怪談深緑山荘

著 : 秋山 恵

1日目


 平賀康人は車を降りると、山奥の空気を目一杯吸い込んだ。

 青々と生い茂る薫りと透き通った味の空気に、身体中の活力が満たされるようである。

 足下の砂利が心地よさ気な音を立て、近くの小川からは水の流れる音が、山中のバックミュージック宜しく聴こえてきた。

 それに、風に煽られた木々のざわめきが交わり、自然の中心に居ることを思い出させる。

 遠く緑色を揺らめかせる景色に見とれていると、車の方から声がした。

「やっさん、荷物下ろすの手伝ってよ!」

 色白でインテリ風のイケメン、澤田昌司が、車のトランクから大きな荷物を出そうとしている。

 途中まで引きずり出して諦めたのだろう、半端な位置で荷物が空に浮いていた。

「悪い、車に酔ったみたいでさ。少し休ませてよ」

 オーバーに口元を押さえ、オエっとしてやると、眉間に皺を寄せてみせた。

 昌司の運転は乱暴で、峠道を、まるでレースゲームのような感覚でドリフトしながら走った。

 普段車酔いは全くしない康人も、さすがにこればかりは堪えたらしい。

 が、可哀想なのは後部座席に座った二人の女性、神田真弥と小池由紀の二人だった。今も車のシートでだらしなく首をもたれている。

「なぁ、昌司。帰りはゆっくり走ってやってくれるか?」

 苦笑いで二人の被害者を指差し、荷物の片側を掴む。

 まるで漬け物石でも詰まっているような重さだ。

 荷物はトランクのその殆どを占めるようなサイズで、1週間分の食料、飲み物、いや、アルコールが詰まっている。

 生肉や生魚、生野菜が入ったクーラーボックスなのだが、冷却の為に氷やら水やらも詰まっているので重いのも当然であり、積み込むときに、

(これを現地でまた出すのか)

 と青ざめたのは記憶に新しい。

「昌司、よくこんなもの積んだままあの運転を維持したな。金持ちでドライビングテクニックも一流、しかもイケメンときたもんだ。ホラー映画じゃ一番最初に死ぬタイプだぜ。このクソが」

