カヤが腕組みをして、小さく座るサラハを見下ろしている。
いつも通りの冷静沈着な、着実に仕事をこなす暗殺者のような表情で、困り果てた相手に顔を寄せた。
「知ってること、全部話しなさい。私の勘が、今回の話はマズいって赤信号を灯してるの。セシリーやタクヤに何かあったら・・・」
ギリギリと歯を鳴らし、
「現実世界で地の果てまで追い掛けるよ」
「アハハ、そりゃ嬉し・・・」
ガンと音をたて、机に拳がめり込む。
「取説くらい読んでる。生体認証があるから、普通に考えたらキャラを乗っ取るなんて有り得ない。でも、こないだのは乗っ取りがあったんでしょ?しらばっくれる気なら」
ドスドスと歩き、バンと部屋の扉を開く。そこにはエレノアが立っていた。耳を付けて中の様子を聞こうとしていたらしい。歯を見せて笑うと、口笛を吹いて歩いて行こうとする。
「エレノア、この人絞めて」
それを聞くと、嬉々として振り返って部屋に飛び込み、サラハの首を後ろからホールドする。
ミシミシと鳴り、サラハが腕をパンパンと叩く。
死にはしないが、システム上は苦しく感じる。
「私にも聞かせてよ。おかしな事になってるのは知ってんだ。ストブレ解放作戦の時、それを見ちゃったから。それが、今はカヤにも備わっている。あれはアンタの差し金かい?」
「く、苦しい。死なないし喋れるけど、息をできない感じが。話すから離して。お願い」
「本当に?」
「本当本当本当」
エレノアの腕が外れ、スッと楽になったようだ。
ふぅと一息吐きながら、いつもの笑顔に戻った。
「話す。話すけど、場所を変えたい。もうこうなったら全部ぶちまけるよ。ただ、会話の内容がフィルターに懸けられてる。単語がヒットするとマズいんだ。もしかしたらもう盗聴されているかもしれないから、もうすぐ何か仕掛けてくるかもしれないけど」
「それって、あわよくば現実世界で会おうとしてない?理由が理由だから仕方ないけど」
「いや。こことは関係のない別のサービスとかで良いよ。とにかく移動しよう。ログオフしたら二人にメールする。行き先はそこで確認して」
言い終わると、サラハはすぐに落ちた。
会話は既に聴かれていた。
入谷は次の遊びを考えついて含み笑いをしている。
「逃がさないからねー」
キーボードを叩くのは、脳波コントロールされた機械の指だった。
高級なハイテク装置を入手して使いこなす能力がありながら、古く安いキーボードを入力に使用している。
こだわりなのだろうか。
静かな室内で鳴り響くキーボードの音が、心地好い旋律となっている。
入谷が酔っているのは、決してアルコールだけではない。状況、立場、そして神に等しい自分の能力。
これから後、どうしようかと悩むのが愉しくて仕方ない。
先程から、画面上に idavoll network all closed の文字が出力されていた。
ネタは既に仕込んであるのだろう。
「箱庭で踊ってくれたまえ」
何か起きてるのだけは確かだ。
だが、それ以上の想像ができない。
今、目の前でプレイヤーをいたぶっている数匹の竜が、一体なんのために出現したのか。
運営からの情報展開もなければ、内部へのニュースもない。企画として出されたものでもなさそうだ。バグではないのは間違いなく、組織立った何かを感じる。
「ジンさん、無理だ。逃げよう。小さいのならともかく、デカいのに目ぇ付けられたら終わりですって!」
ヴァンサンのビビりな発言を他所に、シュラが小さいのを一匹絞め落とした。純粋に力のみアップさせたプレイヤーは違う。
小さいと言っても、下手なワイバーン並みに大きい。そして、そういった類いのモンスターがひしめいている。
町の中は壊滅状態で、プレイヤーの数も僅か。ジンたち一行は青竜のメンバーを集めて打って出ていたが、数匹の巨大な竜の元に辿り着けない。
