吸血鬼

著 : 秋山 恵

火炎



「俺とシェーラは途中のフロアに潜んで、標的の男が降りてくるのを待った。事前に知らされていたのか、どの階にも人は居なかったよ。俺達が潜んでいる階の扉は開いておいたから、相手も自ら挑発に乗ってきた。傷を負って力がうまく使えなくても確実に勝てると思ったのだろう」

 銀髪は、火のついた缶に角材を放り込んだ。

 パッと火の粉が舞い、空に消えていく。

 熱の膜の向こうに居る男は、ただ話を聞き続ける。

 銀髪はその表情にElと同じものを感じた。

 里見はElよりも情や優しさのような、ありふれた人間味を持っているように思える。それでも、その根本的な部分は同じであると感じた。

「ここまで聞いていて気が付いたかもしれないが、シェーラには予知能力のようなものが備わっていた。必ず見えるものでもないし、遠い先の事は分からないと言ってた。大体数秒、もしくは数分先の事だけが、火急の場合とかに見えると言っていたな」


「さっき、どうして奴が炎をぶちまけるのが分かった?」

 シェーラは戸惑う様子もなく、

「見えるの。数秒とかほんの少し先の事が。説明必要?」

 と言った。

 真っ直ぐな目に、銀髪は言葉を失った。

 狼の血を持ち、僅かながらとはいえ未来を予知する能力がある。この年齢にして今回の戦いに参加した理由がようやく判った。

 説明をしなかった連中に対して怒りを覚えつつも、銀髪は今ある状況に感謝もした。

「いや、良い」

 銀髪は立ち上がるとライターを取り出してシェーラに渡し、火をつけさせると肩車をした。それをスプリンクラーに近付けるように言う。

 天井に付いたスプリンクラーが熱に反応し、フロア中にシャワーが降り注ぐ。

 これで少なくとも、火の海で戦う事はない。

 シェーラが返り血を洗い流すのを尻目に、どう戦うべきかを考える。

 パイロキネシスでなければどうやっても倒せる自信があるが、相手はその能力を持ち、集中すれば銃弾をも止める程の熟練者だ。

 異端の能力には、同質の力を当てなければ難しいだろう。

 顔を流れる水滴を拭いながら、非常口へ嗅覚を集中する。異質な臭いが強くなりつつある。

 水滴と混じりあって分からないが、全身冷や汗を噴き出している。

 眼球にまで血流を感じる程の鼓動と緊張に、シェーラの表情は良い薬になった。

 未来の見えるその少女からは不安の文字は見えない。生きて帰れると確信した。

「おい!なんだこれは!?こんなもので俺をどうにか出来ると思っているのか!?」

 標的の挑発、自らの位置を調べる堂々たる態度、自信が過信に変わっていることを教えてやろうと、銀髪は自分自身の真逆の心を上塗る。

「いける。あの男は、今は火を扱えないよ」

 手持ちの44口径の弾数を確認しながら、シェーラは呟くようにして言った。

 スプリンクラー、傷を防ぐために力の殆ど使っている事、理由は分からないが、シェーラの言葉を信じる事にした。

 プライドだろうか、幸い残りの吸血鬼は付いてきていないようだ。

 銀髪は通路に出た。

 標的の方をゆっくりと振り向くと、瞳を紅く輝かせながら笑みを浮かべる男が立っている。男は片手を持ち上げて銀髪を指差し、手招きしながら近付いてきている。

 銀髪はそれに乗って床を蹴るようにして走り出す。

 水を吸い込んでいた絨毯から、水溜まりを踏んだような飛沫が飛び散った。

 エレベーターを挟んだ反対側の通路を、シェーラが並走しているのが感じられる。フロアの通路は四角く、エレベーターホール入れると日の字のようになっており、シェーラは後ろから回り込むのだろう。

 凡そ射程内に入ったところでも、標的は火を使ってこない。

 銀髪は標的の喉元目掛けて手刀を繰り出す。

 いつもの吸血鬼であればそれは命中しただろう。だが、相手は銀髪の腕を掴むようにして避け、走ってきた力を利用して投げ飛ばす。

 銀髪は背中を打ち付けたが、痛みを堪えながら、上から降ってくる足を捕まえた。その一撃は予想以上に重く、掴んだ手をすり抜け鎖骨をへし折る。

 銀髪の視界に星が飛んだ。

 今まで戦ったどの吸血鬼よりも強い。力があり、速さも比べ物にならない。火が使えなくとも自信を持って一人でやってくる理由が判った。

 銀髪は、苦痛に顔を歪めながらも相手の足をガッチリと掴む。シェーラが通路に飛び出したのはこの時だった。手持ちの銃からマグナム弾が撃ち出される。

 標的はシェーラから見て正面になっているので、続けて二発まで撃ったが弾の無駄と判断した。

 これは予知の結果ではなく、シェーラ自身の判断である。案の定、弾道を読まれて避けられてしまった。

「頭ぶち抜け!狙えばやれる!」

「無茶苦茶言わないでよ!当たるなら撃ってる!」

 とは言いつつ、銃口は相手の顔のど真ん中に狙いを付けたままである。見えた瞬間引き金を引くだろう。

 誰も動けない状態になった。そして、その状態は暫く続く。

「おい、お前ら。依頼主は誰だ?」

 標的には焦りが感じられない。

 視線は銀髪の方を向いている。

 それだけ自分に自信があるのだろう。

「知ってどうするんだ?聞いたところで、俺達は手を引いたりはしないぞ」

 その返答に標的の男は、折れた鎖骨へ足をねじ込む。銀髪の表情を見て咄嗟にシェーラが答えた。

「ちゃんとした名前は知らないの、教会関係者よ。Elと呼ばれてる」

「そうか、穴掘りしてる連中だな」

 返答に満足した表情で、ニヤリと笑った。

 足が緩んだ。銀髪はそれを見逃さない。右方向へ引っ張るようにして足をすくう。

 体勢を崩した標的の頭目掛けて、シェーラが引き金を引く。途中、弾は急激に速度を落として軌道を変えた。

 威力をなくした金属の塊は標的の左肩にめり込み、身体の向きを90度を変える。

 マグナム弾である。普通に当たれば腕が飛んだだろう。が、異質な力がそれを防いだ。

 能力の種類や性質よりも、それを使いこなすこの男の凄さに二人は唖然とする。

「撃ち尽くした!」

 シェーラの言葉が終わるより早く、銀髪が立ち上がった。しかしその時には、標的は肩を押さえながら非常口へ向けて走り出している。

 その向こうには、いつの間にか数人程立っていて、銃口をこちらへ向けていた。

 8人は居る。

「この後見えるか?」

「ゴメン、見えない」

 その後二人は、ただただその場に居るしかなかった。

 呆然と非常口の方を見ながら、吸血鬼達の去る光景を見ながら、力の抜けた身体を二本の足で支えながら。

 暫くの後、表から銃声が聴こえ、にわかに活気付いた。

 結果は見ずとも分かる。

 堂々と歩いて出ていく連中の姿が目に写るようだった。


 銀髪は初めての敗北を知った。



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