 笑顔で皮肉を垂れると、荷物を持つ手に力を込めた。

 ガタンと音を鳴らして、その棺桶のようなクーラーボックスは出てきた。

 そして二人はそれをゆっくりと地面に下ろす。

 下ろす時にイケメンのコメカミに青筋が立っていて、康人はニヤリと笑った。いつもクールな顔を作っている男の顔にも、青筋は当たり前のように浮き上がるものだ。

「先に建物の鍵開けてくるから、やっさんは女の子を介抱」

 キリッとした表情で康人を女の子の方へと押しやると、鼻唄を歌いながら鍵を指で回しながら玄関へと向かった。

 ここは、群馬の山奥にある昌司の家の別荘である。今年の春先に、実業家である昌司の父親が買ったそうだ。

 昌司の父親は、何とか一番最初

(父親の威厳らしいが、周囲の人々にはその意味が理解しがたい)に泊まろうとしていたが、忙しくてなかなか来る事が出来ず、息子の昌司に一番乗りを許す事にしたらしい。

 何故許したかについては逸話のようなものがある。

 代々この別荘の持ち主は、買うは買ったが仕事が忙しく、泊まりに来る事が出来ないらしい。そして、使わずにして売りに出される。

 昌司の父親は、その悪循環に終止符を打つ事を目的の1つにした。

 が、偶然とは恐ろしいもので、いざ購入すると爆発的に忙しくなり、泊まるどころか別荘の事を考える暇すらなくなった。

 そこで、タイミングを見計らっていた息子の昌司は、大学の夏休みを利用して泊まる事を宣言。衝突無く許可が得られたというわけだ。

 康人は別荘の外観を見上げるようにして見た。

 エラく大きい。どちらかと言うと近代的で、都会で普通に豪邸として建っていてもおかしくない。

 外壁は白で統一されており、周囲は掃除も行き届いている。角張った建物で二階建て、形状からは屋根裏もありそうだと感じられた。

 人里から遠いものの、月に一回は管理人が掃除に来るらしい。

 今日はたまたま掃除した直後なのだろう。砂利までならしてある。

「やっさん、介抱!」

 玄関先で昌司が車を指差して立っている。

 ビシッと決まったそのポーズに、今回の目的を思い出して二人の女性へ目を向けた。

 二人はまだグッタリとしている。

 視線を戻すと、昌司が親指を立てている。

 観念したように手を上げると、納得した表情で鍵を鍵穴に差し込む。

 今回ここに来たのには、実は昌司のお節介である。

 康人は常に真弥に興味があった。

 ゼミの最中、昼食の学食、夕方には正門が見えるカフェで珈琲を片手に読書のフリをする。

 勿論、ページは殆どめくらない。

 康人本人が気が付かない程にベタベタ惚れ惚れな状態が数ヶ月続いた。

 それを見ていた中学以来の友人昌司が一肌脱ぎはじめたのは、康人が余所見で段差を踏み外して階段を転げ落ち、左手首の骨を折ってからだ。

 昌司は一度世話好きを発動させると、凝った演出を混ぜる事がある。

 車を見ていた康人はそれを思い出した。

(すまぬ、友よ)

 康人に介抱させる為に、自慢のドライビングテクニックを披露したのだろう。

 そう気が付いた瞬間、康人は嬉しさで涙ぐむ。

 車の後部座席を覗き込むと、真弥の方は顔を上げていた。

 由紀の方を見て心配そうな顔をしていた。

 瞳が大きく、少し垂れ下がったその両目は常に優しさを携えている。

 肌は白く、黒く美しいストレートのロングヘアが、真弥の動きに付いてサラサラと流れた。それは深夜の清流のようで、本人の優しそうな外見の中でただ一つ妖艶さを醸し出している。

 つい見とれる康人に気が付いた真弥が、ニコリと微笑み掛けた。

 康人は、眩しくて直視出来ないと、項垂れる由紀の方へ視線を移す。

「凄い運転でしたね。まるで映画の中の登場人物にでもなったみたいでした」

「あ、あぁ、ちゃんと文句言っておいたよ。大丈夫?神田さん降りれる?小池さん大丈夫かー?」

 声が上擦らないよう、ゆっくりと話す。膝は笑っているかも知れない。車の上に乗せた腕を動かす自信がない。

「ダメ、動くと吐く。暫くこうしてる」

 茶髪の巻き毛が、微動だにせずに返事をした。

 虫の鳴くような声に耳を傾けていたが、以降は続かない。

 いっその事吐いてしまえば楽なのだろうが、相手はうら若い乙女である。真弥と違ってメイクもガッチリで、吐けば大変な事になりそうだ。

 そんな事になるなら死んだ方がマシだと考えるだろう。

 そう考えて居ると、真弥が車を降りてきた。

 柔らかい石鹸のような香りが漂う。

 ナチュラルメイクの顔が康人の近くにきていた。

 目が輝いている。

 康人はのぼせた感覚に陥り、金縛り状態で固まっていた。

「凄いですね!まるでペンションみたい!」

 二人は建物を見上げた。

 深緑に包まれたその白い豪邸は、太陽の陽射しを反射して、神々しく威厳を持って構えている。

 まるで巨大な館のようにも見えた。

 これから、自分たちがここで暫く寝泊まりする。

 それも恋い焦がれた素敵な女性とだ。

 あまりにも壮大な話に、意識するとクラクラしてきそうだった。

 このまま結ばれる事を祈ったりしながら建物を眺めていると、二階の窓に人影が横切るのを見た。

 昌司にしては小さい。

 その影は、窓から窓へ移って行く。

 それも小走りで移動しているようだ。

 建物の二階左端を右から左方向へ駆け抜け、最後の窓を通り過ぎて姿を消すと、影が走ってきた方向から昌司が姿を見せる。

 真弥と並んで立っているのを確認して、手を振ってきた。

 康人はそれに応えて軽く手を振り返すと、自分たちの荷物を車から出して建物内に入った。

 標高が高いとは言え、かなり涼しい。

 むしろ、寒いと言っても良い。

 広い玄関は大理石で造られており、正面には二階へ上がる階段が付いている。

 そこを、ポケットに手を引っ掛けたまま、昌司がまるでスキップでもするように軽快に下りてきた。

「なぁ、昌司。ここ管理人とか居るのか?」

 昌司はキョトンとした顔をした。

「うん?居るけど?老夫婦が近くの町に住んでて、たまに掃除してくれてるみたい。呼べば来ると思うけど、それにはまた時間掛けて車で行かないとな。電話線はあるけど契約されてないみたいだからな。何かあった?」

