆっくり見た。ニタリと笑う。

「何処へ何をしに行くのかと、わしに問うておるのか」

「はい。出来ますれば」

「下柴砦にな、行くつもりじゃ。上泉秀綱とやらに会いに行こうと思っておる」

「なるほど。では、なぜこの峠をお選びになったのでござる」

「武田晴信殿が西上州に攻め込むならば、この峠を通る。その前に見ておきたかった」

 五人の顔色が変わる。一部の者からは殺気さえ流れた。

 それでも錦山だけは仲間たちの動揺を制しながら。

「本当にそれだけでございますか。余地峠の様子を探るために、武田の山本勘助に頼まれて来たのではないと、そう受け取ってよいのですかな」

「そう促されたのは確かじゃよ。だから、お主らに会うためにこの峠を選んだ。勘助ごときの悪知恵にわしが動かされていると誰かに思われるのは不愉快じゃから、見張りの長野乱波にひとつ教えてやろうと悪戯心を起こしてな」

 乱波たちの目に再び動揺が浮かぶ様を見て、先を続ける。

「あの悪たれ爺いは、わしをダシに使ってお主らを揺さぶったんじゃよ。わしを見張るお主らの仲間を見張らせておった筈じゃぞ。恐らく、佐久辺りであろうが」

「まさか…そのような事など」

「幾人かの忍びがお主らの手にかかったと嘆いておった。覚えがあろう」

 錦山の表情が答えていた。少し間を置き、やがて口を開いた。

「では、塚原先生が佐久に着く頃から手前どもが見張っておりましたこともご存じでございましたか」

「佐久に着く半日前からじゃろうが。その一日前から、わしをつけていた乱波が三人おった。多分、腕は立つ。武田の忍びだろう。今ごろはどこにおるやら」

 明日の天気を語るようなのんびりとした口調だった。裏腹に、錦山たちの顔が曇って行く。卜伝に目を向けながらも、錦山は別の何かを見ている。

「なぜ、そのような事まで教えて下さるのでございます」

「お主が正直だったからかな。まあ、せいぜい気をつけて戻れ。五人とも斬り殺されでもしたら、わしの仕業と誤解される。汚名を背負うのは癪じゃ」

 卜伝は微笑み、彼らは硬い表情のまま。そして、意を決した錦山が口を開く。

「お引き止めしてご無礼仕った。それでは御免」

 一礼して五人は慌ただしく佐久に向かって駆け出していった。彼らの後ろ姿が峠から見えなくなると、卜伝は再び歩き出した。やがて一時半。雲間の日差しが傾き始めた頃、卜伝は朽ちかけた小さな鳥居のある枝道を左におれた。その先に雨露をしのげる小屋があると予め佐久の宿で聞いていた。小屋はすぐに見つかった。引き戸を開けて中に入る。

 小屋は粗末なものだった。八坪ほどの土間に、それを囲む煤けた板壁と藁葺き屋根。隙間だらけの壁は藪蚊の襲撃を防ぐ気配もない。土間の中央には囲炉裏があり、それを囲むように腰掛け石が四つ置かれている。壁の一方には藁束が三つ。

 卜伝は一度表に出て、一抱えほどの枯れ枝を集めて戻ってきた。腰の煙草入れから種火を藁に移し、小枝の束に燃え広げる。すぐに囲炉裏の炭が赤くなった。

 日は暮れ、夜陰が辺りを押し包む。炎を見つめるうちに意識がとろとろと暖められ、心地よさに刀を抱えたままいつの間にか舟を漕ぎ始めていた。時折目を覚ましては新しい枝を炎に放り込み、またまどろみの中に戻る。さらに半時、一時と時が過ぎた。

 ふいに、卜伝はぎょろりと目を開いた。入口の引き戸に目を向ける。秋の夜を彩る様々な虫たちの鳴き声が濃い霧となって見えるように小屋の周囲を埋めつくしている。その音の一部に変異が生じた。虫の声音が消えたのだ。小屋に向かって移動しつつあるその無音の空間を、卜伝は闇夜の螢のように明確に把握することができた。

 それは、枯れ葉の上を足音も立てずに移動していた。

 卜伝は虚ろな目を引き戸に向けたまま。近づくにつれ、僅かに血の匂いをかいだ。

 カタリ。初めに扉が小さく鳴った。続いて引き戸がゆっくりと開いた。

 大男の影が闇に浮かんだ。右手に斧を下げ、左手には首のない大柄な兎の死骸を二羽ぶら下げていた。外にのっそりと立ったまま、中の様子を伺っている。

「失礼いたす。入ってもよろしいか」

 臼を引くような低い声であった。卜伝は虚ろな目のまま頷いた。大男は頷き返し、両手の獲物をぶら下げて中に入ってきた。山に不釣り合いな着流し姿に坊主頭。その巨躯が獣のようにしなやかに動いた。身の丈は七尺近くある。年は卜伝の半分ほど。

 大男は卜伝の反対側の石にどっかりと腰を落とし、斧を床に放り出した。懐刀を取り出し、鮮やかな手つきで兎の臓腑を抜き、皮を剥いだ。次いで、肉の各部位を切り分ける。作業が進むにつれて、小屋の中に血の匂いが濃くなっていった。それでも、不要な内蔵を火の中に放り込んでいるため、血肉の焼ける香ばしさも漂った。

