沙季は、昼過ぎに出かけた遼二の後をつけていた。
のんびり歩き続け、一時間以上経った頃、繁華街のとある建物に入っていった。何の建物かは分からない。
沙季は近くの喫茶店に入って出てくるのを待つことにした。
が、何時間経っても出てこない。
昨夜沙季が言った事を調べてくれていると信じる。とすれば、その建物は沙季に取って非常に危険な場所だった。
場所を変えようとした時、その建物から何となく見覚えのある小太りが出てきた。喫茶店は向かいの建物の1階だったが、小太りはこちらに気が付かない。
犬を連れていなければそんなものかと胸をなでおろす。
沙季は喫茶店の中から建物を見上げた。
教会のシンボルはないが、ここは関連の施設なのだろう。地上は4階建てで、見栄えはオシャレな街並みの景観を損ねないような、前面がガラス張りのオシャレなビルである。
沙季は会計を済ませて外に出ると、建物の周りを1周した。
出入り口は正面以外に裏にもあった。しかし、正面が閉まっているような時に使うような重圧な金属の扉である。確実に普段使われない裏口だろう。そこから出入りすることはまずなさそうだと思った。
そっとドアノブを回して扉を引いてみるが、施錠されている。
沙季はどうしようかと悩みながら、建物の正面に回る。
運が悪かった。いや、良かったと言うべきなのだろうか。
そして、遼二の調査を待たずにそれに出会えてしまった。
自動ドアが開き、傷だらけの銀髪の男が出てくる。
すぐにそうだと、吸血鬼の勘が沙季に知らせた。
サングラス越しに目が合う。それだけで、刃物の切っ先を向けられているような気持ちになる。
沙季は無意識の内に後ずさりをするが、喫茶店のあった建物の壁にぶつかって行き場を失った。
間違いない。
この殺気と、どこからか吹き出てくる攻撃的な感情の飛沫。壮介の追いかけた相手に違いない。
本能がそう伝えると同時に危険信号を発していた。
逃げ場を失っている沙季に向かって銀髪は歩み寄る。速くも遅くもなく、一歩が地を確りと踏みしめていた。
間近までくると、銀髪は見下ろす形で沙季の方に顔を向けた。
「お前は、あの女と似たニオイがする」
本能的にエレナのことであると判断した。やはり自分の判断は間違えていない。この銀髪はエレナの敵であり、壮介の敵でもある。
右に逃げても左に逃げても捕まる気がした。
ここは繁華街だ。大声を上げて関係のない人間を巻き込む他ないが、相手が常識から外れた人狼だとすれば・・・
人が死ぬ。
そうでなくても、通る人々の視線は必ずこちらの方を見ていた。何を説明されるまでもなく、その光景が正常であるとは思わないだろう。
「変な人ね。ニオイなんて、新手のナンパ?ちょっとヘンタイ入ってるよ」
努めて普通の、若い女のフリをする。
銀髪は沙季の首筋辺りに鼻を近付けてニオイを嗅いだ。
吐息は血肉のような臭いがするような気がする。そして、野生のような体臭が微かに感じられる。
「お前が人間ではないことは分かってる。下らない態度を取るな・・・」
イヌ科の生き物のような低く呻る声が聞こえてくるようだ。銀髪は、沙季に行動を促しているのかもしれない。何か行動を起こせば、それを理由に殺しにかかるつもりなのだろう。
「・・・私は戦う気はないから」
顔は背けず、搾取者の目から自分の目を逸らすことはしない。
戦ったとしても、まず勝ち目はないだろう。沙季程度の吸血鬼でも、相手の力量くらいは何とか分かる。
それでも虚勢を張った。
目を離した隙に殺しにくるのではないかと思った。
沙季は気が付いていなかったが、遼二が銀髪の後方でそんな姿を遠目に見ていた。
(あの女、俺よりマトモだな)
苦笑いしながら二人の所へゆっくり歩いていく。
シミュレーションした時の武器はなかったが、そんな事はどうでも良くなっていた。
今こうしておかなければ何かを失うような気がしていたから、体が勝手に動いていた。
慌てるつもりはまるで無いのに、足は速かった。
声がちゃんと聞こえるだろうところまで来て、
「おい、銀髪の。その女は俺の獲物だ。手を出すな」
感情を抑えて言葉を発する。
銀髪が振り返った。
眼光は鋭く、
「お前も狩るぞ」そう言っているようにも感じる。
どちらも暫くの間にらみ合ったような状態で、石像の如く動きを止めた。
遼二が身構えようと手をピクリと動かした時、銀髪はまたしても鼻で笑った。そしてそのまま踵を返すと、どこへとも無く歩き出す。
完全に舐められてる。
遼二の心には悔しさしか残らなかった。銀髪の背中を鋭いナイフのような目で見送りながら、自分自身が奴を狩るところを想像した。
ゆっくりと視線を戻すと、その先には笑顔のまま固まって立っている沙季がいた。
「お前、バカか?ここはハンターの詰め所だぞ」
遼二の声を聞いた沙季は安心したのか、そのままヘタリと地面に座り込んだ。
「ははは・・・、ありがと・・・」
少し声が上ずっていた。
表情はまだ笑顔のままだ。少し引きつっているように見える。
「こんな所じゃ説教も出来ないな、どこか行くか」
遼二は沙季の手を引っ張って立たせ、そのまま連れて歩きだした。
沙季は追い付くようにして早足で付いてきているので、傍から見ると手を繋いで歩いているように見える。
そんな光景を、小太り・・・、浅野が、夕食のつもりで入ったファストフード店の中からニヤニヤしながら見ていた。
あの堅物の遼二が女と手を繋いで歩いている。
サングラスをしているが、美女だ。
それだけでなく、運の悪い事に歩いている先はラブホ街だった。
「へぇー、山県がねー・・・」