彼方からの脅威

著 : 中村 一朗

第三章


      E,対決・1


 ルナ・シークエンスとパスカー・ヨルデは、互いのホログラフ映像を介してじっと睨みあった。そのまま五分が経過し、やがて。

「はじめまして」

 最初に口を開いたのは、ヨルデだった。

 静かな口調には、暗がりに沈み込むような余韻が残る。

「私はあなたとは面識がない。“はじめまして”と言うなら、あなたも私と会ったことがないことになると思うけど」

 ルナはあくまで、通常の語り口。

 知人たちとの会議で用いる口調だった。

「僕は君を知っている、と以前から伝えている。少なくとも、3年前から。ただ、こうして互いの目を見つめあうのは初めてだ」

「つまり、情報として“私という存在”を知っていたって事?」

「おおよそは、そういうことかもしれない」

「それって、芸能タレントを一方的に知っていると言うことと変わらないわね」

「Yes。情報的には。ただし、君も“情報的に”僕を知っているし、僕が知る君に関する情報量は、恐らく、君たちの予測を遥かに上回るものだ」

 はじめて、ルナが表情を崩した。

 小さく笑みを浮かべるように。

 あるいは、小さく苛立つように。

「まるで、ストーカーね」

 ヨルデも、ゆっくり笑みを浮かべた。

「少なくとも僕は、君に対して一切の愛憎は抱いていない」

「それでも私の名を、あなたたちの処刑リストに載せている」

「ファースト・プライオリティ。すべては地球環境のため」

「私を殺すことが?」

「Yes。それが、地球の意思」

 ルナは、ヨルデの目の奥をじっと睨んだ。

「笑わせないで。何もしなければ、その地球環境が滅んでしまうのよ」

「滅びはしない。移り変わっていくだけだ」

「それでも、人類文明は終末を迎える」

「それがヒトの限界なら、仕方がない」

「仕方がないなどとは言わせない。私は出来る限りのことをする」

「“箱舟計画”を進めているグループも、君と同じことを口にしている。人類存亡の危機を確実に回避させられるのは自分たちだけだ、と。そう主張しながら、残り少ない地球資源を、猛烈な速度で枯渇に追い込んでいる」

「私も同罪ね。冥王星をエネルギーにして、バーサーカーの軌道をそらそうとしています。自分たちの生存を賭して、と理解しているんだけど」

 ヨルデは、穏やかな瞳でうなずいた。

 それでも、その奥に潜む真っ黒い影のような強い意志は隠しきれない。

「知っている。だから、僕は君を殺さなければならない」

「それって、…地球環境の変化を私が妨げようとしてるから、あなたたちは私をこの宇宙から排除しようとしたって事なのかしら。つまりあなたたちは、地球がバーサーカー彗星と衝突することを積極的に望んでいたってこと?」

 ヨルデの殺意を完全に黙殺して、ルナは淡々と問う。

「No。僕の思想にとって、バーサーカーなど無関係。むしろ君たちこそが、バーサーカーという存在をこの宇宙に現出させたと認識すべきだ」



        ギャラリー・1


 バイガスとシュミットは、モニター越しに二人の様子をじっと見ている。

「まずは、ジャブの打ち合いといったとこですか」

 モニターから目をそらさずに、バイガスはうなずいた。

「腹の探り合いだな」

「互いの立ち位置を確認しているようです。ただ、ヨルデには虜囚としての自覚はなさそうですが。ハンターと標的。まだそんな認識なのでは」

「バカな。彼らの間には、実際には10キロの距離がある。ヨルデがどれほどの殺意を滾らせようと、彼女の殺害は不可能だ」

「無論です。ですからこのような面会を進めました」

「それどころかヨルデは、バーサーカーなどもともと存在していなかったのだと主張している。ルナ・シークエンスがバーサーカー彗星を作り出してしまったのだと。私も、調書に目を通して驚いた。妄想狂の戯言としか思えん」

「正確には、情報的な存在の“創作”なのだそうですが」

「重力位相やスペクトル変移でバーサーカーの実在は証明済みだ。第一、バーサーカー彗星の発見者は彼女ではない。クリストファー・セイバーン教授だ」

 シュミットは大きくため息をついた。

「クリス博士は、総司令の長年のご友人でしたね」

「ああ。学生時代からだから、40年来の付き合いだった」

「クリス博士は、8年前、MRAの爆破テロで殺害されています。その頃はまだ、パスカー・ヨルデは、MRAの指導的立場ではありませんでしたが」

「しかし少なくとも、強い発言力は持っていたはずだ。さもなければ、あれから数年で過激派組織の最高指導者の地位には就けない」

「つまり8年前のヨルデは、バーサーカー創作説を唱え、その計画の中心人物がクリス博士だと考えていた、と総司令はおっしゃるんですか」

 少しの間をおいて、バイガスは口を開いた。

「ルナが亜空間原理の最初のレポートを出したころ、ヨルデはバーサーカー彗星の出現から始まる一連の出来事を予言したという。そして、一介の難民だった無名の青年は間もなくMRAに入隊し、その才覚で頭角を現してくる」