 やがて二羽の解体が終わると、大男は脇下に吊った袋から鉄串の束を取り出した。臓腑や肉をそれに刺して、次々に囲炉裏の回りに並べた。

「美味そうだな」

 黙々と続ける男をじっと見ていた卜伝が呟いた。

「塚原先生といっしょに食そうと思い、持ってまいりました。この近くで獲ったものでござる。首を落とし、血も十分に抜きながらここを訪ねて来た次第」

「お主、わしを知っておるということか。しかも、ここにいることまで。では、宿屋ででも聞いてきたか」

 男はそれに答えず、肉と臓腑を串に刺しては並べている。やがて兎の肉はどれも囲炉裏の回りに落ち着いた。竹筒の水を二つの椀に取り、ひとつを卜伝に差し出した。男は顔を上げ、卜伝の目を覗き込みながら口を開いた。

「拙者、無界峰琉元と申します」

「ほう…。つい最近、聞いた名だな」

 椀を受け取りながら呟いた。椀をそのまま傍らに置いた。

「裏傀儡の二番組の長でございました。今は裏切り者として狙われておるようです」

「なるほど。思い出した。ところでお主、今し方、人を殺してきたであろう」

 琉元の頬が初めて動いた。瞬く間に無表情に戻る。

「わかりましたか。しかし、なぜそれを」

「血の匂いだな。人の血は兎とは違うでよ。衣の返り血を隠すために、兎の首を切ってきたのじゃろう。芸の細かいことをする男だ。さすがに裏傀儡とやらの組頭に相応しい」

「恐れ入りましてござる。昼前、身を守るためにやむを得ず三人斬りました。この近くの藪中で突然襲われまして。皆、手熟れの乱波でござった」

「お主を長野に雇われた忍びと取り違えた、運の悪い武田の乱波であろうよ。長野の忍び狩りのために山本勘助がわしにつけた者たちだ」

「左様か。それは気の毒に」

 人事のようにさらりと言った。

「代わりに長野の乱波三人が命を拾った。人助けだ。帳尻はあっておる。ところで」

 卜伝がぎょろりと目を剥く。串を取り、肉を口に入れながら。

「美味い。ところで、わしに何の用件だ。これを食わせに来たとは思えぬ」

「その懐にある書状を見せて頂きたい。陰流の印可状のことでござる」

「なぜそれを知っておる。先程の問いにも答えろ。なぜ、わしがここにいると知った」

「拙者にも、使っている手の者がござる。奥州に居を構える忍びです。無論、裏傀儡の元締たちも知らぬ者たちでして。その者たちの繋ぎが、塚原先生が古い書状を持ってこの地に向かって来られると知らせて参りました。それでお待ちしていた次第。しかし恐らくこれは、山本勘助殿が意図的に流した話ではないかと勘ぐっておりますが。如何かと」

 卜伝の目が虚ろになる。しばらくじっとしていた琉元は、腰掛け石の傍らに居住まいを正して両掌を地につけた。丁寧に深々と頭を下げた。

 卜伝は懐から風呂敷に包んだ書状を差し出した。琉元はそれを両手で受け取った。風呂敷を解き、書状を手に取る。書状を開いて暫くじっと見つめた。

 やがてそれを丁寧にたたむと、風呂敷に戻して卜伝に返した。

「確かに、愛洲移香斉先生の認められた唯一の印可状でございます。陰流はやはり上泉秀綱殿が相伝された様子。あの見切り、あの太刀筋。確かにそれ程の力を…」

「お主はなぜ陰流を知っておる。此度の事は、陰流と猿飛を名指したお主の言葉から始まったと聞く。焦らさずに教えろ。もしやお主、愛洲小七郎殿ではないのか」

 無表情な顔が卜伝を見上げる。琉元は身を起こし、再び石の上に座った。

「残念ながら。拙者、幼き日に親を失い、六つの時に愛洲の一族に拾われて出羽の月山で猿飛の剣を習うようになりました。拙者、当時は名を作助と言いました。その三年後には移香斉先生が他界され、一族に従って流浪の果てに日向に移りました。十五年前に」

「そうか。日向であったか…。では、お主が学んだのは猿飛陰流であったのじゃな」

 琉元が頷く。囲炉裏の火が炙り出す横顔には安らいだ表情が浮いていた。

「愛洲小七郎先生や一族の方々と共に暮らし、剣を学びまして」

「小七郎殿はお主とそう年は変わらぬのではないか。なぜ先生と呼ぶ」

「小七郎先生は拙者よりも七つ年上でござる。剣を学び始めた頃は、兄のように慕っておりました。実際、一族の継者を兄上と呼んでいたのです。ただの捨て子に過ぎぬ拙者を一族の方々は皆が良くして下さった。それでも元服された頃から、呼び方も兄上から小七郎先生に変わってしまいましたが…。懐かしい話でござる」

