棺の記憶

著 : 中村 一朗

吉岡:Vol.2


 吉岡は冷たい汗にまみれて目を覚ました。

 薄明かりの中でぼんやりと時計に目をやり、四時間以上眠ったことを知った。

 午前八時二十三分。

 サイドテーブルに置かれていた愛用の大型ハンティングナイフを無意識に手に取る。

 ホルスターから抜いて肉厚の白刃の側面を手のひらに当てた。

 儀式のような、吉岡の毎朝の習慣。

 昨夜、作り笑いでもなさそうなミラーの笑顔に出迎えられて〃積み荷〃の回収から帰還したのは午前三時半。その頃には、輸送船に向かわずに海岸で見張りの任についていた部下たちも体調の異常を訴えていた。

 終始平然とした態度でいたのは、石郷という薄気味の悪い女だけ。

 積み荷を車ごと研究スタッフに預け、半病人のような状態の部下たちを施設の医療部に放り込んで吉岡は待機室の仮眠用ベッドに倒れ込んだ。悪夢に魘されたらしいが、どんな夢だったか思い出せない。思い出そうとしたら、昨夜の悽惨な記憶が蘇った。

 それを頭から振り払うと、重い疲労感と不快な気分だけが胸の奥に残っていた。鉛色の不快感を胃に流し込むように、ペットボトルの水を一気に飲み下した。

 ホルスターごとナイフを左脇に納め、その上からジャケットを羽織って部屋を出る。

 財団組織の警備員や保守点検チームスタッフが吉岡に表情のない視線を向けるが、声をかけてくるものはいなかった。

 大型車両が並ぶ駐車スペースを抜けて、外へ。

 吉岡は薄曇りの空を一瞥して目を細めた。

 敷地はフリーピース財団が所有する広大なものだった。大規模な総合大学にも匹敵する。研究目的ごとに異なる建物が立ち並び、その中央にポストモダニズムの流れをくんでデザインされた三階建ての本館がある。本館の外装はメタルストーンのグレータイルが基調。それらを囲むように細く輝くスチールラインが縦横に配置されている。窓等の解放部面積が極端に少ないためにイメージ的には博物館、あるいは城塞のようだ。

 本館に向かうアプローチに人影はまばらだった。営業部門などないこの施設の朝は遅い。吉岡がすれ違う研究者たちも徹夜明けの疲れた顔色である。

 吉岡は正面玄関を入り、案内カウンターの若い女にミラー代表への取り次ぎを求めた。案内係は吉岡の身分証を確認すると、奥のエレベーターで三階にお進み下さい、と告げた。

 三階でエレベーターから降りると、吉岡は初めてここに来た時と同じ悪寒を覚えた。それを黙殺してミラーのオフィスの前に進む。ノックしかけた時。

「どうぞ、ミスター吉岡。お待ちしていた」

 部屋の中からミラーが上機嫌な声で招いた。

 吉岡は一瞬ためらったが、すぐに把手を掴んだ。ドアを開けながら、部屋の奥の執務デスクについている大柄な体格のミラーを見つめる。無言で視線を向けたまま、部屋の中へ。そして儀礼的な目礼を冷笑に変えて、後ろ手にドアを閉める。

