ラリー、やろうぜ! 第一章

著 : 中村 一朗

D.鳥小屋事件


 二週間は、瞬く間に過ぎていった。
 “野良猫ランサー”でラリードライビングを体験したあの夜から、僕はラリーに対する考え方を改めた。
 強烈に残ったあの印象。
 卒業と同時に引退したはずの空手で、感じたことのある何か。
 その何かの正体がわかるまで、本腰を入れてみる気になったのだ。
 学生の期末試験やレポートの採点に忙殺されながら、僕はラリーについて勉強を始めた。
 取り敢えずは、国内ルールとナビゲーションについて。
 ネットと大学図書館で必要な情報はすぐに手に入った。
 ラリー体験記なんかも、あちこちのサイトにころがっている。
 僕は、総論と各論の基礎知識でそれなりに武装した。
 が、本番のラリーでそれを使いこなすのは至難のこと。
 逆に、知れば知るほど不安は増してしまい、結局、実戦に出て身体で覚えるしかないと悟った。
 だから、服部が揃えてくれるといっていたナビゲーター用の小道具を自分で買った。
 競技用の公認ヘルメットもネットで注文し、三日後には手に入れた。
 ただし、レーシングスーツなんかは買わない。
「普段着の長袖長ズボンこそ、ストリートファイトのラリーには相応しいのよね~」という四谷先輩のアドバイスを鵜呑みにすることにしたからだ。それに、高いし。
 そして、キャッシュラリー当日の午前十一時三十分。
 二週間ぶりに、僕は“野良猫ランサー”と再会した。
 この二週間、僕は服部と頻繁に連絡を取っていたが、顔を合わせはしなかった。
 お互いに忙しかったこともあるが、それ以上に、服部はひとりで“野良猫”を乗り回す走り込みをしていたのだ。
 無論、全開走行などではない。
 山間部での低等速走行だ。
「この二週間で、2000キロ近く峠道を走ったぜ。しかも、トロトロでよ」
 土日だけではない。会社から早く帰宅できたときは、高速道路を使って山道に行っていた。そして、トロトロと低速の走りを一時間。
 帰りはその反動で、高速道路を全開だったという。
「捕まったら、免停だぞ」
「100くらいしか出さねえから大丈夫だよ。それでも、エンジン全開に感じるんだ」
 理系の人間にはありがちだが、服部は昔から馬鹿正直なほど生真面目だった。
 たから、四谷先輩が軽い気持ちで指示にしたことも、真剣に受け止めた。
 結果、服部の運転技術は劇的に変わった。
 少なくとも、市街地走行においては。
 そして恐らく、山道の低速走行でも。
 明らかに運転がうまくなっている。
 服部が車の免許を取ってから、約8年。
 散々峠を走り回っても変わらなかった市街地走行が、この二週間でベテランのタクシードライバー並みになったぜ、と豪語している。
 僕は、ある程度はその言葉を認めた。
 でも、それを口にしないことにした。
 馬鹿正直に生真面目な服部は、褒めるとつけあがるからだ。
 ラリーには深い関心を持つようになったから、車や自動車競技関係の話は大歓迎。
 でも、服部の練習自慢や都市伝説みたいな峠の与太話を、スタート会場に着くまで延々と聞かされたのではかなわない。
 それに、直前まで練習だ、などと盛り上がって、低等速走行をやりだしかねないし…。
 いや、たぶん、やるだろうな…
 幸い、とりあえずの服部の練習話(自慢話)は30分程度ですんだけど…。

 “野良猫”は首都高から中央道を通って上野原インターに向かう。
 行楽渋滞のために、インターを降りたのは午後二時半。
 僕らは、汗まみれだった。
 炎天下、エアコンなしのラリー車で渋滞を走るのが、これほど辛いとは思わなかった。
 ラーメン屋で昼飯を詰め込み、コンビニで飲み物と夜食を購入したのが、三時半頃。
