平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act25:剣姫たちの舞い


 セシリーは競売のカタログを見ていた。

 お得意様向けのシークレット品が並んでいる。

 時間帯のためか、人も疎らな競売所付近である。設置したマジックプレートにオンラインビジョンが流れており、映画の一シーンのような激しい戦闘が音を立てていた。

 物好きがまた、バトルをライブ配信で流している。

 煩いな、程度で見向きもしなかったが、チラリと視界の端にハゲ頭が映って、顔をそちらに向けた。

 気のせいだろうか、先週を思い出して不快な表情を浮かべる。

 あのハゲ頭が相手なら、もしかしたら勝てたのだろうか。

 頭を横に振り、カタログに目を戻す。

 数分ほど見入っていると、別の客の声が聞こえてきた。

「バサラさん、これ、ジンじゃないですか?」

 優男風の声が聞こえ、

「これはまだ序章。ログアウト可能なうちに現実へ逃げるべきだわ」

 気の強そうな女の諭すような喋りが聞こえ、

「こんな愉しそうなことから逃げろってのか?」

 ヒトをバカにしたような男の声がする。

 聞き覚えがある声だ。

 先週の山頂。

 首に当てられた刃の感触が反芻され、怒りが込み上げてくる。

 なぜ今ここに居るのか。

 またストーンブレッドを攻めようとしているのかもしれない。もしくは事前の偵察。既に囲まれている可能性を考えて視線を走らせる。

 それらしい手合いは居ない。

 一番硬い鎧、小烏丸、体力は満タン。

 隙を突けば痛手の一つくらいは負わせられるかもしれないだろう。

 一向が近付いてくる。

「行こうぜ?楽しめそうだ」

「予想ですけど、バサラさん以外は耐えて二回ですね。すぐ死にますよ?」

「回復の雨降らせて耐えろよ」

「行くならお二人でどうぞ」

 ほぼ隣、画面を覗いて笑う姿がぼんやりと右側横目に入っていた。

 剣筋を確保するために左後ろに下がり、右足を引くタイミングで柄に手を掛ける。右側に身体を向けると同じくして振り抜いた。

 失敗はしたくない。

 角度九十度を確保して、一筋の光を作った。

 金属が悲鳴を上げて火花が飛び散る。

 防いだのはバサラではなく、和装姿の気の強そうな女の方だ。

「あなた、何?何だか懐かしい感じがするけど」

「あんたなんて知らない。その刀どけてくれる?」

「断る」

 目の前の女は、若干の目の形と髪の色以外は、セシリーに酷似して見えた。声も、少しキツくすれば同じかもしれない。

「言っとくけど、反応できなかったわけじゃねーからな。絶対防御があるから、そのナマクラじゃ斬れねーの。俺とヤリたかったら、この女倒してからな。そしたら遊んでやる」

 バサラがセシリーの方を見てニヤニヤとする。セシリーは、いやらしい笑い方に怒りの灯をともす。

「だそうよ。私と戦う?」

 返事を聞く前に刀が動いた。

 その動きは、正に閃光と言って良い。利き腕が餌食になった。

 刻まれた切れ込みから血飛沫が舞う。

 切り返し、再度斬撃が振りかかる。しかしそれは虚しく何もない空間を通過した。

 初撃に反応して、後ろに大きく跳んでいたのだ。

 セシリーの表情に一瞬、絶望が見え隠れする。

 実力の差は・・・、キャラクターの性能の差は大きい。

 それよりも、自分より強いと思われるプレイヤーが、また目の前に現れたという事実が大きかった。

 右腕の傷を触り、深さを確認する。ぬるりとした感触に驚き、チラリと見る。温かい血が等間隔に、ドクリドクリと漏れだしていた。

 熱いが痛みではない。だが、これは現実世界ではなく、機械が作り出した虚構の世界だ。

 館長の竹刀の方が余程凶器だということを思い出す。と、同時にスケベな笑顔が脳裏に浮かんだ。

 お陰で冷静さを取り戻す。

(体力尽きるまで戦ってみよう。勝てなくても良い。この悪循環から抜け出してやる!)

