吸血鬼

著 : 秋山 恵

逃走



「おい、山県。起きろ」

 浅野の無粋な呼び声に意識が現実世界へと戻った。

 遼二が薄っすらと目を開けると、カーテンは閉まっているものの、外は明るくなっていた。

 時計を見ると、針は8時半を指していた。

 浅野の手には酒の空瓶が握られている。

「それ、飲んだのか?」

 遼二は何か違和感を感じながら、大きく欠伸をした。

「知ってんだろ、俺はアルコールに弱いんだよ。・・・起きなかったらこれでブン殴ろうと思ってたんだがな」

 浅野はニヤニヤしながら遼二を見下ろしている。

「酒もタバコもダメ。お子様みたいでなんか可哀想だな」

 浅野の額に青筋が立つのを見ながら、遼二は身体を起した。

 ライフルのケースは置いてあるが、持ち主である生真面目の姿が見当たらない。

 先ほど感じた違和感は、遼二を起した人間が、里見ではなく浅野だったからだろう。

「里見はどうした?」

 浅野は酒の空瓶を放り出すと、不機嫌そうにして

「お前を起しとけとだけ言って、さっき出てったよ」

 と答えた。

「起してから出掛けてくれよ・・・」

 遼二はそう呟きながらキッチンに向かうと、洗ってあるのかも分からないコップを手に取り、一息吹きかけて埃を吹き飛ばし、水を注ぎ、1杯を一気に飲み干した。

 そのまま食べる物を探して辺りを見回すが、黒くなったいつのだか分からないバナナが目に入るだけで、何も見当たらない。

 腹の虫が鳴る。

「そう言えば教会から連絡が来てるぞ。意気込んで人数揃えた割に連中のんびりだ。来るのは6日後になると。で、それまでの間、引き続き捜索を続けてろとの事だ。つまり、俺達には何も期待してないって事だな。6日じゃ遭遇する事も無いだろうし、フリだけして遊んで待ってるか?」

 後を付いてきた子犬のような浅野の言葉に、手をヒラヒラとさせて応える。

 多分、標的はもうこの近辺には居ない。普通に探しても見付かる事は無いだろう。偶然でもなければ・・・。

 遼二の心の中からは標的に対する恐怖は無くなっていたから、何とかして会いたいと考え始めていた。

 6日後には本部で選ばれた精鋭が来る。そうすれば、標的はすぐにも見付けられ、恐らくすぐに刈り取られる。

 それまでに会えるかどうか。

 遼二はヤカンに目一杯水を入れ、火を掛け、ついでにタバコをくわえて火をつける。浅野はそれを見て部屋に戻っていった。

 窓の外に目をやると、いつの間に積もったのか銀世界が広がっていた。

 まだまだ積もりそうだ。大粒の雪が、何かをひっくり返したかのような勢いで降り注いでいた。

 遠くに、里見が近所のスーパーで買ったであろう袋を提げて歩いてくるのが見える。

 長ネギが飛び出ているところを見ると、何か作るつもりなのだろう。体中に雪が積もっており、顔をマフラーで覆っている為、モノトーンのテレビ画面を観ているように感じる。

「傘ぐらいさせよ・・・」

 遼二はタバコを大きく吸い、遠く見える里見へ向けて吹き付けるようにして吐き出した。



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