 僕はラリーコンピュータの電源を入れて、現在時刻を入力した。
 以後、キャッシュラリーが終了するまで、このスイッチをオフにすることはない。
 僕は二週間ぶりに触れるラリーコンピュータに違和感を覚え、操作パネルに指を這わせ続けた。前よりは、少しは使い方と表示の意味がわかっているつもりだ。
 県道から奥多摩州周遊道路へ抜け、集合場所のキャンプ場に向かう。
 山間部に入ると、吹き抜ける風を心地よく感じた。
 しかし案の定、周遊道路に入ると悪い予感が的中した。
 服部は、実戦の直前練習と称して制限速度を守るトロトロ走りを始めた。
 確かに、予想通りの正確でスムーズな運転操作だ。
 でも、車内はますます暑くなるし、近所迷惑このうえない。
 バリバリの競技車である“野良猫”は、サンデードライバーたちの一般車両にもあおられ、
1kmごとに横によって後方車両の列を行かせることになった。
 無論、ハザードランプを点灯させてあいさつする車なんていない。
「マナー、悪いぜ。峠族の方がよっぽど常識豊かだ」
「こんなとこでトロトロしているお前の方が非常識だ」
「でも、違反はしてないぞ。それに、これから本番なんだ」
 “野良猫”は、体長1000mの尺取虫のような走り方で一時間がかりで奥多摩周遊道路を抜けた。時刻は、午後五時十五分。
「ところで、四谷先輩は?」
「ああ。五時前には会場に行く、って言ってた。Jリーグのサービスだってよ」
「命令されたのかな?“ジジイたち”っていう、会長たちに」
「多分ね。モータースポーツは縦型社会だから、年長者は一目置かれるんだよ」
「それって、運転がうまいよりも、年上の方が偉いって事?」
 僕は、四谷先輩が“Jリーグ”というチームで最強のドライバーだと信じている。
「知らねえ。でも、“Jリーグ”の会長って、六十過ぎらしいぜ。孫もいるってさ」
「へえー。そんなんで、ラリー出来るの?」
 少なからず、僕は驚いた。何せ、僕の両親よりもずっと年上なのだ。
「バリバリの現役らしい。オレより速い、って四谷先輩は言ってたけど…まあ、世辞だな」
「そりゃあ、そうだ。きっと、杖突きながら運転してるんだ。抜こうとしたら、それで殴られたりして。モミジマークとかも、付けてたりしてさ」
「オシメとかも、はいてるかもな。予備まで積んでてよ」
 僕らはゲラゲラ笑った。
 その一方、スタート会場が近づくにつれて緊張感がつのってくるのを意識している。
 ややハイテンションになっているのも、そのためらしい。
「あった!奥武蔵キャンプ村」と、服部。
 看板の矢印に従って、“野良猫”は狭いアプローチの下り坂を降りていく。
 深い緑の木々に囲まれたその先に、ダートの広い駐車場があった。
 集合時間まで20分近くあるのに、既に20台以上の競技車両が到着していた。
 パドックで出番を待つラリー競技車両。
 ビギナー戦とは言え、やはりここはモータースポーツの最前線のひとつだ。
 期待と不安に、ピリピリと身が引き締まってくる。
「みんな、早いんだな」と、僕。
「計算ラリーは、ナビの準備に時間がかかるから、早めに来るって話だ」
 そのとき、駐車場の奥のほうで騒ぎが持ち上がった。
 けんかでもしているのかと、僕と服部は顔を見合わせた。
 しかし騒ぎの中に笑い声が混じっているのに気づき、僕らは車を降りて騒ぎの方に向かった。もう到着しているはずの、四谷先輩たちを探しながら。
 四谷先輩は、その騒ぎの中心にいた。
 大笑いをしている十数人もの人垣の中心に、2.5m四方程度の檻がある。
 正確には檻というより、高さも2.5mほどの大きな鉄製の鳥小屋。
 四谷先輩は、その鳥小屋の中。金網に両手をかけて、立っていた。