 ここ暫くの自分の弱さを打ち砕いた。

 船を入手したときの惨めな気持ちを全力で封印にかかる。

 左手で柄をしっかりと握り、右手は軽く、添えるようにして持った。

 正眼の構えで、相手に意識を集中する。

 周りは見えなくなった。

 熱くなった右手は、もう感覚があまりない。

 体力値だけがじわりじわりと減り続けたが、無くなるまではかなり時間があるだろう。

 相手の身体がピクリと動く。

 一度目蓋を閉じて、開いた次の瞬間、目の前に現れていた。が、それくらいの予想はできている。小烏丸を横に倒して突いた。

 相手の刀は、斜め下から切り上げる様にして構えられていたが、突かれた刃を、身を傾けて避ける。バランスを崩した形になったが、そこからの攻撃に入ってきた。

 セシリーは刀を手元に引き寄せるようにして、それと同時に前に向けて体重を掛けて体当たりする。

 それは、刀を振り始めた相手の身体を易々と突き飛ばし、競売所のカウンターへ激しく叩き付けた。

(動きが速い。カッカして戦えば、そこで終わっちゃう。けど、エレノアほどは強くない。相討ちくらいには持っていけるかもしれない)

 戦いの場なのにも関わらず、いつもよりも冷静だ。

「現実世界なら絶対に負けない。ってことは、やろうと思えばこっちでも負けない。キャラクターの性能は技で縮める」

 次の攻撃は、相手の出方を見てからだ。

 が、立ち上がらない。

 一つ前の攻撃で体力値を全て持っていったかとも考えたが、イザヴェルの住人がギリギリの状態で歩き回ることは、まずないと言って良い。

 女はピクリと身体を震わせると、奇妙な浮かび上がり方をする。まるで仰向けのままクレーンで持ち上げられるように、高さ一メートルまで浮上して横に一回転。姿を消した。

「ヨハン。あいつ、まるで妖怪だな・・・」

 競売のカウンター上に胡坐をかいた、バサラのしかめっ面に意識を一瞬取られる。

 ザッと石畳を靴が擦れる音を背後に聞き取り、反射的に真後ろを斬りつける。何もない空間に刃が走った。

 音は更に背後、左、そして正面にくる。姿が見えない。

「正々堂々戦えっ!」

「バカかお前、勝つか負けるかしかないんだ。甘えてんじゃねぇ。少なくとも同じ土俵にはいんだぞ」

 セシリーの言葉に、バサラが持論を重ねてくる。

 その通りだ。これは試合じゃない。

 風を切る音が左から発せられる。右に跳んで、振り返るようにして横に一閃。セシリーの刀は相手のどこかを捕らえたが、自身も左肩を深く斬られた。

 視覚に、腹部を押さえた和装姿が見える。

 以前ならこのまま追い討ちを掛けるところだが、距離を取った。

 和装の女は、その場で回転するようにして姿を消し去る。

 セシリーは目を閉じ、聴覚のみに全神経を集中させた。

 ザッ、と鳴る音の動きで、人間が動けるレベルを超えた移動能力だということが分かる。

 つまり、使ってる相手も、移動しつつ攻撃を加えることは難しいだろう。

 止まったところを叩けば良い。大振りにはせず、針の穴に糸を通すようにして仕掛ければ良い。後は集中力のみだ。

 右後ろで最後の音が聞こえ、次の擦れる音が止まる。身体を深く沈めつつ音を正面に、爆発させるような脚力を持って、的確な判断がそこへ向け、横に倒した刀の切っ先を差し込んだ。