 シュミットはためらうように小さくうなずいた。

「予言とカリスマ性。ある意味で、パスカー・ヨルデはMRAの変革者です」

「クリスだけじゃない。MRAのテロで、私は多くの友人を失った」

「大変いいにくいことですが、その結果として政治力など無縁だったバイガス・ホルン教授が“アグニ計画”の総司令官に抜擢されました。MRAのテロがなければ、恐らく政治家か軍部の無能な司令官がここに着任して、10%の成功率をさらに大きく引き下げてしまっていたことでしょう。また“箱舟”派の科学者たちなら、その方を望んだかもしれませんが」

「大佐、言葉が過ぎる。まるで私が、MRAのテロを望んだように聞こえる」

「総指令が今の地位を望んではいなかったことは、私が誰よりもよく知っています。しかし、結果論としてはそういうことです」

「私には不愉快な結果論だ」

「ご勘弁を。しかしどうせ、私たち以外、誰も今の話を聞いていませんよ」

 バイガスとシュミットは硬い表情のまま、視線をモニターに戻した。



      対決・2


「私が、バーサーカー彗星を作り出したというの?」

 ヨルデを睨み据えるルナの瞳が燃え上がる。

「Yes」

「どうやって?」

「情報。全人類がその存在を認識した時、宇宙空間に“バーサーカー”は誕生した。情報が実在を作り出す。現実は、プログラム世界と同じだ」

「…ばかばかしい。妄想以外の何物でもない」

「素粒子以下のエネルギー元素を司る新しいメタストリング波動方程式では、人の意思が時空次元の波動パラメーターに干渉することが証明されている。ああ、失礼。これは、君の専門分野と関係ないフリンジ科学でもあったね。つまり、人の精神は物質を生み出す。科学と神話と情報のネットワークで肥大した人類の集合性無意識は、ついに万物の創造主たり得るまでに至ったのだ」

「メタストリング波動方程式は、物質と精神の波動がある種の多元断層面で共鳴しうると論証しただけ。人の精神への重力子の影響について可能性を言及しただけのエッセイね。具体的な実験は、まだ何一つ成功していない。あなたの説は、科学よりもSF小説として発表した方がいい」

「僕は学者でも作家でもないから、原理の追及になど興味はないよ。関心があるのは、現実の結果だけだ。僕はあの論文が正しいことを知っている」

「そう。どうしてもあなたは、“バーサーカー”という結果を、“私”という原因が引き寄せたというの?」

「人類の進化は、その強い意志によって現代に至っている。他を殺して勝ち抜こうとする精神が際限なく武器を発展させ、やがて重力兵器さえ生み出した」

「だから、何?」

「重力兵器の誕生は、核兵器の誕生に似ている。人は原子核の謎を解く前に、原爆を作り出してしまった。核エネルギーによる発電や治療器具を作り出せても、廃棄物の処理技術を確立できたのはその百年後だった。重力兵器においてもまた然り、さ。時間の謎に無知のままに究極の破壊をもたらす術を手に入れた。重力汚染によって歪められた空間は、放射能以上の影響を生命体や惑星にもたらしてしまった。ダークマター宙域にとどまっていた遊星を、ここに呼び込んでしまう類のことも含めて。この宇宙が、人類に対してペナルティを求めるのも当然だ」

 ルナは、あきれたように首を小さく横に振る。

「話にならない。あなたは、科学と神話を同じ地平で捉えている」

「Yes。科学は神話から生まれた。個体としての人の肉体と精神が常にシンクロして成り立っているように、科学と神話の“混同”は、必然だ」

「それがあなたの、思想的根源?」

 ルナは顔の前で手を組み、ヨルデを小ばかにするようにその上に顎を乗せた。

「さあ。それには答えられない。僕にも分らないからだ。だが、君たちが構築したこの因果の流れを断ち切らない限り、地球環境のみならずこの太陽系の秩序は破滅する。それは恐らく、冥王星の消滅にとどまらない」

 ヨルデは動じることなく答えた。

「話を戻したいなら、それもいい。私がバーサーカー彗星を作り出した、とあなたはさっき言ったわね」

「そうだ。君こそが、今日の混乱の中心人物だった。2年前まで、僕も気づかなかったよ。宇宙から来た悪魔は巧みに、僕を含む全世界の人々を騙していた」

 ヨルデもゆるぎなくルナの視線を受け止めていた。

「宇宙から来た…“悪魔”ですって…」

 意表を突かれたようなルナの様子に、ヨルデは小さく笑みを浮かべた。

「18年前、君は新しい亜空間原理を提唱することにより、クリストファー・セイバーン博士があの彗星を発見するように仕向けた。あのころは僕も、まだMRAに籍を置いてはいなかった。ただの難民キャンプ出の労働者だった」