 つまり、先程の影は管理人ではない。

 得体の知れない何かがここに住み着いている。

 目の錯覚かもしれないし、昌司の悪戯の可能性も十分に考えられる。

 昌司の移動速度では足音は隠せないだろう。

 昌司が気付かない訳はないから、悪戯と考えるのが普通だ。

 それでも何故か違和感を感じる。真弥の耳があるのでとりあえず今のタイミングで話をするのは止めにした。

「いや、中も外も掃除が行き届いててビックリしたんだよ。こんな山奥だから、藪の中にでもあるんじゃないかって思ってたからさ」

「ははは、確かにな。俺も、まずは着いたら草刈りさせたろ思ってたしな。管理人に感謝だ。ところでやっさん、由紀ちゃんは?」

「動くと全部出るって。暫くほっといて欲しいって」

 聞き終わるより早く、昌司は車へ飛んでった。その際に康人の肩をポンと叩き、片目を閉じてみせる。

 車の方を見ていると、ややあってから、謝る昌司とそれに食ってかかる由紀の姿が見られた。

 動くと吐きそうだったのではないのかと思いながら、もう、どこからどこまでが演出か分からない状況に少々困惑した。

「あら、由紀、元気になったのね」

 真弥の勘の悪い一言にホッとしながら、康人はリビングのドアを開けてみる。

 一瞬腐臭のような何かを感じたが、それはすぐ消えた。

 リビングは広く、下手をすると、康人が住んでる部屋が丸々3つは入りそうだ。天井は高く、シャンデリアのような照明が付いていた。

 家具は一通り置かれており、その殆どが真新しい。最近になって設置されたのは間違いなさそうだ。

 康人は窓を開ける事にした。

 先程の臭いはしないが、何か気にかかる。

 窓を開けると、気の強そうな女の声と謝り続ける優男の声が聞こえてくる。

「帰る!」

「許して」

「死ぬかと思ったわよ!」

「大丈夫、生きてる、脚ついてる。キレイな脚だ」

「今すぐ車だせーっ!」

「本当に悪かった。お詫びに、今度ケーキの美味しいお店に連れてくよ」

 最後のケーキの件で一瞬詰まるも由紀の攻撃は続く。その光景に康人は失笑した。それに釣られて真弥もクスクスと笑いだし、終いに二人は爆笑に達した。

 対岸の火事とはよく言ったもんだ。別段性格が悪い訳ではなかったが、二人とも暫く愉快な気分に浸った。

 その喧嘩が収まったのはそれから10分後。気分を害した由紀の手を引き、真弥が車外の光景を見せた事が決定打になる。

 どちらかと言えば、目も眉もつり上がった由紀だったが、顔がほころんだ。


 時は15時を回り、ぼちぼちヒグラシが鳴き始めるだろう頃になった。

 各々好きな部屋に荷物を持ち込み、倉庫にしている部屋から寝具を運び出してベッドメイクをする。

 その修学旅行のようなノリに、皆笑顔を見せていた。

 ただ、康人だけは妙な表情をしている。

 到着した時の影が気になっているのだろう。

 備え付けのクローゼットやベッドの下を除き混んだり、窓の外に人が立てるスペースがあるか等を確認する。

 悪戯であっても何か居るのであっても、出来ることはしておこうと考えた。

 几帳面で凝り性が全力で発揮されている。

「やっさん、どうした?」

 昌司の投げ掛ける心配そうな声にハッと我に帰る。

 今なら女性陣は居ない。聞くなら今しかないだろう。

「なぁ、今日ここ着いた時なんだけどさ、二階で何か影を見たんだ。ここ、何か居ないか?身長140位で凄い速さで走る何か」

「おっとおっと~。ここは幽霊屋敷かー?」

 俄然嬉しそうな顔をする昌司に呆れた康人は、目の前で鼻の穴を広げて目をきらめかせているイケメンの頭を、グーで殴った。

 昌司にこの手の話は厳禁であった事を思い出す。

 夏休みの前日の事だった。うっかり怪談話をしてしまった奴が居た。

 それをスイッチにし、行動派の昌司は心霊スポットツアーを企画する。

 数時間後には、その場に居たメンバー全員が有名な心霊スポットのホテル前に立っていた。

 おどろおどろしい廃墟を前に、昌司が今と全く同じ顔をしていたのは記憶に新しい。

 この時一番の被害者は康人である。

 ホテル内の方々で昌司に驚かされ、悲鳴を上げ続けた。

 最終的に、何か変なものを見た面子はおらず、殆どの者はガッカリしていた。

 が、火は消えず、後日“康人絶叫ツアー“と題されたその話題は、昌司のブログで仲間内に公開され、爆笑を誘った。

「痛いな。何も殴らなくても良いだろう?」

 絶叫ツアーのお礼も含め、結構な力を込めて殴った筈だが、昌司は怒りもしない。むしろ構ってもらえることに対する喜びさえ感じているようだ。

「もし何か出たらどうしてくれるんだよ?」

 康人は、こう言った類いの話が苦手である。

「幽霊とか、そういうのが居ると思うか?居たら会ってみたいもんさ。こないだの廃ホテルでもそうだったろ?それはそうと、今の話は多分こうだ。俺が二階に上がってやっさんに手を振ったろ?あの時俺の角度からは、大きな鳥が飛んでいくのが見えたんだ。やっさん、映った鳥を見たんじゃないかい?」