 細い目を見開いたその表情はやや空ろで、それでいて強い緊張感がみなぎる。
 両手を扉の金網にかけ、ぶつぶつと何かを呟いている。
 そして、その少し後ろに、ひとつの大きな黒い影。
 四谷先輩の頭の高さのところに、細長い首に支えられた獣の顔がある。
「…ダチョウ?」
 隣で、服部の声がした。
 僕はこの時、本物のダチョウを始めて見た。
 一匹だけだったが、とても大きなダチョウだ。
 同じ檻の中の四谷先輩の真後ろに立って、大人しくじっとしている。
 取り敢えず、今のところは。
 何が起きているのか解らないまま、僕と服部は呆然とたたずんでいる。
「おい、服部!そこの鍵を開けろ!」
 突然の四谷先輩の声に、文字通り服部は飛び上がった。
 あわてて鳥小屋の傍らに駆けつけ、先輩が掴んでいる金網扉の落し錠をはずす。
 四谷先輩は飛び出す勢いで外に脱出し、すぐに扉を閉めると落し錠をかけた。
 いつの間にか人垣は、何事もなかったように崩れていった。
「あの…、いったい何が…」
「閉じ込められたんだよ、あの中に!」
 服部の問いに、四谷先輩が甲高い声で叫ぶように答えた。
「全く、冗談じゃないよ~!松尾の野郎まで、助けようとしないで笑ってやがるし」
 四谷先輩は険悪な目つきで、周囲に刺すような視線を向けている。
 その視線がやがて僕を捕らえた。
「…あの、こんにちは」
 どう対応するべき解らずに、僕は間抜けな口調で挨拶をした。
「ああ…、おう」
 視線から毒気を抜きながら、四谷先輩はバツが悪そうに頷いた。
「何、騒いでたんだ?四谷」
 ふいに、斜め後ろからドスの聞いた低い声がした。
 僕ら三人は、ほぼ同時に振り向いた。
 そこに、いつの間にか近づいて来ていた不気味な人物が立っていた。
 頭髪がバーコード状態の、60過ぎぐらいの目つきの悪い細身の男。
 たぶん、シルバー人材センターから派遣された、このキャンプ場の臨時管理人だ。
 その風貌は、良く言えば古い映画の名脇役として名高い“左卜全(ひだり・ぼくぜん)”。
 悪く言えば、ドラゴンボールの桃白白(タオ・パイパイ)と鶴仙人。
 水木漫画の“ぬらりひょん”にも似ている。
「森さん!…まったく、さあ!悪たれジジイの村木さんが、さあ…」
 四谷先輩はすがるような目で、“森さん”に、事の顛末を伝えた。
 学校でいじめられたことをママに訴えている子どもの表情で。
 話を要約すると、以下の通りだ。
 10分ほど前、世間話をしていた四谷先輩のウエストバッグを、村木という人物が車の中から勝手に持ち出して、鳥小屋の中に放り込んだという。
 その直後に気づいた四谷先輩は、慌ててバッグを取りにいった。
 最初、先輩は鳥小屋の中には何もいないと思っていた。ぶつぶつ文句を言いながらバッグを拾って顔を上げたとき、顔の直ぐ前に大目玉で顔の小さい巨大生物がいた。
 その生き物は首が長く、ゆっくり身を起こした先輩の上背とあまりかわらなかった。
 人間、驚きすぎると声が出ないものらしい。
 最初はダチョウとは思わず、巨大なコンドルと思ったそうだ。
 つまり、人食い鳥だと。(「もしかしたら、人食いダチョウ」と、先輩は言った。)
 四谷先輩はじっと自分を見つめるダチョウから目を離さないまま、中腰の状態でじりじりと後退していった。
 そして扉に近づくと、一気に踵を返して鳥小屋から脱出しようとした。
 しかしその時、悪魔の村木氏が絶妙のタイミングで扉を閉めて施錠してしまった。
 村木は何食わぬ顔でその場を立ち去り、逆に野次馬が周囲に集まってきた。
 四谷先輩は大きな声を出すとダチョウが暴れだすと考え、囁くように廻りに「…助けて…助けて」と、訴えていたのだ。僕らが目撃したのは、その辺りから。
