吸血鬼

著 : 秋山 恵

挑発



「銀髪は逃げました。あっちのビルに移る必要はないですね」

 フィールドスコープから目を離すと、エレナはそれを壮介に渡した。

 風が強く吹き始める。

 顔にまとわり付く髪を手で押さえながら、次の行動を考えた。

 相手はこちらと戦いたがっている。という事は、あの部屋に何かのメッセージを残してから去った筈だと考えた。

 現場には今、遼二と沙季が居る。この後どうするかは分からないが、もし部屋に何か残っていれば回収するはずだ。その情報をうまく入手出来れば、次に繋げることが出来るだろう。

「・・・すみません、やはりあっちのビルに。私は現場に行くので、援護をお願いします」

 あの二人と壮介が遭遇すると面倒になるのではないかと思ったエレナは、一人で行く事を決めた。

 壮介は肩眉を上げて、

「分かった」

 と一言だけ返す。細かい話は問いたださない。

 壮介の、エレナの企みに対する気持ちは異常なまでに寛容だ。老人が、自分の孫に対して甘やかすのとどこか似ている。

 エレナからライフルを受け取ると、そのままスポーツバッグに入れて肩に担ぎ、思い出したように付け足した。

「あの距離だと、俺も当てられないと思うよ」

 距離にすると今の位置よりは近いのだが、それでも壮介には難しいらしい。ライフルを扱う経験に関して言えばエレナよりも壮介の方が遥かに多いはずだったが・・・

「有事の際にけん制になれば良いですから」

「逆に、自分に当たるかもしれないとは思わないのかい」

 苦笑いしながら、エレナの頭をかき混ぜる。当のエレナは無反応だから、まだどうするかを考え続けているようだ。

 あの場に遼二が居ると言う事は、教会関係は動いていないと考えられる。だから、有事は起きることは無い。と言うところまでは辿り着く。

 二人は一つ下の階まで階段で降りると、エレベーターに乗る。この付近では二番目に大きいビルだが、エレベーター自体は古くてボロボロである。マージャン牌を丸くしたような突起状のボタンが整然と並べられている。押すとかなり深くまで押し込める。エレベーターが動き出すと、乗っている箱がミシミシと音を立てた。

「携帯にワンコール入れるから、そのタイミングでエリア内に入ってくれるかな?」

 エレナは壮介から目を逸らして少し考え、もう一度、下から見上げるようにして返事した。

「黙ってたのだけど、・・・現場に沙季ともう一人一緒に行動してる人が居るみたいなので、多分そのまま入って行っても大丈夫だと思います」

 タイミングがタイミングなので、もう一人が誰だかは言わない。

 壮介は少しポカンとした顔をした後、手のひらで目の周りを覆って斜め上を向いた。濁音の付いた“あー”を発する。

「さっき家に電話しても出なかったから、・・・そういうことか」

 と言い、携帯を取り出して沙季に電話をした。

 出るまでコールし続けると、9回程鳴ったところで出た。

『はーい。こんばんはー』

 沙季のとぼけた声が聞こえる。

「おい、なんでそこに居る?」

『何の話ー?』

 電話のボリュームが大きいので、隣に居るエレナの耳にも声は聞こえている。姿を隠した頃はまだ不安定で弱々しかったから、元気そうだという事に多少ホッとする。同時に、普段はこんなに明るい娘だったのかと関心した。

「遠くから見てたんだよ。今からそっちに行くから、そこで待ってろよ」

『ストーカーさんですか?』

 壮介の飽きれた表情。ため息が

「ふぅっ」と聞こえてくる。

「言われた通り武器持ってセーフハウス行ったらエレナと会ったよ。詳しい話は省くが、追っている人狼はエレナの敵でもあってな、共闘することになって・・・」

 エレナが手で遮るポーズを取る。

「代わってもらっても良い?」

「ちょっと待って。・・・ああ、構わない」

 そう言って、携帯を服でゴシゴシ拭いてからエレナに手渡した。受け取った携帯は温かく、耳に当てる部分から少し向こうの音が聞こえている。

「こんばんは、久しぶりね」

『おかえりなさい。やっと帰ってきましたね』

 声のトーンが明るい。喜びを感じているのを演出しているのだろう。エレナにしてみると、その演技染みた喋りに違和感を感じる。それは、周りの普通の人間に対する配慮なのだろうが、長年感情があまりないままで生きてきたエレナには、余計な労力にしか感じ取れない。探していて、心配もされていた筈だった今の状況を考えると、不自然な反応ではあったが。

「ごめんなさいね、まだ全ては片付いてなくて」

『分かります。私、エレナさんと血の繋がりがあるもの。理解出来るわ』

 エレベーターが1階に着き、小走りに道に出た。

 少し行ったところに車を止めてあるのが見える。

「ありがとう。ところで沙季、悪いのだけど、件の男が居た部屋を調べて連絡を貰える?追う為の手がかりが欲しいの。彼は多分、私と戦う為に必ずそこに何かを残してると思うの」

『分かりましたー。探してみますね。電話は今使ってる番号で良いですか?』

「うん、この番号でお願いね。後・・・、今一緒に居る人」

 声を潜めて壮介に聞こえないように

「私たちとは合流しない方が良いと思います。ややこしい事になるかもしれないので」

 壮介は少し先の方を歩いている。幸い、今の会話は聞こえてはいないようだ。

 壮介の、教会所属ハンターである遼二に対する感情はどんな風に発露するか分からない。同じく、遼二の戦闘欲の対象であるエレナに対する感情も、どんな風に発露するか分からない。面倒事の火種になる可能性があるので、今は避けていた方が良い。

『うん、分かりました。それでは、また電話しますね』

「お願いします。ではまた・・・」

 電話を切ると、そのまま壮介に手渡す。

 暫くは待機になる事を壮介に伝え、車に乗り込む。蒸された車内の熱気に壮介が顔を少し歪めた。



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