 タネは明かされると呆気ない。

 昌司が真面目な顔をしてそう答えたのだから、間違いは無さそうだ。何か思い込みもあったろうし、そういう事にした方が楽だろうと決めた。

 康人は、真実を直視するのを拒むタイプだ。

「まぁ、ビビりのやっさんには丁度良い話だったかも知れないけどな」

「ビビりだからこそ生き延びる事が出来るかも知れない。だから俺はこれで良い」

 腰に手を当てて、威勢良く言い切った。


 夕食はカレーだった。

 月並みだが嬉しいメニューに、男性陣は沸き立つ。

 女性陣のお手製カレーは、辛味はソコソコだが香辛料が豊富で香り高く、夏野菜がゴロゴロ入っている。

 康人にしてみれば、例えばどんなに不味くても真弥の手料理だ。何があっても残さないだろう。

 が、旨すぎた。おかわりしたい気分だったが、照れがあるのか言い出す事が出来ない。

 腹は満たされないが心は満たされたので、それでヨシとする。

 夕食が済み、後片付けが済んだ後、そのままの流れでツマミとアルコールが登場した。

 山のように盛られた揚げ物は、洗い物をしていた康人の隣で昌司が作ったらしい。

 その量は4人で食べるには多すぎて、普段質素な食事をしていた康人はありがたくなり、拝むように手を合わせた。

 その光景を見た昌司に、揚げ物の山は霊峰と名付けられる。

 既に機嫌を良くしていた由紀は、それがツボに入ったらしく暫く笑っていた。

 4人中3人は酒豪である。康人は焼酎や泡盛をストレートで飲み、昌司はワインの瓶を2本空にした。

 由紀はビールの瓶を側に並べて、これも同じく数本を空にする。

 真弥はアルコールに弱いらしく、昌司から分けてもらったワインをグラスに半分程飲んだところで、可愛らしい声を上げて寝てしまった。

 暫くの間由紀が膝枕をして寝かせていたが、ベッドに連れて行こうと言う話になった。

 担いだのは康人である。

 飲んでも飲まなくても顔は真っ赤だったろう。

 ベッドに真弥を寝かせた後、康人は暫く顔を覗き込んでしまい、リビングに戻るのが遅れた。

 それをネタに、二人に小一時間からかわれる。

 その後も話題はなかなか尽きず、各々が自分の部屋に入ったのは、深夜1時半頃だった。

 深夜、虫の音が鳴り響き、風が木々を揺らす音。牛蛙のボゥボゥと鳴く声に不気味さを感じてしまった康人は、なかなか寝付けずにゴロゴロと寝返りを打ち続けた。

 到着した時の現象はそれとなく解明されてはいたものの、想像力は逆に働いていたようである。何か物音がしただけで叫び声を上げてしまうかもしれない。

 そんな事を考えていると、唐突に扉がノックされた。その音に、康人は変な声が出てしまう。

 もう、みんな寝静まっているような時間である。部屋の外に今回の面子が居るとは考えられなった。

 血の気が引き、嫌な汗が頬を伝った。

「だ、誰?」

 上擦った声に、扉の向こうの気配は慌てたらしい。急に声を掛けてきた。

「神田です。夜分遅くにすみません」

 と、早口で話す。

 予想外の声の主に、康人は暫く脱け殻のように固まった。

 恐怖からは解放されて居たが、どうすれば良いか行動に悩んでしまう。

「どうかした?」

 慌てるようにしてベッドから飛び出すと、扉まで走って行き、鍵を開け、扉を開いた。

 その先には、不安そうな表情の真弥が、廊下の左右を気にしながら立っている。

 膝が震えているようで、何かとんでもない事でもあったのかと思われた。

「あ、あの、入って良いですか?」

 理由も話さずうろたえる真弥の姿は、康人の心を奪うには十二分に役目を果たした。

 暗く明かりの無い深夜の戸口に立ったまま、どうして良いか悩み、口の中まで乾き始めてきた。

 すると、真弥は涙を流し始める。

 よく見えていないが、鼻をすする音に動揺した。

「怖い夢を見てしまって。部屋に戻るのが怖くて」

 康人の頭の中で何かのピースがハマる。

 それは、昼間の出来事。

 影、腐臭、今の真弥の言動。