 手応えがある。

 ゆっくりと目蓋を開き、相手を見据えた。鬼のような形相で睨みつけられている。

「性能に頼り過ぎたね」

 突き刺した刀を、そのまま横に引いてやる。

 血飛沫で辺りが赤く染まった。鉄のような香りと、生臭そうな香りが混じって表現されている。

 体力値が高いのか、相手はそのままペタリと座り込んだだけで倒れない。倒れていなくとも、戦闘は続行不可能状態でさありそうだ。

「バサラ、次はアンタよ。構えなさい」

 セシリーは、小烏丸を真っ直ぐバサラに向けた。

 競売所の入り口の方から拍手が聞こえてくる。

 見ると、シビラがAngelHaloのメンバーを数人引き連れて立っていた。援軍として現れたのだろうか、それとも別の用件だろうか、どちらにしても運が良い。

 これで、先週の恨みを晴らすことができる。そう、また冷静さを欠き始めてしまう。シビラはその辺りの心の動きをよく見ていた。

「はいはい、終わり終わり。セシリー、あなたの実力じゃその男には勝てないよ。とりあえず今は引き上げよ。またその内、私がお膳立てするから」

 ここで一旦幕引きをするべきである。セシリーの様子を見て判断していた。

「今なら勝てるような気がするの!」

「無理無理。私でも勝てないもん。それに、言い辛いけど、今のセシリーじゃ私にも勝てないと思うよ。一人目を相手にして体力値満タンじゃないし、一緒に戦っても無理。あなたも良いね?」

