吸血鬼

著 : 秋山 恵

伝染



 地下鉄の構内は、雪の降るような季節でも暖かかった。そのせいか、場所によっては一年中蚊が飛んでいた。

 よく見ると、線路の辺りに数匹小さい黒い点が浮いているのが判る。

 悪臭が漂っているから、どこか下水と繋がっているような隙間があるのかもしれない。

 秋山紗季が超音波のような羽音を聞き、首筋付近にチクリと感じたのもその辺りだった。

 一瞬何事かと思いかけたが、元々蚊が飛んでいるのは知っていたから、素早く手でパシリと叩いた。

 やったかな?と掌を見て目を疑った。

 そこいらで見かけるようなサイズではない。あり得ない大きさではなかったが、都会でこのサイズは見たことがなかった。田舎の祖母の家の裏庭に居るような大きさの蚊だ。

 羽と脚が不様に折れている。腹が潰れ、掌には血が付いていた。それほど吸われてないはずなので、誰か別の人のものだろう。

 大きさのせいも手伝ってか、気持ちが悪くなった。

 首筋の辺りを触ると、指にも血が付いた。かなり吸っていたのだろう。電車が着いていたが、ティッシュを切らしている事を思い出し、指で何度か拭ってからトイレに向かい、手を洗った。

 誰の血だか分からない為、気持ちが悪い。

 早く洗いたいと感じた。

 紗季は、どちらかと言うと潔癖な方である。乗り物の吊革や試聴用のヘッドホンは触れなかった。

 勿論、誰のものか分からない血には大いに拒否反応を起こす。

 そもそも、他人の血が苦手だった。小学生の頃は同級生の鼻血にパニックを起こしたものだ。

 紗季は、いつまでも首筋が気になった。

 次の電車が着いて飛び乗った後も、首筋付近に違和感を感じていた。それは次第に、気になるといったレベルではなくなってきていた。

 特に痒いとか痛いとかでは無い。冷えていると言うか、少し感覚が鋭くなっているような感じがした。

 熱が上がる最中に身体が敏感になるような事があるが、そういった感覚とは違う。単純に感度が増しているようであった。

 その感覚は、帰宅後にシャワーを浴びても消えず、むしろ広がっていくようだった。だが、不思議と不安は感じなかったし、シャワーを浴びる頃には、さも当然の事のように気にしなくなっていた。

 ただ、確実に何か変化が起きていた。

 紗季がその事を意識したのは、それから数日先の事になる。



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