 何かが居るのだという、第六感的な勘と状況が材料になり、組上がるその想像の産物は、康人を戦慄させる。

 康人の勘は当たる事が多い。だから、今自分が予測している事は間違いなくあるだろうと考えた。

「ゴメン、入って。話を聞くよ」

 部屋の中に入ってペタンと地べたに座った真弥を、ベッドに座り直させる。

 灯りをつけると、寝かせた時のままの格好をしているのに気が付いた。

 元々白い顔が、恐怖のせいか一層白く見える。

「本当にゴメンなさい。由紀も澤田さんも寝てて起きてくれなくて、鍵も掛かっていたからどうにもならなくて」

(俺は最後か)

「とてもリアルな夢でした。目が覚めて、私は金縛りにあっている事に気が付いて。初めての経験で、それが何なのかすぐには分かりませんでした。・・・体が動かない事以外に変だったのは、私の見ているものでした。私は私自身を見下ろしていたの。部屋は暗くてハッキリとは物が見えていなかったのですが、扉の開く音と、誰か人影が入ってくるのが見えました。その人影は、女性のものだったと思います。でも、由紀ではなさそうでした。私と同じようなストレートの髪の毛で、色は分からなかったけど、多分黒だったと思います。そして、その女性はフラフラとベッドの私の方に向かって歩いて行き、私の顔を覗き込んでいたんです」

 康人は、自分が真弥の顔を覗き込んでいた事を思い出し、途端に恥ずかしい気分になった。が、真弥の夢とやらに出てきたのは女性だったと言う。

 実際はそれが康人で、覗き込まれていた事を寝ながらにも感じ取っていた真弥が、それを自分の夢に反映させた可能性はあるかもしれない。

「その人影は、長い時間私の顔を覗きこんでいました。不思議と悲しそうだった事だけが感じ取れていて、私も同じように悲しい気持ちになっていました。どれくらいの時間が経っていたのか分からないのですが、感覚的には15分位だったと思います。もしかしたら、もっと長かったかもしれないですが・・・」

「ふむ・・・、聞いた話だと完全なイメージは分からないけど、何か怖い夢だね」

「いえ、本当に怖いと感じたのはその後でした。その人影が、見下ろした私に気が付いて私の方を見たんです」

 怪談話が苦手な康人は、全身に鳥肌が立ってしまった。

 情けない表情をしてしまったかもしれない。それを、真弥に見られてしまったかもしれない。

「見開いたその目は真っ黒で、まるで穴が開いているようでした。暗いところだったのに良く見えていて、でも、顔は見えているのにどんな顔かはよく分からなくて・・・。その人影は、慌てるように部屋から出て行きました。そこで目が覚めて、扉が半開きになっている事に気が付いたんです。夢だと思います。でも、もしかしたら夢じゃなかったのかもしれない・・・」

 康人は真弥を寝かせて部屋を出た後、鍵は掛けられなかったが、確かに扉を閉めて部屋を出た。

 本人が開けていなければ、誰かが開けたのだろう。

 昌司はそんな無粋な真似

(康人の真弥に対する気持ちを十分知っているので)はしないだろうと思うし、由紀は泥酔に近い状態で部屋に入るのがやっとだった筈だ。そしてすぐに寝付いて朝まで目覚めないだろう。

「扉の、立て付けが悪かったのかな?とにかく、自分を見下ろすなんて状況は科学的にありえないじゃない?それはきっと夢だと思うよ」

「本当に・・・、そうでしょうか?」

 真弥はまだ青ざめているように見え、震えているのはよく分かった。

 視線が定まっておらず、そこから、見ていた夢がそれ相応に恐ろしかった事を感じ取る事が出来る。

 康人は真弥を抱きしめたくなったが、その細い心では勇気を持つ事が出来なかった。

「あの、こういうのはあんまり良くないのかもしれないんだけど、俺のベッドで寝ていきなよ。俺、全然眠くないし、ここで座って見張ってるしさ」

 康人には、こう言うのが精一杯だった。



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