 オフィスには、穏やかな笑みを浮かべたミラーだけがいた。

「昨日はご苦労だった。まだ疲れがとれない様子だね」

「逆にあんたはずっと徹夜だったようだが、不思議に元気そうだ」

 吉岡は執務デスクを挟んでミラーに対峙した。ミラーの服装は昨夜のままだったが、疲労は微塵も感じさせなかった。シャツにも皺ひとつない。

「今の私はこの何年かの間で、もっともエキサイティングな時間を過ごしている。寝る間さえ惜しいという表現は、決して比喩ではないね」

「手品のタネは隠しカメラかな。足音はたてなかった筈なんだがね」

 感情の失せた機械的な声で吉岡は言った。

「そんなところだ。遮光処理された壁面パネルの内側に隠してある。天井に監視カメラなど配置するのは来客に失礼だからね」

「だからこっそり覗くって訳だ。失礼を悟られないように」

「信頼のおける友人には手の内を公開することにしている。だからミスター吉岡にも、そのことを知っておいてもらおうと思って先に声をかけたのさ」

 いきなりミラーが立ち上がった。二メートルを越える身長以上の存在感が部屋の中でふくれ上がった。青く澄んだ瞳の奥に強烈な活力の炎が燃えていた。

「ありがとう。君たちのおかげで、障害がひとつ減った」

 握手を求めてデスク越しに差し出された右掌を、吉岡は握り返した。

「…俺たちは依頼主の期待に応えられた訳か。運び屋とその船を処分して、積み荷まで傷つけてしまったと思ったんだがね」

「不可抗力だ。何が起きたかはオブザーバーのミス石郷から聞いている。積み荷の傷もパッケージ部分だけだった。中身は無傷だ」

 吉岡は手を離した。それに続いて、ミラーも再び椅子に身を委ねる。

「海岸から見ていただけのあんな女に何がわかる。どうせいい加減な報告さ」

「彼女の報告は満足のいくものだった。きみたちの仕事と同様にね」

 吉岡は口の中に広がる苦い唾を飲み下した。

「ところで、部下たちの状態は?」

「軽い風邪のような症状だが、特に問題はないだろうというのが医療チームの見解だ。ついさっき、報告が来てね。放射線障害や、ウイルス性の疾患ではないこともPCR検査で確認されている。微熱や吐き気、古傷の痛みを訴える者もいたが、精神的な原因によるものではないかということだ。一応、精密検査のために君の部下たちは明け方前に財団直系の病疫対策センターに転送した。あそこには世界でもトップクラスの人材がそろっているから心配はない。念の為にしばらく隔離入院してもらうつもりでいる」

「部下たちの体に異状があるのは確かだ。訳を知りたい」

「気持ちはわかる。しかし今のところ原因は、積み荷によるものらしいとしか説明しようがない。未知のエネルギーによる精神と肉体への干渉だ。二十日以上その影響を受け続けていた輸送船の者たちがどうなったかは、結果的に彼らを処分した君の方が良く知っているだろう。それでも君の部下たちは快方に向かっているのは確かだよ。調査研究も進行中だ。何かわかったらすぐに知らせよう。言い忘れたが、彼らの入院中の報酬は残務手当として支払わせてもらうつもりでいる。悪く取ってほしくないのだが、彼らの被った障害も積み荷を研究する上で貴重なデータになる。それと、今ここにある君たちの機材も、二三日のうちにそちらの指定ポイントに転送させるつもりだ。異存は?」

 吉岡はわずかに間を置いて、ミラーの目の奥をじっとのぞき込んだ。

「特にない。あんたの話が本当なら。それにしてもずいぶん気前がいいな。あんたの教団とは初仕事だったのに。寧ろ叱責を覚悟していたんだがね」

 吉岡の乾いた視線を無視して、ミラーは楽しそうに笑った。

「できれば私は友人と組んで仕事を続けていきたいと思っている。ミスター吉岡、今後ともよろしく。今回の契約金の残りは、午後には君のチームの口座に振り込まれる筈だ。町についたら確認してくれ。それと、これが君の部下たちの入院先だ。一週間後には見舞いにも行けるはずだ」

 差し出された紙切れを受け取ると、吉岡は軽く頷いて踵を返した。把手に手をかけた時、ミラーが声をかけた。

「それから、最後にもうひとつ。ミスター吉岡。誤解のないように言っておくが、フリーピースは科学知識や最先端技術を社会福祉に役立てる目的で設立された財団なのだ。一部の歪んだ識者が言うような私的教団などではない」