それに引き換え、朱雀はうまく立ち回っていた。遠くからの狙撃で、確実に当てている。が、巨竜に大きなダメージは見られない。
「朱雀のここのリーダーは誰だ?結果はともかく、見事としか言えない」
「カガネって小娘だが・・・」
ジンの問いにシュラが答える。聞いたこともなかった。
「知らんな。世の中、広いもんだ」
「そうだな」
この状況の中で笑い続ける筋肉の塊は、ガツンと拳同士をぶつけた。
まだまだ余裕がある。
そこへ、青竜本部からからギルド全体への周知のメッセージが発せられた。
付近のメンバーは、至急本部へ集合せよとの連絡である。もしくはベル地方の一番近くの町に集合して待機と、数回繰り返される。
そして、朱雀、白虎、玄武との共同作戦が展開されると通達された。
レッドベルではなく、向かう先は中央の浮遊大陸。敵は分からず、現地での捜索から開始になる。
ギルド内の噂だが、四神ギルドには、企画、運営、ソフト開発、インフラのメンバーが深く入り込んでいる。
突発的なイベントやテコ入れの可能性も捨てきれなくなる。
「この状況、楽しめってことなのか?」
「既にそう受け取っているぞ」
朱雀の船がこちらに向かってきているのが、遠くに確認できる。数席の赤く大きな船体には、既に連合のマークが光っていた。
(やはりイベントか・・・?今までのはただの布石か?)
だが、ジンにはいつまでも引っ掛かるものがあった。それが何であるのかは分からないが、間違いなく何かがあると感じた。
カヤたち三人が集まったのは、通常のインターネット回線を使った、旧世代のバーチャル空間だった。
メガネのような、ヘッドマウントディスプレイに似たデバイスを使った、古いタイプのゲームである。
触覚に多様性がないのと、デバイスの装着感が残る感じにストレスを覚えてしまう。
アニメのようなその空間に違和感を感じつつ、三人は小さなハウジングに入った。
「サラハの部屋?」
カヤが並んだ家具をつつきながら聞いた。触った感触が全て一緒だ。
「うん、まぁ、そうだよ」
サラハは、辺りの散らかったものを隅に投げて座る場所を確保した。
室内は全体的にオシャレだが、いやらしい雰囲気がある。
中央の低いテーブルに花瓶が置いてあり、豪華な花が飾ってあった。
見映えが悪い。
サラハはそれを片付けると、見掛けだけのコーヒーをテーブルに出した。
イザヴェルと違い、香りがない。
カヤとエレノアは並んで座り、向かいにサラハが座った。
カヤは正座し、エレノアはあぐら、サラハは片膝を立てて反対側の手は床についている。
「どこから話すべきなんだろうな。俺は、想像通り開発に関わった者さ。それも、イザヴェルの中核を担うコンピューターの開発だ。知っての通り、普通の人では想像もできないハイスペックなコンピューターだから、関わるネットワークやストレージや、簡単に言うと全てに同じレベルのものが必要になる。その中のコンピューターの構成を考えて、構築までしたんだ」
サラハは飾りコーヒーを一口飲む。
カヤをチラリと見て少し頭を下に向けると、
「俺、カヤちゃんの同級生だよ。組が違うから話したこともないけど」
「そうなの?えっ?誰?」
「うちらの代が二年の時、コンピューター部の部長だよ」
コンピューター部と言えば入谷を思い出す。兄弟揃って完璧な天才であった。その影に霞んでは居たが、優秀な部長が居たのも記憶に残っている。
金子聡介。
非常に優秀な学生であった。優秀ではあったが、前述の二人の怪物がスペック外であった。分かりやすく表現をすると、虎と猫くらいの差があったはずだ。
金子は、対比しうるエピソードが見当たらないくらい目立たなかった。
「金子君?タクヤが入谷と仲良くて、その繋がりでよく遊んでたの覚えてるよ」