 話を聞いて、呆れた。
 まるで、小学校低学年の悪ふざけだ。
 ママに言いつけているあたりまで。
「だけど、やったんだろ。このあいだ、村木さんのランサーに勝手にモミジマーク張ったの、オメエらしいじゃねえか?」
「あれは、青田が貼ったんだよ!“スタートレーン”の…。あっ!もしかして、森さんが言いつけたの?村木さんに」
 “スタートレーン”とは、東京の下町にあるラリーチームらしい。
 会長の岩村氏だけが、“Jリーグ”のメンバーでもあるという。
 今日のラリーにも参加予定とか…。
「馬鹿野郎!知らねえ。オレは、青田から聞いたんだ。オメエと一緒にやったってよ」
「違うよ。青田が貼るって言うから、見てて笑っただけなのよね~」
 ゆとりを取り戻した四谷先輩は、ヒャッ!ヒャッ!ヒャッ!っと、笑った。
「同じだ、馬鹿。で。なんだ、こいつらは?」
「ああ。紹介します。大学の後輩で、服部と水谷。フレッシュマンでデビュー戦」
 僕と服部は丁寧に頭を下げた。
 この人は、キャンプ場の管理人なんかじゃなさそうだ。
「で。こちら、森さん。うちのチームの副会長。まだ、60歳。孫、ふたり」
「うるせえ。…じゃあな。オメエらも頑張れ」
 そういい捨てると、森さんはニッと僕たちに笑いかけて立ち去った。
「あの人、あんなふうに見えて青梅マラソンもやるのよね~」
 坂を下りていく森さんの後姿を見ながら、四谷先輩が解説してくれた。
 森敏蔵。ラリー歴38年。
 国内約300戦のみならず、海外ラリーにも2戦参戦。
 ただし、その経歴の殆どはナビゲーターで、つい最近、ドライバーに目覚めたという。
 救急車などの特殊車両制作会社の部長だったが、最近定年退職し、同社の嘱託になった。
「じゃあ、本当に60歳なんですか。…見えねえ」と、服部。
 僕は逆の意味で、「60には見えない」と思う。
 でもきっと、森さんは左卜全と同じで、若いころから老け顔だったに違いない。
 小学校のころから、30代中年サラリーマンとか言われていたりして。
 もう少し我慢すれば、実年齢より若く見られるようになる筈だ。
「去年まではあの人、自分で車を造って、速いドライバーに運転させていたのよね~。元々自分のラリー車だったから、すぐにドライバーに転向できた」
 その時、四谷先輩の顔つきが引きつった。
 視線は、僕らの後ろに向けられている。
 ある種の殺気を感じて振り返った。
 そこにいた人物の風貌は、木彫りのインディアン人形のようだった。
 それも、炎の前に立つ祈祷師が呪術に用いる邪悪な魔像人形のような。
 円空が彫った彫像のようなホリの深い顔立ちと、鋭い眼光。
 まるで、変身した後の“大魔神”のような目だ。
 筋肉質の日焼けした肌は、職業が屋外労働者であることを物語る。
 しかしその雰囲気は、テロリストという方が似合うかもしれない。
 それも、密林を主戦場にしている山賊のようなゲリラ。
 僕は、気がつけば本能的に身構えていた。
 盗み見た服部と四谷先輩野の表情には、少しだけ怯えた様子が垣間見える。
「晩メシは?」
 インディアン魔像が、無感動につぶやいた。
「えっ!ああ、“おでん”です。具だくさんの~。…あっ、村木さん、こいつら、オレの後輩で、服部と水谷…」
 僕らは再び丁寧にお辞儀をしたが、インディアン魔像はじろりと睨んだだけで、「フン!」って鼻を鳴らしそうな顔つきで去っていった。
 僕らは少しの間、その後姿を見送った。
「先輩。もしかして、今のオッサンが“村木さん”ですか」と、服部。
「そう。見た目通りの人。気をつけろ。怖いぞ」
 僕は、村木さんの車にモミジマークを貼り付けた青田という人の勇気を賞賛する。
「愛想のない人ですねえ。あの方、社会人してるんですか?」