 今度は吉岡が俯いたまま笑みを浮かべた。小さく頷いて部屋を出た。


 三日後の午後遅く、吉岡は香港にいた。

 ミラーとの会談の後、吉岡はフリーピース財団本部でだらだらと一日過ごした。

 その翌朝、車で町まで行って一日過ごし、更にその翌日の昼前に商用の小型飛行機に便乗して香港郊外の小さな空港に降り立った。

 そのままタクシーとバスを乗り継いで九竜街に向かった。

 かつて香港のダークサイドを担っていたそのエリアは二十世紀末に再開発によって一新され、各種ハイテク産業のインフラを完全整備された超近代区域へと再生していた。そして旧市街地が取り壊された時に一旦は散開したアジアの〃闇〃も、時代に相応しい進化を遂げて姿形を変え、再びその地に復活した。

 表の経済と同等の規模にまでふくれ上がった影の経済。非合法のものから灰色のビジネスまで、莫大な情報と資本に吸い寄せられて、雑多な人や組織がその地に集ってくる。

 吉岡は観光客やビジネスマンで賑う表通りから細い路地へ入っていった。

 薄汚れた飲食街が立ち並ぶその路地を抜け、さらに奥にある六階建てのビルの裏口へ。蟷螂のように痩せた初老の男がその傍らに座り込んでいた。左手に持っている紙袋からひまわりの種を摘んでは口に入れ、殻をペッと吐き捨てる。

 きらびやかな表舞台の再開発市街化区域も、裏に回れば昔と変わらない。どれほど金メッキを施しても、地下を這う下水道は汚物を流し続けている。

 吉岡が近づくと、黄色く濁った目を向けた。ニイッ、と微笑んだ。

「チャンは?」と、吉岡。

 男は薄笑いを張りつかせたまま足下を顎で指し示した。

 吉岡は懐の煙草を箱ごと男に投げた。

 ひまわりの種を口に運んでいた男の右手が毒ヘビのように素早く反応した。回転しながら宙を飛んできた煙草の箱を、人差し指と中指だけで挟み取った。

 手品師の器用さでその指を使って箱からチップの十ドル札を抜き取ると、それらを内ポケットに納めて再びニイッと笑った。吉岡の視線は、いつも通りに男のその右手が内ポケットの中で動いて何かのスイッチを押したことを確認する。

 暫くすると、オートロックの開鍵音が小さく鳴った。

 吉岡は裏口の鉄扉を抜けて階段を下り、狭い通路を奥の部屋に向かった。

 もうひとつの鉄扉を開けると、禿げ頭の中年男がモニターから顔を上げた。

 禿男の右手は、マウスに載せたまま。

「やあ、吉岡さん。相変わらず時間通りだね」

 男の名はチャン。

 ユーモラスな見かけとは裏腹に、裏社会では名を知られた情報屋である。

 ただし、本名を知るものはいない。今回のミッションもチャンの仲介によるものだった。吉岡はチャンに促されて椅子に腰を下ろした。

「外のロンが知らせてきたけど、吉岡さんをつけてた者はいなかったって」

 吉岡が小さく頷く。

「おおよそのことは電話で伝えた通りだ」

「ご苦労さん。吉岡さんだけでも無事で良かった。次からは風水師でも連れていくかね。弟よりは役に立つかも知れないよ」

 チャンの明るい声に吉岡は力なく首を横に振った。

「オカルトは御免だよ。ところで、フリーピースからの振込は?」

「さっき確認した。三日前に振り込まれていたよ。契約通り。僕への仲介料と入院している連中の十日分の超過勤務手当ても一緒に。ずいぶん律儀だね」

「信頼関係を大事にしたいんだそうだ。とりあえずは、金。…ってとこだな」

「楽な仕事だったろ。これで吉岡さんは、かなりリッチに半年は遊んで暮らせる。リャンたちが帰ってくるまで。連中だってきっと休暇気分で喜んでるよ。かわいいナースたちのケツでも狙いながらさ」