サラハは嬉しそうに笑った。自分のことなど記憶の片隅にもないだろうと思っていたくらいだ。相手の口から自分の名前が出てくるなど、考えもしていなかった。
「何か、嬉しいなぁ」
金子は卒業して大学に進学し、そのまま大手ハードウェアメーカーに就職した。と言うのは、たまたま風の噂で聞いた事がある。
「入谷って覚えてるだろ?あいつら兄弟に誘われて、イザヴェルのマシン構築に手を貸したんだ。ほとんどは、既にある概念を元に設計されてたんだけど、あいつら兄弟は本当に天才だった。あの規模のシステムで、基本的な設計を出すのに3週間だ。引用できる資料がなくてゼロからだったのにも関わらずだよ、普通に考えて、有り得ない。それに、元々巨大な資本が入っていたから、あらゆることにスムーズでさ。結局俺は、参加しつつも傍観者になってたと思うよ」
あまり表情が表現されない世界の中、間の空いた時だけが、サラハの内情を語る。
「あなたのアカウントを使って話し掛けてきたのは、入谷?性格や能力からは、そうとしか感じられないけど」
カヤが沈黙を破った。
本人の気が済むように喋らせるべきかと思っていたが、隣人の退屈そうな様子に、核心的な話を問うことにした。
「そうなるだろうな。認証サーバやらロビーサーバの構築には深く関わってる身だから、その実現方法と、それを実行する人物って考えるとね。やられたよ。なんでそんなことをしたのかは、分からないんだけどさ」
また、飾りのコーヒーを口にする。
単純な習慣なのだろう。カヤの仕事場にも似たような男が居る。タンブラーに口を付けるときによく目が合い、その度に照れ笑いをして顔を背ける。
周りの女子には、「気があるんじゃない?」と、よく囃し立てられるのだが、どうも異性に興味を持てないらしい。
サラハは話を再開した。
「ロビーサーバが落ちた件。あれは、AIが起こした囮障害だったんだ。巧妙だったのは、ロビーサーバが接続の全てを統括してることを知った上で、それをやっていたこと。ロビーサーバは、一般のオンラインゲームと違って、ログオンログオフを制御している。それで、個別にログオフ不可にして、そこに注目させるようにしたんだ。で、別の監査サーバでキャラクターの状態を見続けてるんだけど、そこを改竄した。ここで、全てのキャラクターからの色々な信号を受け取るためのバイパスを作成して、好きに自分のところで参照できるようにしたんだ」
「ゴメン、意味が分からない。ムカついてきたから殴って良い?」
エレノアが拳を握る。
「サラハ、もっと簡単に」
「AIが、例えば君ら全員の心の中を覗けるようになったってこと。常に行動を先読みされる可能性は高いし、それを悪用して何かしてくるのも十二分に有り得る」
「覗いて悪戯するだけだと思うかい?」
いつの間にか、空いた席には知らない男が座っていた。サラハの隣で脚を伸ばして組み、後ろに両手を付きながら天井を見ている。
この世界の住人ではなく、その外見はもっと現実のそれに近い。
「バイパスは合っている。それは、オモチャを作るのに必要な作業だったからね。で、ロビーサーバに何も仕掛けなかったと思うかい?それはないんだなぁ。実は今、接続の全ては掌握してるんだ。ログインした全てのプレイヤーは、これから強制的に遊びに付き合ってもらうよ」
カヤとエレノアは、状況が理解できない。
入谷と思われる人物が、突然現れた。それ以外に起きていることについて気が付いたのは、サラハだけである。
「茶番だな、入谷。ここはまだイザヴェルか?」
「ご名答。凄いだろ?一度現実世界を経由したように感じたはずだからね。完全に一台分全部のパワーを割り当てたしね」
世界がボヤけていき、気が付くと三人は、ストーンブレットのカフェに居た。
何人かのプレイヤーが、食事をしている。
やんわりとした雰囲気で少し暗い店内は、心落ち着くコーヒーの香りが充満していた。