 最後に、バサラに向けて微笑む。

 威圧的な笑顔ではなく、本当に人の良さが染み出ているような笑顔である。

「まぁ、俺。戦う気ねーし」

 バサラからしてみれば、セシリーなどは完全に眼中にないのだろう。

 競売所のモニターの中が騒がしくなっている。

 見ると、レッドベル中心の建物が、完全に崩れ去った。

「良いわ。また機会があるなら、今日は引いとく」

 セシリーが刀を納め、その場を立ち去ろうとしたところに、それは動き始める。

 ゆらりと立ち上がり、面を上げた。

 和装姿の女の傷は完全に塞がり、切られて露出した部分からは白い肌が見えている。

 瞳を紅く輝かせ、呼吸も荒く、刀を垂らすようにして構えていた。

「ヨハン、あいつやっぱ妖怪だな」

「そうかもしれませんね」

 セシリーが慌てて小烏丸を抜くが、初撃に間に合わない。レザーコートごと深く斬り割かれた。

 左腕が完全に沈黙する。ピンポイントで筋が切断され、肘から先が動かなくなっていた。

 右腕はまだ動くが、あまり感覚がない。

 握りが甘く、力も入らないため、激しい戦いはもうできない。

 次の行動をどうするか悩んでいるうちに、刃がセシリーの右腕を狙って空を舞う。

 足を使ってギリギリの範囲で二度三度避けるうちに、シビラの援護が入った。

 が、止まらない。

 和装姿はセシリーの頚を狙った突きを繰り出し、それは外れはしたものの、深々と鎖骨の下に刺さる。

 その後、シビラの攻撃を弾くのに引き抜かれ、扇状に血が跳ねた。

 体力はまだあるが、もう次はない。

 そこに、AngelHaloのメンバーが間に飛び込んでくる。普段からの連携がここでも活きた。

 敵の動きは止まらないが、回復の隙は得られる。

 高級な傷薬が青々と光り、競売所に清廉な空気を満たしてゆく。

 皆、決して強くはない。ギリギリの状態で何とか押さえ続けている仲間の姿を見て、全てを吹き飛ばすような気分で奮い起つ。

「セシリーさん、全快です。あんなのやっちまってください!」

「ありがとう!」

 小烏丸を振り乱して、敵の元に突っ走る。それを見た和装姿は身体を回転させて姿を消そうとした。が、それは許さない。

 横一閃、胴体半分を薙ぎ、戻す刀が頸動脈を捉えた。

 文字通り血の雨となり、その場の殆どのプレイヤーが赤く染まる。

 セシリーは大きく一息、刀の血を振り払って鞘に納めた。

「まだよっ!」

 シビラが叫ぶ。

 スンと鳴り、背後に熱を感じた。ガクンと膝が折れる。

 体力値が減るのを見ながら、相手が完全に無敵であることを確証する。

 首を切り落とせば止まるだろうか。振り向き様に狙い打ちにするが、相手の姿は音を残して移動していく。

 自分の身にだけ回復魔法が降り注いだ。

 身体に力を取り戻したセシリーは、音に合わせてタイミングを取り始める。

 何度も空気を斬っていたシビラが、相手の動きを把握したらしい。

 眼を閉じた。

 下段に下げた刀がピタリと止まっている。

 一対一で勝った相手だ。二人で掛かれば確実に倒せるだろう。それでも気は緩めず、音を追った。

 先程と比べて、圧倒的に速い。その上フェイントを混ぜている。弱い相手を遊びでからかう時の自分のようだ。憎たらしくも恥ずかしくも感じてしまう。

 楽しみ始めているのか、笑い声が混じっていた。自分の笑いかたにそっくりで気持ちが悪い。

 眼を閉じていたシビラが動く。

 瞬きする間に踏み込み、緩やかに、まるで金魚でもすくうように一振り。相手の居場所を探るように刀が舞った。

 やはり自分とは次元が違う。剣の道に真剣に取り組み、本当に愛していた人間の動きである。セシリーは、その違いを理解する。

 刀を握った腕が飛び、競売所のカウンターに突き刺さった。

 口をポカンと開いた和装姿は、立ち尽くして何かを言うと、意気消沈して尻餅をつく。

 シビラの刀が相手の首を刈り取るようにして振られたが、ギンと音を立てて障害物にぶつかった。

「そこまでで良いだろ。コイツは俺の連れだ。アシュリー、お前の敗けだ。良いな、ここまでにしろ」

 和装姿・・・、アシュリーはコクリと頷き、横倒しに倒れて眼を閉じる。

「ヨハン!コイツ、回復しとけ!」

 既に腕と刀を持ったヨハンが、こちらに向かって歩いてきている。青ざめているようにも見え、少し動きがぎこちない。

 AngelHaloの面子も同じように、殆どが唖然としていた。

 セシリー、シビラ、バサラの三人以外は皆、アシュリーの強さに恐怖したのだろうか。

 静かな空間の中、モニターの中の音が響いていた。

 浮遊大陸の中心で胎動を続けていた意識は、一つのメッセージを受け取った。

 それは受け取った本人へと取り込まれ、身体を形成する材料へと変化する。他にも多くのリプライを得ていたが、人の形に決定する最も大きなものだ。

 入谷はそれを観ながら、ウォッカを一息に飲み干した。

 痺れるような、喉の焼き付く感じを堪能した後、ツマミを口に放り込んでニヤニヤニヤとする。

 自由に物を考え思いのままに進化をし続けるソレは、思い描いた形とは違うものの、やはり可愛い存在へと成長をしている。

 その一つのパターンであるソレが、もうそろそろ殻を破るだろう。

「それじゃ、素材班はキノコ狩り。私とセシリーはこの人たちとお話。以上、解散っ!」

 シビラの明るい声に、ギルドのメンバーは気を取り直した。何だかんだ言ってみんな大人である。この程度なら切り替えが早い。

 仲間の背中を見送り、暫く沈黙が続いた。

 シビラとバサラが身ぶり手振りで何かをしている。

 直接回線で会話をしているのだろう。お互いにこやかで、元々ギルド内での仲も良かったようだ。

 途中、バサラが慌ててメニューを取り出す。

「あー、マジかよ」

 ほんの少しだけ間を置いてまた暫く、脳内同士の会話をして、セシリーの方を見た。

 二人の苦々しい表情に、シビラが声を上げてケラケラと笑う。

「なによ・・・」

 座った眼をして腕を組み、仁王立ちする。

 負けてたまるか。そんな言葉が聴こえるようだ。

「ねぇセシリー?」

 シビラの笑顔に不安を感じる。が、顔に出さないように、睨み付けるような表情を強くした。

「この人、好き放題使って良いよ」

「はぁ!?」

 あまりに予想外で、驚いた。

 暫し沈黙の後、口から出てきた言葉はこうだった。

「刺し殺して良い?」

 シビラがバサラをジッと見た。

「構わないよ♪」

 と言って腹の底から笑う。

 バサラの不機嫌な顔を見て爆笑するシビラに毒気を抜かれ、セシリーも失笑した。



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