 吉岡とチャンのビジネス上のつき合いは五年。

 傭兵チームである吉岡たちが拠点を香港に移してからずっと続いている。

 チャンは吉岡の技量を信頼し、三年前に組織の戦闘部隊に身を置いていた実弟のリャンをスネイクに預けた。

「ああ。そうかも知れないな」

「でも、吉岡さんは気にいらないって訳だね」

 吉岡は無表情。チャンには見慣れた顔だった。

「リャンたちは本当にフリーピースの病疫センターに移送されたと思うか?」

 財団本部を離れた直後、吉岡は懸案を電話でチャンに知らせておいた。同時に、今回の仕事に付随する事がらも再調査しておくように指示を出して。

「ちょうど今報告が来たところ。病疫対策センターに患者十一人が運び込まれたのは六日の午前三時三分。全員が隔離病棟に搬送された。それが吉岡さんの部下たちだったのは確かだ。警備室のビデオデータを手に入れて確認した。もちろんリャンの姿もあったよ。あれは弟本人だ。間違いない。…ところで、吉岡さんがミラー代表の言葉を疑った根拠は何?手際が良過ぎるから?」

 吉岡はテーブルの片すみを見つめながら小さく頷いた。

 万一に備えて待機していた医療スタッフというよりは、部下たちの体調不良が予定の事のように手配されていた気がしてならなかった。積み荷が人体に及ぼす影響を調べるために予め図られたのではないか、と。もしそうなら、人体実験の対象である部下たちを病疫対策センターに搬送などせずに、継続して積み荷の調査分析が行われている財団本部にとどめておくのではないかと吉岡は考えていた。

 彼らが治療を受けているならそれでいい。取りあえず、今のところは。

「それもあるが、…それ以上にミラーという奴が引っかかる」

 チャンの細い目が一層細くなった。

「確かにね。ミラー・クリスは謎の多い人物だ。ぼくも今回の仕事を請ける時に調べてみた。だが、何もわからない。経歴どころか国籍、年齢さえも。ミラー・クリスという名前さえ本名かどうかわからない。世界の権力者で彼の名を知らない奴はいないのに、ミラーに会ったことのある人物は極めて少ないといわれている。吉岡さんはその少ない一人だよ。羨ましがる人、大勢いるよ」

「自慢にならないな。フリーピースとミラーの関係は?」

「1975年にフリーピースを創設したのがミラー・クリスだ」

 吉岡が目を見張った。

「40年近く前にか。今のミラーはどう見ても三十代だぜ」

「東洋人には西洋人の年齢はわかりにくいのよ。まあ、若く見せるには、それなりに努力もしているってことだろうね。少なくとも五十代以上のはずだよ」

「スポンサーは?」

「それもわからない。ユダヤ資本や日系財閥がついているとか、愉快な噂ではミラーがロマノフ王朝の隠し財産を捜し当てた、なんていう事まで囁かれた。でも最終的にはミラー自身の資産だったということで落ち着いている。とにかく、発展途上国家の予算に匹敵する巨額の資本を武器に、瞬く間に世界的スケールの集団にのし上がった。世界平和に貢献するための会員制の親睦団体だ、と自称してきた。八十年代の半ばからはベンチャービジネスや科学分野での基礎研究を積極的に支援して、数多くのパテントを獲得していった。有力財団として衣替えした今では各国の政治家や財界人たちがミラーのご機嫌を伺っている。宗教グループのように言うものもいるが、思想的偏りはないと思うな。敢えて言えば、広義での科学原理思想こそが信仰対象なのかも知れないね」