 卜伝の大きな目がじろりと琉元を見上げる。瞳は囲炉裏の炎を映して赤く燃えていた。

「一族を慕い、健やかに生きていた少年がなぜなぜ暗殺を生業にするようになった」

 琉元は串から大ぶりの肉を咬み千切った。囲炉裏の火が琉元の両眼に映っている。

「健やかな日々は続かぬもの。争いが起きました。それまでは知りませなんだ。愛洲を狙う一派がいたことなど、十八になるまで耳にもしませんでしたので。多くの者たちが殺され、拙者も逃げました。後は習い覚えた技を頼りに流れ歩き、十年が過ぎるとこのような姿になっておりました。裏傀儡でようやく落ち着いたと思ってござったが」

 卜伝は、平らげた五本目の串を囲炉裏に刺した。揶うようにちょんと頭を下げ、琉元の顔を下から覗き込む。首を傾げながらニタリと笑った。

「わしは見た目よりも人が悪い。お主の話を鵜呑みにするほど無邪気ではないでな。わしは昔の愛洲一族を知っておる。死人の出るあれらの荒行もな。あれが楽しかったのか」

 琉元は無表情に睨み返した。眼球に暗い光が宿る。

「やはり、信用してはもらえぬようで。過半は嘘ではござらぬ。ところで、塚原先生。その肉に毒を吸わせていたとはお考えにはなりませなんだか」

「ああ。考えもしなかったぞ。なるほど、わしを狙っていればそれも有る訳だ。ところで琉元とやら。なぜここに来た。わしに恋い焦がれていた、などと言うなよ」

 地を這うような低い声で琉元が笑った。目からあらゆる光が消えた。

「上泉秀綱と出会って、この琉元は狂ってしまった様でござる。自分より強い者を斬りたくなった。ずっと昔に眠りについたはずの血の中の獣が目覚めまして」

「気の毒に。昼間の乱波たちの事だ。お主、好んで斬ったな」

「腕の立つ三人の乱波に正面から挑み、ひと太刀も受けず…。剣さえ合わせずに首を刎ねましてござる。どうやら猿飛の〃陰〃を体が思い出しましたようで」

「お主は己が心の魔性に取り込まれた。力を求めて地獄道に堕ちるか」

「今さら何を。塚原先生は、そこを抜けたから今があるのでは。上泉秀綱とて同じでござろう。剣は所詮、人の血を求めるだけのもの。地を赤く染めればそれで良い」

 卜伝がにたりと笑みを浮かべた。僅かに琉元の眼が揺れた。

「お主、何を躊躇っておる。それとも、上泉秀綱の見せた陰流の剣に怯えたか。秀綱が本当に継者である証しを見たかったのもそれがためじゃろう。そうして震える己の心根の弱さをねじ伏せるために人を殺したな。わしを斬れば、秀綱に勝てるとでも思うたか」

「…」

「お主は危険じゃ。生かしておけば、多くの者が死ぬ。世から消えた方が良い」

 琉元が虚ろな目で笑った。夜よりも黒い殺意が背後から立ち上る。

「老いぼれが…」

 暗い声が琉元の喉奥から洩れた。卜伝の顔からも表情が消えた。互いに睨み合うこともなく、沈黙のまま数瞬が過ぎる。炭が幾度か弾け、隙間風が炎を揺らした。

 突然、琉元が動いた。椀の水を囲炉裏に投げつけ、巨体が電光の早さで転身した。蒸発音が弾け、途端に白と黒の闇が小屋に充満した。それが視界を消した。互いに姿を認めることは出来ない。それでも琉元は後方に跳びながら、串状の手裏剣を三本同時に卜伝のいた位置に投げた。そのうちの一本に手ごたえがあった。琉元は抜刀しながらその方向に大きく踏み込んだ。囲炉裏を飛び越え、直感が捕らえた卜伝の位置に渾身の力で刃を振り下ろす。斬撃の手ごたえを期待しながら。ところが、その剣が鉄の岩を打つ凄じさで弾き返された。それも、真横から。細い刀の側面を、卜伝が視界を失った状態で打ち払った事を悟った。腕の痺れ以上に精神に衝撃が走る。背筋に立ち上る一瞬の強烈な冷気。防衛本能からの警告と理解する前に体が動いた。剣を手放し、右肩を巻き込むように左に転がる。同時に左肩に燃えるような激痛。琉元はそれを押し殺して入口に向かった。体ごとぶつかり、引き戸が砕け散った。琉元が致命傷を避けられたのは天性の才によるものであった。それでも浅い傷ではない。

 琉元は外へ。三間の間合いを取って素早く振り返る。

 小屋中の暗がりから、のっそりと卜伝の影が現れた。刀の柄には琉元の放った手裏剣が突き刺さっている。琉元を見ながら、入口付近で足を止めた。

「命を拾いおったな、若造。獣の首を取り損ねた」

 琉元は肩口から噴き出す血を右手で抑え、卜伝に憎悪の目を向けていた。無言のままゆっくりと後ずさり、突然身を翻して走り去った。すぐに姿は闇に溶けた。

「陰流。愛洲と猿飛を使う一族か…」

 誰を思い浮かべることなく、卜伝はひとり呟いた。



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