吸血鬼

著 : 秋山 恵

火炎



「俺とシェーラは二人チームになった。建物突入のタイミングにエレベーターを止めていたから、上るには階段だったよ」

 隣に座って話を聞いていた里見は、ただ黙って聞いていた。

「大きなビルだった。階段は全部で4箇所あって、穴を作らないよう分かれて上るんだ。4チームとも同時に階段を上り始めた。目指すのは16階。他の連中がどうだったか分からないが、俺とシェーラは半ばピクニックにでも向かうような感覚だったと思う。急ぐ事も無く、ただゆっくりと、一段ずつ踏みしめるように上った」


 10階程上ったところだった。

 シェーラは銀髪の腕を掴んで足を止めた。

 その瞬間は、特に理由があったわけではなかったんだろうと感じた。ただ、魔が差したようにして、衝動的に腕を掴んだようだった。

 だが、その直後に取った行動はまた別だった。何段か先に上り、銀髪を抱きしめた。

 直感に始まったそれは、相手の顔を見る事によって別の感情にすり替わってしまったようである。

 暫くの抱擁、銀髪にしてみれば何も感じられないその行動は時間の無駄にしかならなかったが、少し付き合う事にした。そして立ち止まってから2分程度だったろうか、仲間はもう全員目的の階に辿り着いているだろうと思われた。

「みんなに怒られるな・・・」

 二人は急ぎ足で上った。

 16階の表記を見ると呼吸を整えつつ速度を落とし、踊り場で武器のチェックをする。

 重たい金属製の扉をゆっくりと開けた。金属同士の擦れるような音と共に血のニオイとコゲ臭い肉の焼けるニオイが漂ってきた。

 それは確実に敵のものではないだろう。山間で育った、大自然の獣のような何かを携えている。

 Elの言葉が頭の中で何度も鳴り響く。

 シェーラの表情に怯えが見え隠れし、戸惑ったニオイが発せられていた。

「お前はこのまま下に行け。Elに伝えるんだ。下手するともう全滅している」

 過剰な自信だけを持って生きていた銀髪には、直感的な恐怖を感じさせるその空気は初めてのものだ。

 それは消える事はなく濃くなり続けていた。

 シェーラに降りるように促すと、ゆっくり16階フロアに出る。夏とは言え冷房の効いているビル内のはずだったが、どういう事か熱気を感じるようだ。

 遠く、別の非常階段の出口付近に男が一人立っているのが見えた。

 その周りに5つの炭になった人影が確認できる。

 あれが標的かと確信したものの、銀髪は銃を構えたままその場に立ち止まった。

 恐怖だろうか、足が動かない。地べたに足が張り付いているような感覚だ。

 遠く、その標的の人影は銀髪の方に顔を向けた。いつもの吸血鬼ではない。

 その眼には意思があり、何かが満ちているようだ。

 扉の向こうから階段を駆け下りる足音が聞こえており、自分はその時間稼ぎの為に動かないで居るのだと言い聞かせる。

 銀髪は状況の整理を始めていた。

 なぜ皆が炭になっているのか。自分達以外に6人居るはずだが、なぜ5つしかないのか。

 コゲたニオイが邪魔をして、もう1人の安否が確認できない。

 人数はともかく、自分に対する攻撃への対処が重要だ。

 炭になった連中の近くに立っているということは、近距離でなければ何か行動を起こす事が出来ない可能性がある。もしこの場に居て攻撃が可能なのであれば、銀髪は既に連中と同じ状態になっているだろう。

 遠距離攻撃なら殺れる。そう思う事で呪縛から解き放たれた。

 銀髪は狙いを定めると、マシンガンの引き金を引いた。同時に7.62×39mmの弾丸が標的へ吸い込まれるように向かっていく。

 だが、その弾丸全てが標的に辿り着く前に見えない膜に当たり、空中に静止した。

 弾丸の先が熱せられたように赤く光っている。

(パイロキネシスか・・・?)

 非常に厄介な敵である事をその場で初めて知った銀髪は、その後の行動をどうするべきか悩んだ。

 まず普通に戦って勝てる相手ではないだろう。だが、依頼は引き受けた以上遂行しなくてはならないし、それが村の教えだった。

 だから、敵の詳細が明かされていなかったのだろう。こんな敵が相手なのであれば、村では依頼を断ったはずだ。

 事前の情報がないままでの戦いでは・・・

 銀髪は次の攻撃手段を検討し始めた。

 自分の武器の中で、遠距離で使えるのはグレネードランチャー程度であるが、爆発に巻き込んでも倒す事が出来るかどうかわからない。

 パイロキネシスは、分子を震わせて熱を操るタイプと、脳派のような特別な熱の波動を発する事により火を付ける2タイプに分かれる。

 撃った弾丸が宙に浮いていたのは後者である可能性を見せた。

 飛距離で考えると前者が有利だ。つまり、グレネードの爆発に巻き込む事が出来るかもしれない。が、近距離での爆風による衝撃波は、標的の使う波動の質によって効果を打ち消す事も考えられる。