「随分ひいき目だな、チャン」

「そりゃあそうだよ。大手のクライアントになるかも知れないし。吉岡さんにもそうだろ。ミラーの手に少しぐらいの血がついていたって気にしないよ」

 吉岡は、大きな犬歯を剥いて笑っていた大型肉食獣のようなミラーの姿を思い返した。容姿以上に威圧感のある、双眼に宿っていた強い光を。

「例の〃積み荷〃については、何かわかったか」

「まだ調べ始めたばかりね。でも、イギリスのタブロイド紙に面白そうな記事を見つけたよ。今年の七月にペルシャ湾に注ぐチグリス川の支流になるカルーン川の上流で、古代シュメール人の残した小さな遺跡が発見されたというんだな。地元大学の小規模な学術的発掘計画に則ったものだったけど、そのメインスポンサーがフリーピース財団。ところが遺跡の発見から十日後、発掘に携わっていた研究グループは革命軍を自称する強盗団に襲撃を受けたんだそうだ。その場でキャンプを張っていた九人が重傷を負い、近くの救急病院に運び込まれた。遺跡は盗堀され、貴重な発掘品はすべて消えてしまった。あの地域では強盗団の跳梁など珍しくもないし、遺跡の発見が報じられる前だったこともあって、一般にはあまり知られていない」

「じゃあそのタブロイド紙の記者は、フリーピースが盗堀団を雇ったとでも言ってるのか?こっそりと、遺跡から出たお宝を独占するために」

 嘲るような吉岡の声にチャンは笑い返した。

「まあ、最後まで聞きなよ。事件の直後、地元に住むタブロイド紙の契約記者は研究グループの怪我人にインタビューをしようと救急病院に忍び込んだが、病室はもぬけの殻。怪我人たちは一人残らず病院から姿を消していた。調べてみると彼らは全員国外の病院に転院していたっていうんだな。その病院が…」

「フリーピース病疫対策センターか?」

「惜しい。さすがに中東からじゃあ東南アジアは遠過ぎるよ。ヨルダンにある財団直属のフリーピース救急医療病院。もちろん完全隔離施設だ。そこに病疫対策センターのエリートスタッフが呼び寄せられたのはその一週間後。中心メンバーたちは超一流の精神病理学者たちだったって。その頃から、財団科学アカデミーの物理学者やエンジニアたちが続々とその地に渡航している。科学者たちの中東ツアーはつい最近まで続いていたらしいよ」

「タブロイドの記者がそんなことまで調べあげたのか」

「優秀な女性記者だよ。ジェニファー・ウィリアムス女史。元々は古代史の研究が目的でその地に住み着いたイギリス出身の留学生だった。僕の助手に欲しいくらいだ。彼女が不信に思ったのは事件直後からずっと遺跡が閉鎖されていたためだった。頑丈なバリケードが構築され、武装した警備兵が周囲の警戒に当たっていたらしい。厳戒態勢の軍事施設並みだったというから、ジェニー女史が不信を抱くのも当然だよ。彼女は遺跡への立入を申請しようとしたが、門前払いにされたそうだ。病院に忍び込んだのは役人に申請を拒否された日の夜だった。病院から抜け出すくだりも記事にあったけど、いやあ面白かったね。アクション小説ばりの展開だった。彼女、記者より小説家の方が向いてるよ」

「大変な惚れ込みようだな。本気で助手にしたがってるように思えるぜ」

「惚れ込んだのはここから先の展開でさ。事件から二か月後、つまり9月の中ごろだね。ようやく遺跡の封鎖が解かれた。11月になって地元の学者たちが調査を終えてからは一般にも開放されている。この間も、ジェニー女史は発掘に携わっていた地元の研究者たちに接触してこつこつと取材を続け、その経過を記事にして定期的にイギリスの本社に送っていた。遺跡は紀元前三千年頃のものだそうだよ。シュメール文明はメソポタミアでも最古のものに近い。シュメール人は南部に都市国家を形成していたと言われてるけど、今回発見されたその遺跡が古代都市の跡地だとは思えないって地元の研究者たちは口を揃えている。規模が小さ過ぎるから。早い話が、あの遺跡には大して学術的価値などなかった。それなのに、なぜそれほど物々しい警備態勢なんかを敷いたのか。てっ、これが記事のコンセプト。彼女の記事は地味だけど、よく書けてるよ。もっとも遺跡の謎を追うというより、学術論文に近いけど」