「植木屋の親分。“Jリーグ”の会長。あの人にも、孫が二人もいるのよね~」
 村木政治。ラリー歴42年。
 国内を中心にした経歴は四百戦を軽く越え、他の追随を許さない。
 かつての全日本ドライバーで、モータースポーツ誌の表紙を飾ったこともあるそうだ。
 年齢は、61歳で“Jリーグ”最年長。
 そう聞いて、僕と服部は顔を見合わせて驚いた。
「ゲッ!あの人、森さんよりも年上なんですか!?」
 本当は四ヶ月だけ年上なのだが、そのために学年がひとつ上になったという。
 森さんは四月生まれで、村木さんは前年の十二月生まれだった。
 縦型社会の“Jリーグ”では、ひとつの年の差は天地の開きがある。
「見えませんよ。せいぜい、50前後にしか」
 服部は、やたらと感動している。
 定年間近の会社の仕事仲間と比較でもしているのだろう。
 だが、考えてみれば、僕らの目から見れば、50も60も同じような年齢だ。
 その年齢で、モータースポーツのドライバーが出来るなんて、とても思えない。
「そんな強面のベテランドライバーが、何で武蔵野シリーズに居座ってるんですか?」
 ずっと聞き役だった僕が口をはさんだ。
 余生のつもりだったりして、とか考えながら。
「村木さん、何年か休眠期間があってよ。復帰のきっかけに武蔵野シリーズに出てきたのよね~。で、すぐに全日本に戻るつもりだったらしいんだけど。でも、ここが気に入って、居座ることにしたみたいなのよね~。それで、お陰で武蔵野シリーズは盛り上がった」
 かつては格下扱いされていた武蔵野シリーズは、“Jリーグ”結成を前後して、他県シリーズでもようやく一人前程度には認められるようになっていったらしい。
 東京を擁していることもあって競技人口の絶対数が多いため、圧倒的に人気はあった。しかし、SSセクションにダートの比率が高かった当時、舗装が中心の武蔵野シリーズ出身のドライバーは、他県シリーズに参戦してもなかなか結果を残せなかった。
 だから東京近郊出身のドライバーで上昇志向のあるものたちは、武蔵野シリーズなどに目を向けずに、他県シリーズに流れてしまっていた。
 その流れを“ムサシノJリーグ”が変えたのだ、と四谷先輩は胸を張る。
 だから、決して“いじめっ子チーム”などではないのだ、と。
 ふいに、昔のアニメソングが聞こえてきた。
 古いアニメ好きの僕だからしっている『新造人間キャシャーン』のテーマソング。
 その曲に、調子外れのカン高い歌声が重なっている。
 振り向くと、その音源のランサー・エボ8が傍らを通り過ぎるところだった。
 エアコンはついていないらしく、窓は開いている。
 ドライバーがこちらを向いて、ニッと微笑んだ。
 四谷先輩がぺこりと頭を下げると、そのドライバーはちょうど「パルサぁーアタック、ふら~イング、ドリル!…」と口ずさんでいた。
 そのまま手を振り返しただけで、歌いながら去っていく。
 たぶんアニメマニアなのだと思うが、気になったのはその年齢だ。
 つば付の帽子からはみ出している髪の毛は、殆ど真っ白。
「あの人もうちのメンバーで上町十四郎さん。去年の本戦Cクラスチャンプなのよね~」
「…やっぱ、変な人ですね…」と、服部が唸った。
「ところで、おまえ等。時間だぞ。もうとっくに受付、始まってるぞ」
 そうだった。
 僕らは計算ラリー対策で、早めに来たはずだったのだ。
 鳥小屋事件やら、奇人変人大集合の雰囲気に呑まれて、肝心のことを忘れかけていた。
 僕らは必要な書類や免許などを手にして、あたふたと受付に向かった。


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