「あなたは、クリス博士を殺害するためにMRAに入隊したと証言している。それも、まだ博士がバーサーカー彗星を発見する3年前に。これって、あなたの預言によるものなのかしら」

「Yes。彼がいなければバーサーカーなど生まれなかったと、僕は信じていた。しかし、これは間違いだったと認める。クリストファー・セイバーンもまた、地球を過ちに導く道具の一つに過ぎなかった」

「では、クリス博士がバーサーカーを発見することをあなたは知っていたとするなら、バーサーカーの存在を最初に認識したのはあなただということになる」

 ヨルデは小さく顎を引いた。

「…なるほど。そうかもしれないな」

「つまり、その後の一連の出来事は、あなたから始まった」

「…そうなるかもしれない。それでも、その前に君の亜空間原理の新発見があった」

 ヨルデは小さく笑う。

 ルナはその笑みを無視してじっと睨んだ。

「あなたの世界においてバーサーカーの発見者は、あなた。その頃からあなたのシンパともいえる腹心の部下たちは、あなたを神のように崇めていたそうね」

「彼らは最後まで、正義を貫いて死んでいった。そして僕にとっては、掛け替えのない友人だった」

「所詮は、テロリズムの殉教者…。彼らを殺したのも、あなた」

「どうとでも呼ぶといい。僕が君に近づくために、彼らは命を賭してくれた」

 ルナは視線を引き、大きく深呼吸をした。

「やっぱり、まるで教祖ね」

「違う。僕は現実的な情報主義者だ」

「情報主義者なら、どうして“悪魔”などという象徴的な表現を使うのかしら」

 一瞬、ヨルデから表情が消え、やがてニコリとほほ笑んだ。



       ギャラリー・2


「パスカー・ヨルデの医療記録は?」

 イン・ビジョンのファイルをチェックながら、バイガスはつぶやく。

「身体的な障害は、何も。脳神経のパラメーションマトリクスも、理想モデルと言っていいくらいに正常です。テロリストたちが常用する“マックス”の類も、一切検出されませんでした。付け加えますと、ヨルデが確保されたときに死亡した戦闘員たちは、“マックス”の常用者でした」

“マックス”は、戦闘時において肉体機能を強化する軍用薬物である。

 常用するためには、抗生インプラントを体内に埋め込まねばならない。

「健全な肉体に、どうすればあんな危険な精神が宿るのかね」

「私も、それが知りたいのです。精神分析官たちさえ認めた、高い知性に深い洞察力とカリスマ性。少なくとも、パスカー・ヨルデの精神にトラウマを作り出すようなコンプレックスの類は一切、認められません。まるで、物語に出てくる修行僧のような。程度を超えた理想モデルの精神など、かえって異常です」

「だが、こいつの発言と行為はテロリストそのものだ。そんな奴に、宇宙から来た“悪魔”などとは、ルナも、随分な言われようだな」

 やや憤慨したような口調でバイガスは吐き捨てた。

「いえ。恐らく“あれ”は、副司令のことではありません」

 シュミットの言葉に、バイガスが目を向ける。

「…ほう」

「副司令に対して、ヨルデは“愛憎は一切感じていない”と宣言しています。それなら副司令を、敵対する悪意を象徴する“悪魔”に例えるはずがない」

「じゃあ、ヨルデの言う“悪魔”とは“バーサーカー彗星”のことか」

「それも、どうですか。これまでの調書を見る限り、ヨルデの精神には宗教的側面は極めて薄いと判断できます。無論、彼のシンパであったMRAの部下たちは私の考察に賛成してはくれないでしょうが」

 バイガスは小さく舌打ちをした。

「俺は、物理学者だ。君のように人の心根を探るのは苦手でね」

「お言葉ですが、心理学用語の語源は物理学に由来します。ストレスやコンプレックスなどを例にとるまでもありませんけど」

「俺は、心理学など嫌いだ、と言っているんだよ」

「それは、失礼を。ところで話を続けますと、思いますに、ヨルデの言う“悪魔”とは何らかの宗教的“負”の人格表現などではなく…もっとずっと抽象的な因果を指しているのではないか、と」

 言葉とは裏腹に無礼などという概念など眼中にないシュミットの言葉に、バイガスはあきれたように笑みを浮かべた。

「それもまた、随分と文学的な表現だ」

「再び、失礼を。そして副司令も、どうやら私と同じ思考でヨルデの精神を捉えようとしていらっしゃるように思えます」

 シュミットは、モニターの二人を凝視したまま。

 バイガスの笑みは、ややむくれたような頬の歪みに代わる。

 それでも不思議に、不愉快そうには見えなかった。



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