 試しても無駄に終わるかもしれなかったが、銀髪は、背中に背負ったグレネードランチャーを手に持った。

 それを見て、遠くに立つ標的の吸血鬼は首を横に振り、オフィスゾーンに向かって手招きをする。すると、中から仲間の吸血鬼が銀髪の仲間の1人を引きずって出てきた。

 リーダー格の、今回のチーム中で一番の手練れである。

 銀髪は引き金から指を浮かせる。

 詰んだ。そう思うと、武器を床に投げ捨てた。

 遠く見えるリーダー格の男の眼はまだ死んではいない。が、檻の中の獣が唸っているようなものだと感じられた。

 純粋な力同士のぶつかり合いなら負ける事はないだろう。しかし、今回は運が悪かった。相手の能力に対策のしようがない。そう心の中で言い訳をしながら、両手を頭の後ろに回し、相手の元へ歩いて行く。

「これで“全滅“だ。潔く死ぬ覚悟をしとけ」

 リーダー格の男の言葉に、まだやりようがある、希望を捨てるなというメッセージが含まれていた。

 確かにシェーラが残っているが、まだ若く、しかも経験の浅い少女である。

「この会社も、もう終わりだな。言っておくが、この会社には普通の人間も多く勤めている。中には子供が生まれたばかりの父親であったり、家のローンを抱えた者もいる。苦労するだろうな。尻を拭いたら血がついていてた程度で青ざめるような可愛い連中だ。俺達一族全員からすると些細な話だが、今まで挫折も何も知らなかった連中には重たい話だ」

 標的の吸血鬼が話を始める。

 淡々と、感情なく言葉が流れる。

「少なからず、この会社で雇っていた仲間達は失敗作ではない。人も襲わないし平和に暮らしていた。関係のない大勢を巻き込んでまで攻撃されるのはおかしいと思わないか?」

 銀髪には初めて聞く言葉だ。

 失敗作とは何の話なのか。

 人成らざる者という意味であれば、吸血鬼も銀髪達も同じである。自分達は特別だとでも言うのか?

「知らねぇよ。俺達ゃ、依頼されて標的を刈るだけの掃除人さ。依頼人の思想は知らんし、興味もない。誰が困ろうと関係はねぇんだよ!」

 リーダー格の男はチラリと銀髪へ視線を移し、必要以上な大声で捲し立てる。吸血鬼どもの注意を引くためだろう。

 一番近くの階段をシェーラが上ってくるのがニオイで分かる。

「お前ら化け物を掃除すりゃ、飯が食える!俺達も生きる為にやっているんだ!」

 腕がざわめいている。変化するのだろう。周りの吸血鬼どもがそれに気付いて警戒したが遅い。

 標的の男が攻撃体勢に入るよりも早く非常口の鉄扉が吹き飛ぶようにして開き、手榴弾が幾つか転がり込んでくる。

 標的の吸血鬼がそれを察知して、全力で抑えに力を注ぐ。池に大きな石を投げ込んだような音がして、ボーリング程度の丸い爆発、その瞬間、狼と化した強者の手刀が相手の心臓のある辺りに吸い込まれた。

 唯一、最初で最後にして絶対のタイミングに、標的の吸血鬼はそれを防ぐ手立てがなかった。

 標的の吸血鬼が膝を付く。それと同時に他の吸血鬼達が手持ちの銃で狼と化した敵の全身に鉛弾を撃ち込んだ。

 覚悟してやったとは言え、後悔したであろう。地の底から響き渡るような咆哮と共に身体が傾く。

 まだ息はあるようだが、戦力にはならないだろう。

 次の瞬間にはシェーラがリーダー格の男の身体をを盾にしてフロア内に飛び込んだ。

 動きの速さだけなら銀髪のそれに匹敵するだろう。

 シェーラは巨大な肉盾を抱えたまま前進した。残りの吸血鬼がシェーラの方に気を取られている内に銀髪も距離を詰める。

 残り数は4、その内の1匹の首を瞬時にへし折り、次の1匹の腕を鷲掴みにすると、銃を奪って力一杯後方に投げた。

 握力、腕力は圧倒している。残った吸血鬼の中に特殊な能力者が居なければ、ここは容易に制圧できるだろうとタカをくくった。

 投げ飛ばされた吸血鬼が壁にぶつかるタイミングで、距離を詰めたシェーラのナイフが一匹の喉笛を掻き斬る。

 血を浴びて真っ赤になった少女は、残った一匹と対峙した。

 銀髪は後方を警戒しながら、奪った銃を残った一匹に向ける。

「どうする?」

 銀髪の言葉に、相手は銃を投げて手を上に上げた。

 後方のもう一匹も立ち上がっていたが、特に反撃の意思はなさそうだ。

 標的ではないから殺す必要はない。注文以外の仕事をする気にもなれなかった。

 壁際で唸りながら立つもう一匹は、頭を抑えながらニヤニヤとしているように見える。

 その数秒後、シェーラが咄嗟に銀髪の方を見る。驚くような、慌てるような感情が見え隠れしている。

 シェーラは銀髪の腕を掴んで非常階段へ飛び込んだ。

 ゴウという空気の流れる音、後方の熱気に、標的が今持って健在である事が判った。

 二人は飛び降りるようにして階段を降り続ける。既に熱気は感じられなかったが、恐怖に追われた。

 何階か降りたところで振り返ると、遥か上に赤い色が拡がりつつある。白い布地に染み込む血のように、ゆっくりジワジワと周囲を侵す。

 銀髪は頭の中で検証していた。

 念波型のパイロキネシスは、ターゲットに狙いを定める為の集中力が必要だ。先ほどの場に居て燃やされなかったのは、その集中力を欠いているからだと。

 殺るなら今しかない。



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