「ここは俺のプライベートな部屋だから、組織の人間も含めて危険な者は来ない。電気、ガス、水道、使いすぎなければ好きにして良いよ」
壮介がセーフハウスと称した部屋は、マンションの1室だった。
1DKで、風呂とトイレが分かれている。ベッドとテレビとノートパソコン、小さなソファとラグマットの上にガラス製のテーブルが置いてあるだけで生活観はあまりない。壁面を埋めるような収納家具があったが、中身は殆ど入っていなかった。
都心から電車で1時間程のところだろう。窓の外を眺めると、木が多く、今は真っ白だが雪が溶ければ辺りに緑と戸建の住宅街が見えると思われる。
「どうせ隠しても探すだろうから出しておくが・・・」
壮介はクローゼットを開けて、ダンボールを取り出す。中には色んな精密機器らしきものが詰まっていた。それを無造作に箱から出して、一番底に入っていたケースを引っ張り出すと、ガラステーブルの上に置いて開ける。
「無いと思うけど、必要になったら遠慮なく使ってくれ。“自衛の手段”としてな」
紗季が興味津々な面持ちで、恐る恐る覗き込む。女の手には余るような、大きめの黒い拳銃が入っているのが見えた。こんな物騒な物はテレビゲームや映画の世界でしか馴染みがなかったのでギョッとした。
「ははは・・・、45口径で自衛ですか」
映画で俳優が持っているのやモデルガンとの区別が付かず、エレナの苦笑いも手伝ってかリアリティに欠けて見えてしまったが、間違いなく本物なのだろう。ケースの中に無秩序に入っている弾には鈍い光沢があり、見紛うこと無く金属の質感がある。テーブルの上に置いた時に感じた重量感には嘘が無い。
「後はこれくらいかな」
壮介がベッドの下から引っ張り出した箱を漁り、スタンガンを取り出してベッドの上に放り出した。父親が使っていた電気シェーバーに似ている。紗季はそう思った。
こんな小さなものでも人を行動不能にするくらいの事は出来る。そう思うと触るのが怖かった。ベッドの上に置かれたそれを、遠巻きに見つめる。
壮介が上着を手に取り、立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ行くよ。夜に食料買い込んでまた来る。何か食べたければ、悪いけどシンク下のカップ麺で我慢してくれ」
上着を着ると、足早に玄関へ向かった。エレナがその後を追う。
玄関先で何か話しているのが聞こえ、そちらの方を見ると、エレナが壮介にキスしているのが見えた。困ったような照れたような、そんな表情で壮介が部屋の方を見ながら扉を開ける。紗季と目が合うとバツの悪い顔をして出て行った。
二人はどんな関係だったのだろう。鍵を閉めて戻ってくるエレナの顔を見ながらそう考えた。浮ついた顔をしていないから、ただのサービスだったのかもしれない。
「お腹、空かないでしょ」
部屋に戻ってきたエレナが、優しい表情で語りかけてきた。そう言えば、全く空腹感が無いような気がする。昨日の夕方から何も食べていないはずだったのにも関わらず。
「なんか、平気です」
意識しなかったので、食事の事も忘れていた。
空腹感が無いということは、食事を気にしなくなるということだと、今更ながら痛感した。もしここで言われなければ、どれくらいの間この状況が続けば食事の事を思い出したろう。
「吸血鬼はね、普通通りに食べても良いけど、暫く食べなくても平気。下手すると、血を飲んでれば永遠に生きていけるんじゃないかと思う。けど、前にも話したと思うけど血は我慢するべきで・・・、でもいつか我慢が出来なくなる時が来ると思う。その時は教えて」
まだ平気だが、血への欲求が少しずつ大きくなりつつある。紗季も、それだけは感じていた。
近隣の駐車場で会った怯えた猫の瞳が脳裏に過ってしまう。
「我慢、出来るものなんですか?初めて我慢した時って、辛かったのです?」
「どうだろう。忘れてしまったな・・・」
エレナの表情から、過去に苦しんだのだろうなということが感じられた。あまり顔に出さない人だと感じていたから、尚更そのイメージが作りやすい。
この先どうなるのだろうか。その不安はいつまでも同じ大きさのまま、紗季を包んでいた。
抜け出せる日が来るのか、いつかは慣れてしまうのか。全く見えない未来に恐怖した。
暫くの間沈黙があった。
聞きたいことが山ほどあるはずなのだが、会話の始め方が分からない。それに耐えられなくなり、とりあえずテレビを付けて眺めてみる。
エレナが拳銃をケースから取り出すのが、視界に入った。
マガジンを抜いて中が空なのを確認すると、金色の円柱を一つ一つ丁寧に詰めた。弾の先が平たくなっているのが不思議に感じられる。
マガジンを拳銃に戻した後、クローゼットの中を漁ってカバンを取り出す。中に入っている物を確認して小銭入れを見付けると、入っている金額を数え、拳銃と一緒に中に放り込んだ。
「紗季。留守番しててくれる?私、ちょっと出掛けて来るから」
「あ、・・・はい」
一人にされてしまう。それが不安に感じたが、口に出せなかった。
「帰ってきたらドアの前に立ってチャイム鳴らすから、私だって確認した上で鍵を開けて」
それだけ言うと、出て行ってしまった。慌てて追いかけて扉を開けて外を見たが、もう姿は無い。諦めて鍵を閉めて部屋に戻ることにした。
膝を抱えてテレビに向かう。
お笑い芸人が何かに挑戦しようとしているところだった。
テレビの中からは爆笑しているのが聞こえてくるが、ちっとも面白いと感じられなかった。普段は止め処なく笑っているのにも関わらず。
未来の不透明さへの不安を感じる。今まで自分がどれだけ安定した生活をしていたのかが、身に染みるように感じられる。
降りしきる窓の外の雪に視線を移し、紗季は一筋の涙を頬に伝わせた。