入谷のアバターと思われるキャラクターが、そこに座って脚を組んでいる。
黒髪で、日本風の鎧をモチーフにした白い甲冑を装備し、豪華な飾り剣。烏帽子のような兜には虎の模様が刻まれている。顎からスッ髭が伸びており、顔付きは男らしい。装備の露出部分から、細身ながら筋肉質な肉体が覗き見える。
非常に有名な男だった。
名はキヨマサ。
戦国武将の加藤清正から取ったものだろう。ワールドワイドな英雄を好む入谷には珍しい名前だ。
白虎のマスターをし、それ以外にも色々なギルド外活動を行っている。
その後、姿をいくつか変えて、最後にはカルロス、ティムへと姿を変えた。
「さぁ、姿はいくつもあるよ。この中のどれが正解で、どれがダウトだか分かるかい?」
言い終わるや、ケインに姿を変えて、
「サラハ、君はまだまだです。伸びシロはあまりなさそうですがね」
そして、セシリーの姿に変わる。
「ねぇ、その名前。ゴドフロワに対する皮肉よね?サラハはサラハディーヌ。つまり、ラテン語のサラディンの読み方。ゴドフロワがエルサレムを奪い、更に奪い返したのがサラディン。要するに皮肉でしょ?けど、あなたの半端な頭では、その名が泣いちゃうんじゃない?」
サラハは黙り混んでいる。
手のひらで踊っていただけであることを感じている。それは屈辱ではなく、力及ばないことを再認識した自分への怒りが元になるのだろう。
そして、白虎のマスターへ姿を戻した入谷は、
「だが、君は俺には追い付けないし、ひっくり返すこともできない。弱き者。君には相応しいな。そうして想いだけで満足していると良い」
小さく鼻で笑うと、目を細めた。
「金子君。そんな戯言、聞かなくて良い。入谷君、天才だとは思ってるけど、品性は獣並みだわ。軽蔑する」
カヤが席を立った。
冷静なカヤには珍しく、表情は怒りに染まっている。
それを聞いた入谷は、肩を揺らして笑っていた。
「ッハッハ。どちらにもフラれたなぁ。それでも想いは変わらないんだけどね」
サッと真顔になると、指を弾いた。
パチンとなった瞬間、風景が変わる。瞬きしたら違うところに立っていました。そんな表現がしっくりくる。
瓦礫の山と、遠く中央に整然と立つ巨竜が、まるで映画の1シーンのように現れた。
何人もの戦士たちがそれに立ち向かい、オモチャの兵隊のようにバラバラと叩き伏せられる。
立ち上る炎と煙、濃く生臭い血のニオイ、叫び声に崩れる石や木材のぶつかって破壊される音でフィールドが埋め尽くされていた。
町の上空から砲撃を加える赤い船体は、既に轟沈寸前と言えるほどに破壊され、浮いているのがやっとであるように見て取れる。
中央のシンボル的な建物は倒壊し、プレイヤーよりもモンスターの方が多く見られた。
町のNPCは絶えずどこからか現れるものの、姿を見せてすぐに倒されてしまう。
圧倒的不利を通り越し、もはや風前の灯である風景に、プレイヤーたちは引き上げ始めていた。
今踏ん張って戦っているのは、殆どが青い装備、もしくは赤い装備を付けている。
青竜と朱雀のメンバーだろうか、NPCよりは戦えているものの、非常に拙い。
「ここはレッドベル。知っているね?今、まさに落ちようとしているところだ。これはね、ただの意地悪だよ。じゃあ、少し見物させて貰おうかな」
蒸発でもするように煙を上げて消えてしまうと、頭の中に直接話し掛けてきた。
『さぁ、ここを守ってみてくれるかな?因みに、プレイヤー全体は、数秒前から痛覚が開放されている。いつもみたく戦ってたら、痛みでショック死するかもね。段々よくある話になってきて、面白いだろ?』
高みの見物を決め込んだことに、何かがブツリと切れる音が聞こえたようだった。
「入谷ーっ!」
サラハの怒号が激しい戦禍に飲み込まれる中、入谷の笑い声がこだました。