「なんだ。あんたの趣味の世界だから惚れたって訳か」

「いいじゃないか。まあ、それはともかく。結論から言えば、発掘作業は表向きは地元大学の調査だったが、実態はフリーピースの息がかかった研究者たちによって行われていたものだった。襲撃を受けた者たちの中に地元の人間は一人もいなかった。また、襲撃のあった二週間前から、地元の作業員さえ発掘現場に立入を禁じられていたという。厳戒態勢は盗賊団が襲撃する前から布かれていたんだよ。それに盗賊団の襲撃自体も怪しい、と彼女は主張している。救急病院のナースたちは、運び込まれてきた怪我人たちが皆一様に狂気じみた目つきで意味のないことを喚き散らしていたと証言している。みんなおかしくなっていたって。盗賊団の使った毒ガスの影響だって調査隊のスポンサーから発表されたけど、すぐに否定された。そりゃあそうだよね。毒ガスを使う盗賊団なんて聞いたこともない。何らかの事情で彼らが発狂していたとするなら、盗賊団の襲撃などではなく、内輪もめで傷つけ合ったんじゃないか、とね。で、ここから先はいかにもタブロイド紙らしいんだけど、ミイラの祟りとか、古代の呪いの話に展開していく訳よ。ツタンカーメン王の呪いなんか引用して」

「…なるほど。ようやく繋がって見えてきた。あの船の中で殺し合った奴等。遺跡とやらの中で起きた凶行。ほんの少しの間だけ積み荷に近づいただけなのに、頭がおかしくなったリャンたち」

 弟の名を出したとき、一瞬チャンの目がにごった。それでも、直ぐに元に戻って続けた。

「ね。面白いだろう。遺跡で見つかった何かは、遅くとも二か月後には遺跡からはこび出された。更にその二か月後に、どういう経緯かいかがわしい連中が操る密輸船の積み荷になって吉岡さんの前に現れたとしたら」

 吉岡の眉間に皺が寄った。

「おい。面白い、はないぜ。入院したのは部下たちだ。あんたの弟もな」

「彼らは心配ない。今朝、弟に面会を求めて病疫対策センターに電話を入れたけど、二三日中には面会許可が下りるそうだよ。でもそれ以前に、連中が無事ってことに確信があった。その理由は、吉岡さんだ。一時は吉岡さんも積み荷の影響を受けていたようだけど、今では回復している。なぜだろうね」

 ふいに吉岡の脳裏に、血にまみれて炎に包まれるメイランの姿が浮かんで消えた。

 バカな。彼女の幻など無関係だ。

「さあね。体質のせいかな」

「違うと思うね。きっと、吉岡さんが隊長だったからだ。フリーピースにとって積み荷の回収こそ至上の目的だよ。あの運び屋の日本人たちは、金さえもらえば何でも運ぶ奴等だった。しかも報酬は全額前金で雇われてたらしいよ。二流の運び屋たちは意図的に積み荷の力を図る捨て石にされたのかもかも知れないけど、スネイクは違う。こっち側のビジネスでは少しは知られた存在だからね。もし積み荷が危険なものと判断したら、スネイクが無事に任務を果たせるように財団も何かの手を打ったはずだ。結果、スネイクの指揮官である吉岡さんがメインガードの対象になったのかも知れないよ。何か心当たりはない?」

 吉岡は海岸に立つ若い女の横顔を思い起こした。同時に、

「彼女の報告に満足している」と語ったミラーの声。

「…あの女。石郷涼子と言ったな。フリーピースが派遣したオブザーバーだ」

 この時、吉岡は初めて気づいた。ミラー・クリスと石郷涼子とに共通する、目の奥に宿す強い光。それが自分の本能を脅かすものであったことをようやく認めた。

 彼らへの敵意は、自らの中に生じた恐れを源にしていた。

 それを察したように、チャンは表情を引き締めて口を開いた。

「オーケー。積み荷とその女の事、調べてみるよ。ミラーの事も引き続きね」



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